エルフの渡辺

第二章 渡辺風花はそわそわしている ①

「エルフじゃんっ!!」


 思わず叫んだ突っ込みの対価は、既に登校していたクラスメイト全員からのげんそうな視線だった。

 日本人の若者は、多かれ少なかれ空気と雰囲気と視線の裏にある意図を読む能力を持っている。

 ゆくの、比較的自分でも優れているという自負のある空気読みセンサーがそれらの視線を分析したところ得られた結論は、今この教室でおかしいのは、急に叫んだ自分だけだということ。

 すなわち、エルフが制服を着て教室にいてわたなべふうの席に座っていることを疑問に思っている生徒は一人もいないと考えるべきだということだ。


「……! ……!」


 そして何よりそのエルフ本人がしきりにゆくにアイコンタクトを送ってきているのだ。


『混乱は承知だが騒ぎ立てると不利になるのはそちらだぞ』と。

 いや、あのエルフが本当にわたなべふう本人だと仮定した場合、


「クラスのみんなには私の今の姿が見えていません。そういう魔法です。混乱させて本当にごめんなさい。でも信じてください」


 というところだろうか。


「ん?」


 そんな想像をしたときにポケットの中でスマホが震え、手に取るとわたなべふうのアカウントからメッセージがポストされてきていた。


『カラスのんなには私の居間の姿が見えて居間せん。そういう魔法を遣われています。混乱させて本当ニゴメンナサイデモシンジテクダサイ』

「あー」


 見るとエルフのわたなべが自分のスマホとこちらを交互に見ながら慌てふためいてもじもじしている。

 急いで打ったメッセージの誤字や予測変換のミスに気づき、意図が正確に伝わっているか不安になっているのだろう。


「あー、あー」


 送られてきたメッセージは、変換ミスだらけではあるがほぼゆくの想像通りのものだった。

 自分のわたなべふうに対する解像度の高さに驚くと同時に、視界に映るエルフの姿が解像度とかそれ以前の問題なので、またゆく眩暈めまいがしてきた。

 それでもゆくは必死の気力でそのメッセージに返信し、一気に脱力して自分の席に向かう。

 エルフのわたなべをちらりと盗み見ると、彼女はゆくとスマホを交互に見ながら、少しだけ表情を明るくしていた。

 その表情には明らかにあんが含まれていることに、ゆくかすかな罪悪感を覚える。

 その罪悪感の正体を、ゆくは今のこの瞬間だけは見て見ぬふりをした。

 意識を別のことに向けようとして、ゆくはついかばんの中にあったカメラを取り出そうとし、そのカメラもまたわたなべふうと密接に関わることであることを思い出してしまう。


「なぁゆく

「うわっ」


 そのとき突然死角からてつが声をかけてきて、ゆくかばんごとカメラを取り落としそうになり、そのせいでカメラ以外のかばんの中身が床にこぼれ出てしまう。


「驚かすなよ」

「悪い悪い。でもさっき急にどうしたんだよ。いきなりインドの数学者の名前叫んで」

「誰もラマヌジャンとは言ってない!」


 エルフのことを叫んだことは知られたくなくともラマヌジャンは違うだろうとつい突っ込んでしまったゆくは、そのせいで床に散らばったあるものを回収するのが一手遅れた。


「あれ? ゆくこれ…………これ……おいゆく、これ……」

「あ」


 てつが拾い上げたのは、OPP袋に入ったわたなべふうの写真だった。


「これ、お前……」

「盗撮じゃないからな」


 てつが何を言い出すか分からないのでとりあえずけんせいしておくと、てつの眉間のしわが一段階深くなる。


「それは疑ってねぇよ。視線思いっきりレンズに向いてるしな。むしろ盗撮じゃねぇから問題なんだよ」

「は?」

「お前さ、何写真にかこつけてわたなべさんと距離縮めてるわけ?」

「はあ?」


 わたなべふうの写真とともに距離を詰めてくるてつに、ゆくは思わず身の危険を感じる。


わたなべさんの良さに気づいてんのがお前だけだと思うなよ」

「……はあ」

「この写真の存在が明るみに出れば全校の隠れわたなべファンを敵に回すぞ?」

「ん? 何? 全校の何? 隠れわたなべファン?」


 色々ツッコミどころはあるが、初めて聞く単語を思わず尋ね返してしまう。


わたなべさんの良さを知ってるのは自分だけだと思ってる男子の集団だ」

「何だよその悲しさが極まった集団は」


 自分自身がわたなべふうに恋をして告白までしているのでてつの言うような男子が他にいること自体は不思議ではない。

 だが『わたなべさんの良さに気づいているのは自分だけ』と思っている孤独な思想の男子がか集団としててつに認識されているという矛盾と虚無がこんぜんいつたいとなった『隠れわたなべファン』なる存在に、ゆくはある種の畏怖を抱かずにはいられなかった。

 何せゆく自身も『わたなべふうの良さに気づいているのは自分だけ』と思っていた男子の一人なのだから。

 彼らと違うのは、わたなべふうとの関係の構築に当たって臆さず隠れなかったことと、告白という行動に出たこと。

 そしてそのせいでガチの『誰も知らないわたなべふうの真実』らしきものを知ってしまったことだ。


「どうしたゆく。頭を抱えて」

「いや、ちょっと自分の置かれている状況に混乱して」

「怖いか。俺達『隠れわたなべファン』の存在が」

「マジで怖いよそれは。いや、そうじゃなくて……」

「だったら吐け。どういう経緯でわたなべさんの写真を合法的にこんな撮っていいことになった? ことによったら総勢二十名を超える隠れわたなべファンが黙っちゃいないぞ」

「多いのか少ないのか判断に迷う数やめろ。そのことはてつには前話しただろ? その写真は今度写真部としてコンテスト……に、あ」

「何だよ」

「いや、ちょっと」


 ゆくてつの手からわたなべふうの写真を奪い返し、エルフのわたなべに今のやり取りが聞こえていないかどうか様子をうかがう。

 すると向こうは向こうで、膝の上に手を置きながら必死にこちらに顔を向けないようにしながらも瞳の動きをつかさどがいがんきんの全てを総動員してこちらを横目で見ていた。

 その横顔を見ると、特徴的な長い耳と不思議な色の髪がよりはっきりと観察できた。

 そして全力の横目でゆくを見ていたエルフのわたなべは、ゆくと目が合うとさっと目をそらしてしまう。

 その隙を突いて、ゆくはスマホのカメラを起動してエルフのわたなべに一瞬向ける。


「マジか」


 盗撮を否定した手前あまりいい気分はしなかったが、それでもスマホのカメラに捉えられたエルフのわたなべの姿は、画面の中でだけわたなべふうの姿に戻っていたのだ。

 どんな仕組みなのかは分からない。

 まだエルフうんぬんを受け入れたわけでもないし、自分の目や脳が異常を起こしたと考える方がまだ現実的だと思っている。

 だがともかくエルフのわたなべの『魔法』とやらを破ったのはどうやらゆくの目だけであり、スマホのカメラのレンズにもきちんと『魔法』が効いているらしい。



 ということは、これから先はカメラ越しに見続ければ、とりあえずわたなべふうの姿を捉えることはできるということである。


「いやそれじゃ何も解決しないだろ」

「は?」


 いくらカメラ越しならこれまで通りの姿を見ることができるからと言って、常にカメラ越しに相手を見るわけにもいかない。

 それこそスマホ用VRゴーグルでも常に装着したまま生活しないと、わたなべふうの姿を捉えることはできないということではないか。

 そんなことができる学校は今のところ地球上のどんな文化圏にも存在しまい。

 それでもこの仕様は今後の大きなヒントだ。

 被写体の大きさや距離に応じてレンズを入れ替えるのはカメラの基礎だ。

 あのエルフのわたなべの正体を見極めるためにも。