第三章　渡辺風花はスムージーが飲みたい ①

「行（ゆく）人（と）。お前今日も園芸部行くのかよ」

　放課後、授業が終わった教室で、行（ゆく）人（と）は哲（てつ）也（や）に声をかけられた。

「いや。今日は俺が顔知らない新入生が来るみたいだから遠慮した」

「ふーん。じゃあ帰るん？」

「いや。今日は写真部の部室行こうかなって。ここんとこ掃除サボってたからさ」

「そっか。どうなんだよ写真部の方は。お前も部長だろ。新入部員入りそうなのか？」

「いやあ望み薄」

　行（ゆく）人（と）は残念そうに肩を竦（すく）める。

「そっちは今年、大量入部したんだろ？　やっぱ実績あるスポーツ部は違うな」

　哲（てつ）也（や）はバレーボール部に所属していた。

　昨年の春高バレー東京予選三位という過去最高の成績を出したためか今年は例年になく大勢の後輩が入ってきたようで、時々一年生相手に先輩風を吹かせている姿を見ることがあった。

「まあなあ。多いのはいいんだけど、何人か今すぐレギュラー入りできるんじゃねーかってのがいて、二年でギリギリベンチにしがみついてる俺はちょっとビビってるよ」

「頑張れよ。夏の大会の応援、行けたら行くから」

「それ絶対来ねぇ奴（やつ）じゃん」

「行けたら行くって。それじゃ」

「おーう」

　手早く荷物を纏（まと）めて足早に去っていく行（ゆく）人（と）を見送ってから、哲（てつ）也（や）も部活に向かう準備を始めようとすると。

「お？」

　見慣れない女子が教室を覗（のぞ）きこんでいることに気づいた。

　渡（わた）辺（なべ）風（ふう）花（か）の良さを見抜いたことに定評のある哲（てつ）也（や）アイが、その女子が素晴らしい美少女であることにいち早く気づくと、アウトサイドヒッターとして鍛えた瞬発力を駆使し、一瞬で距離を詰めていった。

「どうしたの？　誰か探してるん？」

「え。うわ」

　女子は驚いたように半歩身を引いたが、すぐに人好きのする笑顔になって小首をかしげて上目遣いで哲（てつ）也（や）を見上げた。

「はいそうなんですー、渡（わた）辺（なべ）風（ふう）花（か）先輩、いらっしゃいますか？」

「渡（わた）辺（なべ）さん？」

　哲（てつ）也（や）は意外な名前に目を瞬（またた）かせ、教室に軽く目をやる。

「いや、いないな。もう部活行ったんだと思うけど、もしかして君、園芸部の新入生？」

　女子のリボンが今年の一年生を示すブルーのラインが入ったストライプ柄だったのでそう問うと、その女子は曖昧に頷（うなず）いた。

「そんなところです。扱いはまだ仮入部なんですけど」

「へーそうなんだ。俺、小（こ）宮（み）山（やま）哲（てつ）也（や）。今年の男バレのスタメンレギュラーになるから、名前だけでも覚えて帰って！」

「あはは、面白い人ですねー。そんなことより渡（わた）辺（なべ）先輩がいないならー」

　哲（てつ）也（や）がねじ込んだ自己紹介を軽くいなした一年女子は、すっと目を細めて低い声で尋ねた。

「大（おお）木（き）行（ゆく）人（と）って人、いますか？」

「行（ゆく）人（と）？　行（ゆく）人（と）は……え？　行（ゆく）人（と）？」

「写真部の部長さんだって人、いますよね。このクラスに」

「いるけど……なんで？」

　哲（てつ）也（や）の問いには、同級生男子としてのカオスな疑問が凝縮されていた。

　うっかり軽口を叩（たた）いてしまったが、落ち着いて向かい合うとこの女子はちょっとなかなか見ることのできない美少女だ。

　ややウェーブがかかった肩まで伸びたツインテールは、あざとい一歩手前で踏みとどまる絶妙なバランスであり、瞳の色は碧（へき）眼（がん）と勘違いするほどの深い怜（れい）悧（り）なグレー。

　小柄だが男の視線を集める肢体が完璧に制服にマッチしていて、基本欲望に忠実な哲（てつ）也（や）が、思わず喉を鳴らすのを我慢するほどだった。

「なんで？」

「お話ししてみたいんですよ。大（おお）木（き）センパイと。それじゃいけません？」

　怜（れい）悧（り）な鋭い瞳に、哲（てつ）也（や）は気づいた。

　この子は、昼休みに園芸部の部室の前で仁王立ちしていたあのギャルだ。

「その感じだと教室にはいないんですね。どこにいるんです？　大（おお）木（き）センパイは」

「しゃ……写真部の部室行くって、言ってたけど」

「そうですか。どーも。ありがとうございまーす」

　必要なことは聞いたとばかりに軽く会（え）釈（しやく）すると踵（きびす）を返（かえ）してしまう。

「あ、あの、場所分かる？　送ってこうか？　写真部」

「大丈夫でーす。分かるんで」

　投げかけた軽い言葉は、その軽さを証明するかのように振り返りもせず弾（はじ）き飛（と）ばされ、

「なんでぇ？」

　哲（てつ）也（や）は色々と納得がいかない様子で呆（ぼう）然（ぜん）と立ち尽くしたのだった。

◇

「か、仮入部!?　本当に!?」

「はい！　私、写真に少し興味があって」

　部室の入り口に現れたどこか見覚えのある女子に向かって、行（ゆく）人（と）は思わず、その場で手を合わせ跪（ひざまず）きそうになった。いや、跪（ひざまず）いていた。

「あ、あの、どうしたんですか？」

「なんだか、後光が差しているように見えて」

　新年度が始まって久しいが今のところ写真部には新入生どころか仮入部希望者すら存在しない始末だった。

　現実問題として、行（ゆく）人（と）に一学年上の先輩がいないことからも分かる通り、写真部は例年新入部員の獲得に苦労していた。

　卒業した三年生は人数も層も豊かでそれぞれに色々なカメラや写真の知識・知見を持っていたが、先輩曰（いわく）くその圧が強すぎて行（ゆく）人（と）に先輩を作ってやれなかったのだと詫（わ）びられたことがあった。

「部員は俺一人で、仮入部すら申し込みが来たことなかったから、本当、感動しちゃって」

「一人って……それじゃあ外で活動してるとき誰か来ても分からないじゃないですか」

「一応対策はとってたんだけどね」

　部室の外にはご自由にお持ちくださいのチラシと『入部・仮入部希望者はこちらへ』と行（ゆく）人（と）に直通するメッセージアプリのＱＲコードを掲示しているのだが。

「まぁ、来ないよね」

「でしょうね。相手がどんな顔してるかも分からないのにいきなり直通はちょっと」

「い、一応新入生向け部活ガイダンスのときに顔出しはしたんだけどね」

　自分でも目立つタイプの顔立ちではない自覚はあるし、教員の許可を取って卒業したばかりの元三年生が応援に来てくれたりもしたのだが、結果はご覧の有（あり）様（さま）だ。

「ごめんね、挙動不審で。こんなこと言ったけど、まずは気楽に体験してもらえればと思ってます。じゃあとりあえず、クラスと名前教えてもらっていい？」

　問いかける行（ゆく）人（と）に、女子は蠱（こ）惑（わく）的な笑みを浮かべて言った。

「はぁい。一年Ｃ組の、小（こ）滝（たき）泉（いず）美（み）って言います」

　エルフの渡（わた）辺（なべ）は、園芸部の部室で一人、静かに座って待ちぼうけしていた。

「おかしいなぁ。泉（いず）美（み）ちゃん、もう来てもいいはずなんだけどなぁ」

◇

「それで、写真部ってどんなことやってるんですか？」

　小（こ）滝（たき）泉（いず）美（み）と名乗った一年生女子の問いに対する行（ゆく）人（と）の答えはシンプルだった。

「基本は撮りたい写真を撮りたいカメラで撮ってるだけかな」

「おお、そのまんま」

「もちろんコンテスト目指してとかカメラ関連の勉強会とかやらないわけじゃないよ。実際俺も今、コンテスト目指した写真撮ってるし」

「ああ、コンテスト。なるほどです」

　泉（いず）美（み）の目が少し細まったことに、行（ゆく）人（と）は気づかなかった。

「まぁ今じゃ俺一人だから勉強会もクソもないし、今日は折角仮入部に来てもらえたんだから、普通に撮影の実践しようかなと思うんだけど、小（こ）滝（たき）さん、写真に興味があるって話だけど、例えばこんな写真が好きとか、どんな写真を撮ってみたいとか、ある？」

「んー、まあ興味があるといってもそこまで本格的に知ってるわけじゃないんですけど、やっぱどうしても、こういうことになっちゃいますよね」