「渡辺さん。よかったら教えてくれないか。渡辺さんのこと。魔法のこと。エルフのこと。多分小滝さんが知ってて、俺が知らないこと。……無理にとは、言わないんだけど」
泉美はこの先もずっと、エルフの渡辺のそばにいる。
エルフの渡辺もずっと、泉美のそばにいるだろう。
『エルフの真実』という強い絆で繫がっている幼馴染二人のそばに、同じく『エルフの真実』を知った者として居たいと思うのなら、礼儀と誠意を尽くさねばならない。
「分かりました」
エルフの渡辺も真剣な顔で、行人の言葉に応えてくれた。
「ちょっと長い話になるし、泉美ちゃんに予め話しておかなきゃいけないこともあるの。今日これからすぐにっていう訳にはいかないんだけど、私も、大木くんに聞いてほしいこと、沢山あります。聞いてもらえますか」
「もちろんだよ。ありがとう」
大きな安堵が、緊張していた行人の頰と心拍数をわずかに緩める。
だが次の瞬間、その心拍数が激烈に増大する事態が発生した。
「あと多分、お話するときは学校じゃなくて、私の家に来てもらうことなるけど、いい?」
「いっ、いいよっ!?」
予想外すぎる申し出に、行人は声を上ずらせながらも反射で了承してしまった。
「学校からそんなに遠くないから、来てもらえるようになったら、早めに連絡するね」
「う、うん、分かった」
「本当にそんなに待たせたりしないから、もう少しだけコンテスト用の写真撮るの、待ってもらっていい?」
「ああ、それはもちろん……」
「ごめんね」
「だから渡辺さんが謝ることじゃないよ」
全く以て、エルフの渡辺が謝ることではない。
エルフ云々に関係無く、渡辺風花の写真を撮りたいのはどこまで行っても写真部部長である大木行人の都合でしかないのだから。
「それじゃあ、また連絡するね」
そう言うと、エルフの渡辺は泉美が残した道具を小柄な体で抱えてがちゃがちゃと音を立てながら立ち去った。
手伝うと言うべきだったろうか。
エルフの渡辺の姿が見えなくなってからそんな後悔が微かによぎったが、まさしく後の祭りだった。
「こういうとこがきっと、小滝さんは気に入らないのかもな」
普通に考えたら手伝う所だったと思う。
エルフの渡辺が持ち帰ったのは鍬と鋤とスコップの三本。一人で抱えきれない量ではないが、手伝えば多少楽になる量だ。
「……こういうとこだよなぁ」
見過ごしてしまったことをいくら考えたところで仕方がない。
行人は小さすぎる未練を断ち切るように大きく息を吐くと、自分も耕された花壇に背を向け、帰路ではなく写真部への部室へと向かおうとする。
「いい構図だと思ったんだけどな」
一瞬振り向いて、誰もいなくなった花壇を振り返り、ファインダーを覗く。
エルフの渡辺に促されて撮影した泉美の作業中のワンシーン。
柄の長い道具を手にしていたから画角も決めやすく、真剣な表情も相まって現像しなくとも良い写真になったことは確信できるものだった。
だが、ファインダーの中の泉美は輝いていなかった。
カメラとファインダーが教える輝く被写体と、写真の出来具合に対する納得感は、必ずしも一致するものではなかった。
もちろんこんなことを本人には言えないし、そもそもこのファインダーの秘密を誰にも話したことはない。
何もない柔らかい地面をファインダーで見ても特に何も起こらず、行人は嘆息してカメラを下ろすと写真部の部室に向かった。
部室に戻ると相変わらず新入部員募集用のチラシは減っておらず、当然SNSにも何の連絡もない。
「ま、今はそれどころじゃないんだけど」
呟きながら行人は部室に入る。
部室の時計は既に十八時を回っていた。少し空腹を覚えるが、特に家に連絡をする必要はない。
今日も母は仕事で帰りは夜遅くなるだろう。
行人は自宅の自室以外では最も落ち着ける場所で、心を鎮めたかった。
「家、かぁ……家かぁ!」
写真部の部室にはそもそも誰もいないし、部室の周りもほとんど人が来ないので、感情が溢れそうになったときに声を出せるのが良いところだった。
「家かぁ……!!」
もちろん想像したことはある。
渡辺風花の家は、どんな家なのか、と。
残念ながら、先日の告白まで渡辺風花と自宅や家族に関する話をした記憶がほとんどない。
それこそ姿勢が良いのは母のしつけが厳しかったからだ、というのがほとんど初めてではなかろうか。
今となってはそれもある程度納得できる。
正体がエルフであるなら、そうそう簡単に自宅や家族のことを話せるはずがない。
「家か……」
普通ならば、想いを寄せる女子の家に招かれるなど、人生でも一、二を争うほどに華やぐイベントのはずだ。
単純に女子のプライベートゾーンに踏み込む緊張とその許可を得た喜び。到着するまでどんな会話をしようかという期待と不安。関係性がより深まるかもしれないという微かな希望。
そんなような色々な意味でポジティブなことでドキドキするイベントのはずだ。
もちろんそれらのことを全く考えていないわけではない。
いないわけではないが、それを圧倒的に凌駕するのが、渡辺風花の正体がエルフであるという大きすぎる前提だ。
そんなに遠くない、という表現は、普通なら徒歩で十分前後の場所にあるという意味だろうが、極端な話、魔法の力で瞬間移動して日本の外に連れていかれる、という可能性も今となっては全くのゼロではないのだ。
いや、場合によっては日本どころか地球の外まであるかもしれない。
「まぁ、小滝さんがいるからさすがにそんなことはないだろうけど……」
小学生時代から幼馴染だというからには少なくとも行人が理解できる『小学校』と『中学校』に通っていた時代があるはずだ。
泉美が帰国子女で実は二人とも海外の小中学校卒という可能性もゼロではないが、地球の外、即ち『異世界』と呼ばれるような概念の場所に連れていかれるよりはずっとマシだろう。
「マシか?」
エルフの原典は北欧神話にあるということは既にネットで調べた。
そして北欧と呼ばれる地域で日本語が普遍的に通じる国は存在せず、英語以外の外国語を知らない上に英会話ができるわけでもない行人がもし北欧に連れていかれれば、それはそれで詰みではある。
「いや、ないよな。流石にないよな」
そう考える頼りない根拠はエルフの渡辺の三段重箱に入った弁当である。
のり弁とから揚げとポテサラ。
多分、大量に何かを食べようと思ったときあの和風の重箱にあの内容の食べ物を詰め込む文化は北欧にはあるまい。
それはそれとしてリンゴの丸齧りがいかにも海外風味を醸し出すのでそれが行人の不安を逆に証明してしまっているような気もするが、リンゴも食べたいと思えばスーパーマーケットで買えるものだ。
「となると……あとは、ご家族か……」
女子の家で家族に会う、というのもなかなか緊張するイベントだ。
これに関してはある意味家の場所よりもよほど現実的に不安が大きい。
ごくごく当たり前のことだが、子どもがエルフなら、親だってエルフだろう。
『大人になった奴には必ず、毎日を真剣に生きる理由があるもんだ』
「っ!」