エルフの渡辺

第二章 渡辺風花はそわそわしている ②

 そして宙ぶらりんになってしまった渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)への恋を成(じよう)就(じゆ)させるためにも。

 少なくともスマホ越しにエルフがいつもの渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)に見える、という事象は重要事項として記憶しなければならない。


「だからそれじゃ何も解決しないっ!」


 そこまで考えてから、一体何がどう重要なのか頭の中で整理しきれず再びのセルフ突っ込みが炸(さく)裂(れつ)してしまい、


「おい、本当大丈夫か? 実はマジで具合悪かったりしないか?」


 謎の存在をちらつかせて謎の脅迫をしてきた哲(てつ)也(や)は、苦(く)悶(もん)の表情で頭を抱える行(ゆく)人(と)の様子が思いがけずシリアスだったためか、渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)の写真を名残り惜しそうに眺めながら自分の席に戻って行った。

 すると、行(ゆく)人(と)が一人になるのを見計らったようにエルフの渡(わた)辺(なべ)が意を決して立ち上がり、行(ゆく)人(と)の机の横にやってきた。


「あの、えっと……お、大(おお)木(き)く〜ん」


 これまで迂(う)遠(えん)なコンタクトに終始してきたエルフの渡(わた)辺(なべ)が接近してきたので行(ゆく)人(と)はつい身構える。明らかに緊張した面持ちからして、もしかしたら今の今まで行(ゆく)人(と)に声をかける機会をうかがっていたのかもしれない。

 小学生でももう少し綺(き)麗(れい)に棒読みするだろうわざとらしさで、エルフの渡(わた)辺(なべ)は行(ゆく)人(と)の机の上に戻った写真を覗(のぞ)き込んだ。


「わ、わあ、大(おお)木(き)くん、これって、もしかして、昨日の写真ー?」

「あ、う、うん、そうだけど……」

「そ、それで大(おお)木(き)くん、今日はどこでどんな写真を撮るのー?」

「えっ?」

「だ、だってまだ、コンクリートに出す写真は撮れてないでしょ?」

「コンクリート?」

「こん、こ、コン、コンサート」

「……コンテスト」

「そう、コンテスト! ええとそれでね、今日の部活はちょっと昨日とは違うことやらなきゃいけなくて、だからもし今日も写真を撮るなら、えっと、その……あのね?」


 用意してきたであろうセリフを間違いまくって声が少しずつ小さくなって、恥ずかしそうに少しずつ目が伏せられていった。


「相談したいことがあるので、一緒にお昼……食べませんか」

「あ……うん、分かった」


 その瞬間、首に哲(てつ)也(や)の嫉妬から生まれた怨(おん)霊(りよう)の手が纏(まと)わりついたような気がした。

 理屈は吞(の)み込めていないことを丸ごと無視して、エルフが間違いなく渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)なのだと仮定した場合、総勢二十名以上いるらしい『隠れ渡(わた)辺(なべ)ファン』の嫉妬と羨(せん)望(ぼう)を一身に受ける羽目に陥る。


「それじゃあ園芸部の部室でいい? そこなら、誰も来ないから……」


 だから周囲を刺激するような余計な一言を付け加えないでほしい。

 多分だが、部活の相談云(うん)々(ぬん)は周囲に怪しまれないための方便で、きっと改めて『エルフ』にまつわる色々を話そうということなのだろう。

 それなら確かに誰も来ない環境が望ましいのだが、今この状況でそれを言うのは、男子人気を一身に集める女子が特定の男子を誰も来ない部室で一対一になるよう誘っているようにしか見えないのだ。

 行(ゆく)人(と)は、隠れ渡(わた)辺(なべ)ファンの怨(おん)霊(りよう)がずっしりと肩にのしかかって来たかのように思えた。


「そ、それじゃお昼、部室でね?」


 手を振って自分の席に戻ろうとするエルフの渡(わた)辺(なべ)を、行(ゆく)人(と)は思わず呼び止めた。


「あ、待って。一応これ」


 差し出した写真をエルフの渡(わた)辺(なべ)は目で見たものの、受け取ることはしなかった。


「それも、お昼のときでいい?」

「あ、うん……それじゃあ」


 頷(うなず)くエルフの渡(わた)辺(なべ)を見送った行(ゆく)人(と)の肩に、物理的な重さがズシリとかかった。


「ゆーくーとーくーーん?」


 そこにのしかかっているのは、そのまま怨(おん)霊(りよう)に身を落としかねない昏(くら)い眼光を湛(たた)えた哲(てつ)也(や)だった。


「誰も来ない部室……男女二人……カメラ……行(ゆく)人(と)……お前……」

「な、なんだよ」

「いいショットが撮れたら俺にもお裾分けはあるよなぁ? 俺達友達だもんなぁ?」

「ファンを自称する癖に裏ルートで写真を強(ね)請(だ)るような下(げ)衆(す)を友達にした覚えはない」

「いいじゃねーかよ行(ゆく)人(と)ぉ! そうじゃないと全国の隠れ渡(わた)辺(なべ)ファンが黙ってねぇぞぉ!」

「全校なのか全国なのかはっきりしろ。てかそのまま一生隠れててくれ」


 行(ゆく)人(と)は欲望丸出しの哲(てつ)也(や)の顔にアイアンクローを極めて引きはがす。


「痛(いた)……いててて、あれ! お前意外と握力こんな強……いてててて!」

「こっちは、色々マジなんだからさ」


 視線の先には、一時間目の授業の用意を始めるエルフの渡(わた)辺(なべ)の姿しか映っていなかった。

 この世界の存在とはとても思えないのに、自分と全く同じ教科書と、どこにでも売っているようなノートとペンケースとシャープペンを用意して学校の制服を纏(まと)う、渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)を名乗るエルフの姿しか。


◇


 ノックの回数には正しいマナーがあると、つい先ほど、スマホで調べた。

 ノックの回数は二回、三回、四回があり、国際基準では四回、日本のビジネスシーンでは三回が正しいとされ、二回はトイレや空室の確認をするものだから相応(ふさわ)しくないらしい。

 元々ノックの回数など無駄に強い力でドアを殴ったり百回も間断なく打ち込むような極端なことさえしなければ、一般的な礼儀を備えていれば悩むことはないものだと思うのだが、それでもこんなことを調べたのは、エルフという種族が現実に存在するのかも、と改めて考えてしまったからだ。

 いや、実在はしているのだ。恐らく。きっと。自分のクラスに。まだ信じきれたわけではないが。

 ともかく仮に目に見える現実を全て無条件に信じた場合、エルフの文化が人間と違うケースにふと思い当たったのだ。

 日本では何の問題ない行動が別の国では逮捕される原因になることもある。逆も然り。

 もしかしたらこの世のどこかにあるエルフの世界では、ノック三回で扉を叩(たた)くのはその場で蛙(かえる)に変身させられても文句の言えない大罪である可能性も否定できない。

 昼休み。園芸部部室。

 校舎の片隅の、渡(わた)辺(なべ)風(ふう)花(か)が部を再興するまで倉庫として使われていた小さな部屋の、中の見えない金属扉を恐る恐る二回ノックすると。


「ぐぎゅるるるううううううううううううう……」


 海中で録音した鯨の鳴き声のような音が返ってきた。エルフ式の挨拶だろうか。

 金属扉越しなのにしばらくドタバタと慌ただしく動く音が聞こえてきて、それからすぐにドアが内側からこちら側に向けて開く。


「い、いらっしゃい大(おお)木(き)くん。待ってたよ。どうぞ入って」


 何(な)故(ぜ)か冷や汗をかいたエルフの渡(わた)辺(なべ)が現れて、行(ゆく)人(と)を中に招き入れた。

 同時に、先程の「ぐぎゅるるる」という重低音が響き渡る。


「どうぞ、好きなところに座って下さい」

「う、うん、お邪魔します。遅れてごめん。いつもは弁当なんだけど、今日は購買で」

「大丈夫だよ。こっちこそ急に誘ってごめんね」


 古いパイプ椅子に座るエルフの渡(わた)辺(なべ)から、またぐぎゅるると重低音。


「ごめん、あの、大分待たせた? もしかして凄(すご)くお腹(なか)空い……」

「そ、そんなこと、な、ないよ! さ、さあとにかく食べよ!」

「あ、うん、いただきえっ!? デカっ!!」


 普通に考えれば、ランチでご一緒する女子にそんなことを言うのはデリカシーに欠けおよそ褒められたものではない。それでもつい口を突いて出てしまうくらい、エルフの渡(わた)辺(なべ)が取り出した弁当は大きかったのだ。

 もはや重箱だ。弁当箱などという生易しいものではない。三段重ねの赤い漆塗りの重箱がテーブルに乗っているのだ。

 それだけでも圧巻なのに、更にエルフの渡(わた)辺(なべ)は重量感のあるクラフトペーパーバッグを取り出してて、ごとりという音を立ててテーブルに置くのだ。


「あの、大(おお)木(き)くん。あんまりじろじろ見ないでもらえると……」


 向かい合って食べるのに無茶な注文だ。だが行(ゆく)人(と)が何か答える前にまたぐぎゅるるる音が鳴り響き、エルフの渡(わた)辺(なべ)はそれをかき消すようにパチンと音を立てて手を合わせた。


「い、いただきまーす」


 明らかに一人で食べる量ではないので、行(ゆく)人(と)はほんの一瞬だけ、もしかして自分の分もあるのではないかというお花畑な思考に支配されるが、次の一瞬でその夢想は儚(はかな)く吹き飛ぶ。