「エルフじゃんっ!!」
思わず叫んだ突っ込みの対価は、既に登校していたクラスメイト全員からの怪訝そうな視線だった。
日本人の若者は、多かれ少なかれ空気と雰囲気と視線の裏にある意図を読む能力を持っている。
行人の、比較的自分でも優れているという自負のある空気読みセンサーがそれらの視線を分析したところ得られた結論は、今この教室でおかしいのは、急に叫んだ自分だけだということ。
即ち、エルフが制服を着て教室にいて渡辺風花の席に座っていることを疑問に思っている生徒は一人もいないと考えるべきだということだ。
「……! ……!」
そして何よりそのエルフ本人がしきりに行人にアイコンタクトを送ってきているのだ。
『混乱は承知だが騒ぎ立てると不利になるのはそちらだぞ』と。
いや、あのエルフが本当に渡辺風花本人だと仮定した場合、
「クラスのみんなには私の今の姿が見えていません。そういう魔法です。混乱させて本当にごめんなさい。でも信じてください」
というところだろうか。
「ん?」
そんな想像をしたときにポケットの中でスマホが震え、手に取ると渡辺風花のアカウントからメッセージがポストされてきていた。
『カラスの皆んなには私の居間の姿が見えて居間せん。そういう魔法を遣われています。混乱させて本当ニゴメンナサイデモシンジテクダサイ』
「あー」
見るとエルフの渡辺が自分のスマホとこちらを交互に見ながら慌てふためいてもじもじしている。
急いで打ったメッセージの誤字や予測変換のミスに気づき、意図が正確に伝わっているか不安になっているのだろう。
「あー、あー」
送られてきたメッセージは、変換ミスだらけではあるがほぼ行人の想像通りのものだった。
自分の渡辺風花に対する解像度の高さに驚くと同時に、視界に映るエルフの姿が解像度とかそれ以前の問題なので、また行人は眩暈がしてきた。
それでも行人は必死の気力でそのメッセージに返信し、一気に脱力して自分の席に向かう。
エルフの渡辺をちらりと盗み見ると、彼女は行人とスマホを交互に見ながら、少しだけ表情を明るくしていた。
その表情には明らかに安堵が含まれていることに、行人は微かな罪悪感を覚える。
その罪悪感の正体を、行人は今のこの瞬間だけは見て見ぬふりをした。
意識を別のことに向けようとして、行人はつい鞄の中にあったカメラを取り出そうとし、そのカメラもまた渡辺風花と密接に関わることであることを思い出してしまう。
「なぁ行人」
「うわっ」
そのとき突然死角から哲也が声をかけてきて、行人は鞄ごとカメラを取り落としそうになり、そのせいでカメラ以外の鞄の中身が床にこぼれ出てしまう。
「驚かすなよ」
「悪い悪い。でもさっき急にどうしたんだよ。いきなりインドの数学者の名前叫んで」
「誰もラマヌジャンとは言ってない!」
エルフのことを叫んだことは知られたくなくともラマヌジャンは違うだろうとつい突っ込んでしまった行人は、そのせいで床に散らばったあるものを回収するのが一手遅れた。
「あれ? 行人これ…………これ……おい行人、これ……」
「あ」
哲也が拾い上げたのは、OPP袋に入った渡辺風花の写真だった。
「これ、お前……」
「盗撮じゃないからな」
哲也が何を言い出すか分からないのでとりあえず牽制しておくと、哲也の眉間の皺が一段階深くなる。
「それは疑ってねぇよ。視線思いっきりレンズに向いてるしな。むしろ盗撮じゃねぇから問題なんだよ」
「は?」
「お前さ、何写真にかこつけて渡辺さんと距離縮めてるわけ?」
「はあ?」
渡辺風花の写真とともに距離を詰めてくる哲也に、行人は思わず身の危険を感じる。
「渡辺さんの良さに気づいてんのがお前だけだと思うなよ」
「……はあ」
「この写真の存在が明るみに出れば全校の隠れ渡辺ファンを敵に回すぞ?」
「ん? 何? 全校の何? 隠れ渡辺ファン?」
色々ツッコミどころはあるが、初めて聞く単語を思わず尋ね返してしまう。
「渡辺さんの良さを知ってるのは自分だけだと思ってる男子の集団だ」
「何だよその悲しさが極まった集団は」
自分自身が渡辺風花に恋をして告白までしているので哲也の言うような男子が他にいること自体は不思議ではない。
だが『渡辺さんの良さに気づいているのは自分だけ』と思っている孤独な思想の男子が何故か集団として哲也に認識されているという矛盾と虚無が渾然一体となった『隠れ渡辺ファン』なる存在に、行人はある種の畏怖を抱かずにはいられなかった。
何せ行人自身も『渡辺風花の良さに気づいているのは自分だけ』と思っていた男子の一人なのだから。
彼らと違うのは、渡辺風花との関係の構築に当たって臆さず隠れなかったことと、告白という行動に出たこと。
そしてそのせいでガチの『誰も知らない渡辺風花の真実』らしきものを知ってしまったことだ。
「どうした行人。頭を抱えて」
「いや、ちょっと自分の置かれている状況に混乱して」
「怖いか。俺達『隠れ渡辺ファン』の存在が」
「マジで怖いよそれは。いや、そうじゃなくて……」
「だったら吐け。どういう経緯で渡辺さんの写真を合法的にこんな撮っていいことになった? ことによったら総勢二十名を超える隠れ渡辺ファンが黙っちゃいないぞ」
「多いのか少ないのか判断に迷う数やめろ。そのことは哲也には前話しただろ? その写真は今度写真部としてコンテスト……に、あ」
「何だよ」
「いや、ちょっと」
行人は哲也の手から渡辺風花の写真を奪い返し、エルフの渡辺に今のやり取りが聞こえていないかどうか様子を窺う。
すると向こうは向こうで、膝の上に手を置きながら必死にこちらに顔を向けないようにしながらも瞳の動きを司る外眼筋の全てを総動員してこちらを横目で見ていた。
その横顔を見ると、特徴的な長い耳と不思議な色の髪がよりはっきりと観察できた。
そして全力の横目で行人を見ていたエルフの渡辺は、行人と目が合うとさっと目をそらしてしまう。
その隙を突いて、行人はスマホのカメラを起動してエルフの渡辺に一瞬向ける。
「マジか」
盗撮を否定した手前あまりいい気分はしなかったが、それでもスマホのカメラに捉えられたエルフの渡辺の姿は、画面の中でだけ渡辺風花の姿に戻っていたのだ。
どんな仕組みなのかは分からない。
まだエルフ云々を受け入れたわけでもないし、自分の目や脳が異常を起こしたと考える方がまだ現実的だと思っている。
だがともかくエルフの渡辺の『魔法』とやらを破ったのはどうやら行人の目だけであり、スマホのカメラのレンズにもきちんと『魔法』が効いているらしい。
ということは、これから先はカメラ越しに見続ければ、とりあえず渡辺風花の姿を捉えることはできるということである。
「いやそれじゃ何も解決しないだろ」
「は?」
いくらカメラ越しならこれまで通りの姿を見ることができるからと言って、常にカメラ越しに相手を見るわけにもいかない。
それこそスマホ用VRゴーグルでも常に装着したまま生活しないと、渡辺風花の姿を捉えることはできないということではないか。
そんなことができる学校は今のところ地球上のどんな文化圏にも存在しまい。
それでもこの仕様は今後の大きなヒントだ。
被写体の大きさや距離に応じてレンズを入れ替えるのはカメラの基礎だ。
あのエルフの渡辺の正体を見極めるためにも。