エルフの渡辺

第四章 渡辺風花は教えてくれる ⑤

 このカメラをのぞいて見える被写体の輝きと写真の出来に全く関係がないのは、使い始めたこの一年の間に理解している。

 誰が見ても明らかにい被写体のときに輝かず、こんなものが? というものが輝いていたりすることもままある。

 輝く被写体を撮ると、わざと構図を外しても不思議と味のある写真に見えるのは気のせいだろうか。

 今日撮ったのはいずだけではない。エルフのわたなべがフィルムカメラでどう写るか試したくて、本人の許可も得ていずと一緒に何枚か撮らせてもらったのだ。


「エルフじゃない、な」


 本人も言っていたことだが、フィルムカメラだろうがエルフの姿が写ることはないだろうとのことで、実際に現像されたものは日本人わたなべふうの姿だった。

 そして今日は何度彼女をファインダーに収めても、エルフのわたなべがファインダーの中で輝くことはなかった。


「今更だけど何なんだろうな、このカメラ」


 父の部屋にあったカメラだが、どこにもメーカーのロゴや刻印などはなく、ネットで検索したりいつものカメラ店で調べてもらっても、メーカーも生産国も分からなかった。

 父のカメラコレクションの中で使えるフィルムカメラはこれ一台であり、一般的な市販フィルムが適合するためメーカーが分からなくても困ることはない。

 だが父のコレクションの中にも適合するレンズは今つけている一本しかなく、将来違うレンズを使いたいと思ったときには、諦めて別のカメラを使うことになるかもしれない。


「まあ、まだ特別なレンズがいるような写真を撮る予定無いからいいけど……ん?」


 そのとき、ポケットの中でスマホが震え、母から夕食のリクエストでもあるのかと何気なく手に取り、画面を見る。


『こんばんは。今日はいずちゃんがごめんなさい。私の周囲の事情を話す件で、明日の放課後に私の家に来てもらいたいんだけど大丈夫ですか? 私の家は学校から歩いて十五分くらいのところにあります。返信お待ちしています』

「急だな!? そんで本当に近いな!」


 いずの許可もいるみたいなことを言っていたような気もするし、それこそ『エルフ』にまつわることを他人に話すことに家族が関係してはいないのだろうか。


「エルフにまつわる秘密って案外、そんなに重い事情じゃなかったりするんだろうか」


 元々想像していたのとは別のベクトルで疑問が疑問を呼ぶが、とにかく既読をつけてしまったので、迅速に返信をしなければならない。


「大丈夫です。明日お邪魔します。……っと」


 そう返信すると、熊を模した人気キャラクターの『ありがとう』スタンプが送られてきた。

 わたなべふうとスマホで連絡を取り合うようになってから見慣れたスタンプだ。

 あまりにいつも通りでこれ以上何か質問を重ねることもできず、なんだか力が抜けてしまった。


「メシ作って、今日は早めに寝よう」


 出来上がった写真をエルフのわたなべいずの分にそれぞれOPP袋に分け、制服のブレザーだけ脱ぐと重い足取りキッチンに向かう。

 豆腐とカットして冷凍したネギでしるを準備し、同じく冷凍したご飯をレンジで解凍し、賞味期限ぎりぎりのベーコンと乾きそうなにんじん、半分余った玉ねぎを刻んだものと混ぜてケチャップでいためる。

 最後に牛乳と少しの白だしを加えて溶いた卵で平たい卵焼きを二枚作ってケチャップライスに乗せると、簡易オムライスの完成。二品だけではバランスが悪いかと一瞬考えたが、


「ただいまー」


 ちょうどそのタイミングで母が仕事から帰宅したので、諦めて作ったものだけをテーブルに展開した。


「おかえり。丁度メシ出来たよ」

「あー、ありがと。って、オムライスにしるってどういう取り合わせ?」


 ゆくの母、おお。ビジネスバッグにパソコンや書類をぱんぱんに詰め込み、セミカジュアルなグレーのパンツスーツを着た母は、それらをどっかりと足元に下ろすとさっと食卓についた。


「冷蔵庫の余り物の集大成。明日は色々新しくなるから今日は我慢してくれ。あと疲れてんのは分かるけどメシ食う前にせめて手は洗えよ」

「はいはい。お母さんみたいなこと言わないでよ。こっちは大人よ」

「お母さんはそっちだし大人なら子どもに言われる前に手洗ってくれ」


 息子に小言を言われ、口をとがらせる母はそれでも素直に洗面所に行くと、ものの数秒で帰ってきた。


「本当に手洗ったのかよ。うがいしたか?」

「したって。親に向かって親みたいなこと言わないで。あーおなか空いた。いただきまーす」


 ドタバタと席に着いた母は問答無用でゆくの作った夕食に箸をつけた。


「ん。しい。卵これ、なんか違うの入れてる?」

「白だし。オムライスにしるだから、ちょっとだけ和風のエッセンス入れようと思って」

「親の嫌味を予測して対策してるなんてわいくない子」


 うれしそうに笑いながらオムライスを食べ進め、ふと言った。


「そういやあんた、高校の写真部は、新入部員は入ったの?」


 その瞬間、自分も食べ始めようとしたゆくがスプーンを持つ手が止まった。


「いや……今のところは」

「そ。まー一人で踏ん張りたくても無理なときはムリになるんだから、ある程度のところで見切りをつけてほどほどにしなさいね。写真なんか頑張ってたってロクなことにならないんだから」


 ゆくは特に返事をしなかったが、手に持ったスプーンの先が下がった。


「しつこいようだけどさ、将来写真で身を立てようなんて思わないでよ。まだ芸人とか漫画家とかになりたいって言われた方が応援できるわ」

「何度も聞いたよ。……そんな大それたこと考えちゃいないって何度も言ったろ」

「なら結構。まあ未来のことは分からないけど、有名なカメラマンだって最初はどっかの企業勤めだったりするんだから、普通の勉強をしっかりしなさいよ。今日も会社で新卒の子達何人かと話したんだけど、今時の子ってかなり物の考え方が堅実でね……」


 母の話が会社の雑談と愚痴にシフトし始めて、ゆくはようやく自分もオムライスを食べ始めることができた。

 それらに適当にあいづちを打っていると、品目の少ない夕食はすぐに終わってしまう。


「ごちそうさま。あーもう今日は限界。シャワー浴びたらもう寝るわ」

「ん。あのさ、母さん」


 ゆくは食器をシンクで水に漬けながら、足早に脱衣所へ向かおうとする母の背に声をかけた。


「父さんもそうなの?」

「何がー?」

「有名なカメラマンだって最初はどっかの企業勤めだったって話」

「あー」


 母の返事は、気だるさでいっぱいだった。


「お父さんがどうであれ、あんたは余計な事考えないで、とりあえずある程度いい大学に進んでおきなさい」


 そして全く答えになっていないことを言って、話は終わりとばかりにさっさとに行ってしまった。

 こうなるともう話はここで終わりだ。

 ゆくとしても話を続けたかったわけではなく、母の圧力に対するちょっとした抵抗くらいのつもりで聞いただけのことだ。

 母に聞かずとも、ゆく自身はその答えを知っている。


「別に何がなんでもって言うつもりはないけどさ」


 母の耳には届かない声には、特に大きな感情の波が乗ることはなかった。


「しつこく押さえつけられると、逆らいたくなるのは子どもの本能だわな」


 母は愚かな人間ではない。仕事で毎日忙しい母が、ちょっとした瞬間に色々言いたくなる気持ちが分からないほど子どもでもないつもりだ。

 だが、やっぱり間の悪さというのはあるもので。


「コンテスト、入賞しないとな」


 ダイニングの照明を落とし、階段を上がって自室に戻る途中にあるのは父の書斎だ。


「明日のことが俺の写真にどう影響するか分からないけど、やると決めたからにはやるよ」


 父の書斎の扉はゆくの声を受け止めるだけで、何の返事もない。

 むしろそのことを確かめたかのようにゆくうなずくと、自室に戻りその夜はもう母と顔を合わせることはなかったのだった。