エルフの渡辺

第一章 渡辺風花は園芸部の部長である ⑥

「それは私には無理なの。私もまさかおおくんに見えちゃうなんて思わなかったから……」

「そんな……」

「……でも、うれしかった。本当にうれしかったんだ。おおくんが、私のこと、好きだって言ってくれて。だって私も……」

「え?」


 わたなべふうの声で、わたなべふうと違う姿の人間がもじもじと胸の前で両手を組む。


「私ね、実は去年の菊祭りでの後に仲良くなるよりも前、一年生で同じクラスになったときからずっとおおくんのこと、気になってたの」

「えっ?」

「大きな木でゆく、ゆくと、ユクト……。すごく、ユグドラシルっぽい名前だな、って!」

「顔赤らめて何をワケの分かんないこと言ってるの」

「言われたこと……ない?」

「空前絶後だよ。もじもじしながらめて聞くほど予想できないことじゃないでしょ」


 ユグドラシルという名詞はもちろんエルフと同じ程度には知っているが、原典でどういう存在なのかきちんと調べたことはなかったし、自分の名前と関連づけたこともない。


「それじゃあおおくん……もう私のことは、好きじゃなくなった、ってことなの……かな」


 このときばかりは、真剣に言葉に詰まった。

 わたなべふうのことが好きな気持ちに変わりはない。そして今目の前で起こったことと、目の前にいるエルフが言うことを総合すると、信じがたいことだがこのエルフがわたなべふうであることを否定する材料は、無いと言えば無い。

 だが……。


「本当にエルフだって言うなら、分かってほしい。正体がエルフだなんて信じるか信じないかって言われたらやっぱり信じられないし、信じたとしても訳が分からな過ぎて……」

おお……くん」

「ごめん。自分から告白しておいて申し訳ないけど、落ち着く時間が欲しいんだ……」


 普通ならば、告白した側が保留を要求するなど非難されてしかるべき言動だが、仕方がないではないか。

 ゆくは地面に置いたカメラを手に取り力なく立ち上がるが、わたなべふうを名乗るエルフは悲し気な様子でゆくを見あげ、そして目を伏せうなずいた。


「そう……だよね」


 その悲し気な声に、ゆくは耐えられなかった。


「今日の写真……現像、するから」


 そしてそのまま、返事も聞かずに駆けだした。逃げたのだ。

 仕方がないじゃないか。エルフだぞ。好きな人の顔が、何の心の準備も無く全く違う顔になったのに、平静でいられる方がおかしいじゃないか。

 あれ以上、何が出来たのか、何を言えたのか。

 考えても考えても何も分かるはずがない。

 告白は大成功だったはずなのに、どうしてこんな訳の分からない気持ちになるんだ。

 ゆくぼうぜんしつのまま帰路につき、途中、いつも利用している大手カメラ店のある交差点で立ち止まる。

 手に握ったままのカメラを見下ろすと、フィルムを撮り切っていないがそのまま現像に出した。

 一時間ほどして仕上がった写真の中では、ゆくが好きになった『わたなべふう』が笑顔を輝かせていた。

 ゆくは泣きそうになりながらカメラ店を飛び出し、帰宅すると写真を勉強机の上に放り出して、着替えもせずにベッドに飛び込み、頭を抱え膝を抱え、夕食も食べずに意識を失うように眠りについた。

 夢は見なかった。これでもしわたなべふうが夢に出てきてくれたら、夢の中だけでも幸せな気分に戻れたのだろうか。



 まるで泥の中にいるような目覚めだった。

 昨日の出来事は全て悪い夢だったのではないだろうか。スマートフォンを見ても、わたなべふうからは何のメッセージも入っていなかった。

 記憶の通り制服のまま寝てしまっていたので、昨日のことは現実だったのだ。

 だが、よくよく考えるとやはりエルフは無い。あり得ない。無い。無い。無い。

 そんなことを思いながらシャワーを浴びて予備の制服に着替えたものの、重い気持ちが食欲を失わせ朝食も喉を通らず、日頃から自分で作っている昼食用の弁当も今日は作る気力が湧かず手ぶらで家を出てしまった。

 昨日現像した写真を丁寧にOPP袋に入れると、亡霊のように生気の無い足取りで家を出て、いつの間にか学校に到着する。


「あ、おいゆく、ういーす」


 すると昇降口のところで、同じ中学から入学した友人でクラスメイトのやまてつが声をかけてきた。


「おお……ああ、てつか。……はよ」

「何だ、体調悪いのか? 顔色白いぞ?」


 顔色が悪いことは自覚しているが、とはいえその理由を説明する気にはならなかった。

 クラスメイトの女子に告白したことも、その女子がエルフに変身したことも、他人に話をすればただただ面倒を巻き起こすとしか思えない。


「風邪ってるみたいだし気をつけろよ。そういやさっきわたなべさん見たんだけど、わたなべさんもなんか顔色悪かったな」

「え?」

ゆくお前、ここんとこ園芸部手伝ってんだろ? もしかしてわたなべさんから風邪うつされたんじゃないか?」

「い、いや、そんなことはないと思うけど……」

「風邪うつされるような手伝いしてんのか? ああ?」

「風邪うつされる手伝いってどんなだよ! それよりてつ! ちょっと聞きたいんだけど! わたなべさんどんな様子だった!?」

「は? いや、だから何だか顔色が悪そうだったって」

「顔色とかそういうことじゃなくて! いや顔色もこの場合重要なんだけど!」

「何なんだよ」

わたなべさんに何か変なとこなかったか? こう、一目見ただけで明らかに普通じゃない、みたいなさ!」

「そんなこと言われてもな。本当に遠くからちらっと見ただけだし、ちょっと見ただけで変か変じゃないか分かるほどの付き合いないから……どうした、何でそんな急に明るいんだ?」

「い、いや。やっぱり昨日は、俺がどうかしてたんだなって」

「はあ? え? 何だ? わたなべさんが体調悪いって話で何でお前が元気になるんだ?」


 てつが混乱するのも無理はないが、ゆくが明るくなるのもまた無理はない。

 昨日のわたなべの激変ぶりは、付き合いがあるとかないとか遠目とか近くでとかそういう次元じゃなく、人類であれば一目で気づかなければおかしいレベルの変化だった。

 だからてつの見たわたなべは何の違和感もない姿をしていたと判断するべきだ。

 昨日のあれは、過剰な緊張が引き起こした白昼夢だ。幻覚なのだ。


「いや、何でもないんだ! ちょっとな、昨日写真がくいかなくてガラにもなくへこんでてさ! コンテストの締め切り近いから、ナーバスになってただけなんだ!」

「ふーん。まあ、いいけど」


 不思議そうに眉根を寄せるてつを置いて、ゆくは意気揚々と教室に向かう。

 昨日のことは無かったことにして、もう一度告白を繰り返してもいいくらいの気持ちで、教室の扉に入ったゆくは、


「お、おはよう、おおくん」


 美貌のエルフがわたなべふうの席に縮こまって座っているのを目にして、


「エルフじゃんっ!!」

『エルフのわたなべ』と、彼女をスルーしているてつと教室のクラスメイトに、全力で突っ込まざるをえなかったのだった。