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翌日の放課後。部活を休みにして正門前で待っていたエルフの渡辺のそばには、全人類の予想通り小滝泉美の姿があった。
「いや、まあ、予想はしてたけど」
「ふん。私が風花ちゃんをセンパイと二人きりにさせるわけないでしょ!」
もはや子猫を守る親猫の如く、今にも爪と牙を剝いてきそうな勢いだ。
「泉美ちゃん!」
「ぶみゃ!」
「私が大木くんを招待したんだから失礼なことしないの! と言うか泉美ちゃん! 大木くんは先輩なんだから生意気言わないの。話が進まないからちょっと下がってて!」
「べ、別にいいじゃん。センパイ気にしてないっぽいし!」
「そりゃ気にしてはいないけど、そっちから言われるのは違……まあいいや」
エルフの渡辺に叱られてもなお二人の間に割り込もうとする泉美に、行人は諦め顔だ。
「もう……ごめんね大木くん。今日は泉美ちゃん、正直いてもいなくてもいいんだけど」
「風花ちゃんヒドいっ!」
エルフの渡辺らしからぬ辛辣さに、泉美はかなり真剣にショックを受けている。
「それでもどうしても着いて来るって言って聞かないし、もしかしたら何か補足してもらえるかもと思って、諦めて着いてきてもらうことにしました」
「うん、いや、特に理由はなくても絶対いるだろうと思ってたから、別にいいよ」
「センパイのくせに人を邪魔者みたいに!」
「後輩のくせにそういうこと言わないの。あんまりひどいこと言うと家に入れないよ」
「一年先に生まれただけでそんなに偉いのかー!」
「もう行くよ。大木くん、行こ」
「あ、う、うん」
しつこく元気に騒ぐ泉美をこれ以上相手にせず、エルフの渡辺は行人の手を取って歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 待ってよ風花ちゃん!」
泉美を隣に立たせないためか、エルフの渡辺は右肩に鞄を掛け、左手はずっと行人の手を握り、離さなかった。
本当に離さなかった。行人の指先を強く握りながら、行人の半歩前を引っ張るように早足で歩くのだ。
行人は指先から伝わるエルフの渡辺のしっとりとした手の感触と、背後から伝わる泉美の憎悪と嫉妬の視線で精神の寒暖差が酷いことになる。
「あ、あの、渡辺さん?」
「迷っちゃったら大変だから」
エルフの渡辺は、伏し目がちに行人の方を見ず早口で答える。
「い、いや、子どもじゃないし街中なんだから、迷ったりは……」
「いいの! それとも……大木くんは、手つなぐの、嫌?」
ここで初めて行人の方を振り向き、上目遣いにそんなことを尋ねてくる。
「い、え、あ、嫌じゃないけど、そりゃあ……もちろん」
行人と言うより、男子高校生という悲しい生き物の偽らざる感情がそう答えさせ、
「よかった」
結果、エルフの渡辺が嬉しそうに笑顔を浮かべるなら、もうそのまま行く以外の行動をとる奴は人間ではない。
「風花ちゃん私も迷う〜!」
「泉美ちゃんはスクバの端っこにでも摑まってて」
泉美の甘えた声に、エルフの渡辺は冷たい声で答えるが、泉美は言われた通りにエルフの渡辺のスクールバッグの端を指先で摘み、とりあえず行人を一睨みするも静かにはなった。
「もうすぐ着くよ」
行人の感覚では十五分も歩いていないように思えるが、早足だったからだろうか、思いの外早いタイミングでエルフの渡辺がそんなことを言い出した。
「そ、そうなんだ。というかこの辺もう、練馬区だよね?」
南板橋高校は、住所は板橋区だが練馬区との境界近くにあり、当然その双方には多くの学生が住んでいる。
学校の西、練馬区側は住宅街が広がっているため行人は全く足を踏み入れたことがない。
「何だか、同じような家が多いんだね」
「……うん。そうかもね」
似たような外観の似たような規模の一軒家が立ち並ぶ界隈を数分歩く。
そのとき、唐突に上空を飛行機が飛び行く音が聞こえ、行人は顔を上げた。
登下校中はしょっちゅう飛んでいる飛行機の音に、今の数分気づかなかったのは、女子と手をつないで女子の家に行く途中であるというシチュエーションから発生した緊張のせいだろうか。
「着いたよ」
そう言われてはっと視線を元に戻すと、三人は特筆すべきもののない住宅街の中の、一軒家の前に立っていた。
「お、おお、ここが……」
一軒家に対し特徴がない、と言うのは失礼だが、とにかくそれくらい普通の一軒家なのだ。
間口は広めの二階建てで、クリーム色の外壁に黒いスレート瓦。一階は半分が車のガレージになっていて、今の時点で車がなく自転車が二台並んでいるが、エルフと自転車という単語がなんとも結びつきにくい。
広くはないものの庭は芝も植木もよく整備されており、小さな花壇にはエルフの渡辺の手によるものか可愛らしい赤と白の花が咲いている。
そして、門の脇にあるのは『WATANABE』の表札と区役所でもらえる番地表示。
もし『渡辺風花の家』として訪れたら、彼女のイメージ通りの瀟洒で上品な家だと思ったことだろう。
『エルフの渡辺の家』として訪れた行人の目には、予想を超えるものが何一つない、あまりにも普通な家として映ってしまった。
はっきり言って、庭が綺麗なことくらいしか行人の家との違いがない。
玄関ドアが開かれると、そこにはやはり行人の家と変わらぬ風情の玄関。下駄箱の上に、行人の家でも使っている住宅用消臭剤が置かれていた。
「どうぞ、二人とも上がって」
「お、お邪魔します」「お邪魔しまーす」
緊張している行人と、慣れた様子の泉美が玄関を上がると、上がってすぐの場所にある襖をエルフの渡辺が開いた。
「ど、どうぞ、大木くん、入って」
い草の香りが微かに残る明るい色の畳。
橙色の座布団に囲まれたシックなちゃぶ台が部屋の真ん中にあり、押し入れと反対側の壁際に使い込まれた勉強机。ベッドはなく大きめの本棚と背の高い衣装簞笥がある。
「好きな座布団に座っててください。お茶入れてくるから」
まさかの和室だった。
和室に思うところはない。行人の家にも和室はある。
だが、エルフが和室に布団を敷いて眠る姿は、想像はできるけれども未だかつて想像したことのない絵面ではあった。
「風花ちゃんの部屋久しぶりだなー」
泉美がスクールバッグを部屋の隅に丁寧に置くと、慣れた様子で座布団の一つに座り込む。