エルフの渡辺

第四章 渡辺風花は教えてくれる ⑦

 ゆくも、いずのすぐ隣にならない位置のとんに遠慮しながら座り、かばんかたわらに置く。


「すぐ戻るから。いずちゃん。おおくんに失礼なことしちゃだめだよ」


 いずくぎを刺すと入り口のふすまを閉じ、素早く階段を下りてゆく音が聞こえ、いずと二人きりのやや気まずい空気が生まれる。


「え、ええと、たきさんは、よくわたなべさんの家には来るの?」

「三ヶ月ぶりくらい。中三の後半は受験とかで忙しかったし。それが何?」

「あ、いや、そうなんだ」


 短すぎる会話が終わって、まだエルフのわたなべは戻ってこない。いずがスマホをいじり始めてしまったので、ゆくは落ち着かなげに周囲を見回す、

 少なくとも、室内に『エルフ』を想起させるような要素は全く見当たらなかった。

 学習机は小学生の頃からそのまま使われていそうなライトブラウンの合板製。学習椅子には少し毛玉の浮いたかすれた水色のクッション。

 二人で囲んでいるちゃぶ台は新しめのもので、和柄のカーペットの上にしつらえられている。

 本棚にあるのはどれもゆくが理解できる本だった。

 教科書や参考書。草花や園芸に関する本や図鑑が多く見られ、背表紙のタイトルは全て日本語で書かれている。

 ざっと見、漫画や娯楽本の類は見つけられなかった。


わたなべさんの写真……」


 そして、壁にはいくつもの写真が飾られていた。

 大きいのは中学の修学旅行だろう、京都の寺か神社らしき場所での集合写真に、小学校の入学式の一幕らしいランドセルを背負った幼少の頃の写真。

 そしてある意味でこの事態の原因となった菊祭りの写真。

 誰が撮影した者かは分からないが、あのともえにしきの一輪挿しと一緒に写った神社での写真。

 敢闘賞の表彰状と一緒に玄関前で撮影した写真。

 写真に写っているのはどれも黒髪の、それでも確かに笑顔を浮かべたゆくのよく知るわたなべふうの姿そのものだった。

 そして学習机の本棚に小さな写真立てが乗っていた。

 飾られているのはゆくが菊祭りで撮ったあのともえにしきの写真だった。


「センパイ、ふうちゃんの部屋じろじろ見すぎじゃない?」

「いや、そんなこと言われても」


 いずが全く会話する気がないのだから仕方ないではないか。


ふうちゃんの写真、気になる?」

「あ、ああ、そりゃ、まあ……飾られてるし」

「本当にそれだけ?」

「え? それだけ、って……」


 いずの声には例によって明らかに不満そうな色が含まれている。だが今の短い会話のどこがいずの気にさわったのか分からず、ゆくは戸惑ってしまった。


「ちなみにセンパイ、コレ、どう見える?」


 差し出してくるのは彼女のスマホ。画面には真が表示されている。

 そこにはイズミと『わたなべふう』が並んで写っていた。エルフのわたなべではない。

 二人が大写しになっているので背景がよく分からないが、二人とも高校のジャージを着ているので恐らくは学校内のどこかだろう。


「どうって……」

ふうちゃんがどう見えるかって聞いてるの。エルフ? 黒髪?」

「黒髪に見えるけど」


 ゆくは素直にそう答える。


「あっそ。ところでさ、そこの本棚」

「え?」

ふうちゃんの小学校と中学校の卒業アルバムが入ってるんだけど」

「それが何?」

「何って、こういうときって女子不在のときに気になるものこっそり見たり開けたりして、きゃー何やってるのよー! ってのがじようせきでしょ。こういうときの」

「何の定石だよ」


 ゆくあきれて首を横に振った。


「男子とか女子とか関係なく、初めて上がった友達の部屋の物、持ち主の許可なく触ったり開けたりするわけないだろ」

「つまんないの。まあ私は何度も見たから勝手に見るけど」

「何だよそれ」


 言いながらいずゆくの目の前でアルバムらしい大型の冊子を引き抜いて開こうとする。


「俺は見ないよ」

「そんなこと言ってきようしんしんのくせに。ほらほら、ふうちゃんの昔の写真、見たくない?」


 そのとき、やや勢いよく入り口のふすまが開いて、しかめっつらのエルフのわたなべが現れた。


いずちゃん! 聞こえてるよ!」

「おっと」


 エルフのわたなべは私服に着替えて来たらしい。

 その手には、独特なくびれを持つ木製の、湯気がくゆる取っ手の無いカップが三つ載ったお盆を持っていた。

 その姿を見て、ゆくは小さく息をむ。

 ゆったりしたニットを着ると、学校で見るよりも色々なものが少し大きく見えた。

 そのよこしまな思いは時間にして一秒にも満たなかった。まだ何の話もしていないこの状況で妙な下心の気配を出せば、またいずが厄介な反応を示すに決まっているのだ。

 ゆくは鉄の自制心で心頭滅却する。


おおくんはそういうことするような人じゃありませんから!」


 少し乱暴にトレーをちゃぶ台に置いて、カップをそれぞれの前に配った。


「ありがとう……ん?」


 見慣れない形状のカップに、これまた見慣れないものが付属しているのを見て、ゆくの意識はニットに包まれた大きなものから完全にそちらに行った。

 湯気がくゆるくらいの温度の、嗅ぎなれないフルーティーな香りのお茶のようだが、金属製のストローのようなものがカップに入れられていて、カップの底では茶葉らしきもやもやがそこそこの量、沈殿している。


「温かい?」


 軽く持ち上げて金属のストローをつまむと、熱くはないがぬるくもない。口をつけるのに少し準備の必要そうな温度だった。


れ立てで少し熱いと思うから、気をつけて飲んでね」

「紅茶っぽい匂いだけど、ホットをストローで飲むの?」

「そうなの。こういう形なんだけど」


 エルフのふうはくびれカップからストローを引き上げてみせる。

 細かい細工が施された金属のストローで、先端がスプーン状に広がっていて、そこに同じ材質の金属フィルターで蓋がされている。


「ああ、これストローがちやしになってるんだ」


 緑茶や紅茶などを茶葉かられる際は、急須やティーポットに茶葉とお湯を入れて、ポットの口にあるフィルターで茶葉をしてお茶を飲むのが一般的だろう。

 だがこのお茶は、カップに茶葉とお湯を直接入れて茶を抽出し、この金属ストローの先端で茶葉をして飲むのだろう。


ふうちゃんこれ好きだよねー」


 いずは慣れているようで、かなり熱めの金属ストローに躊躇ためらわず口をつけてゆっくりとお茶を飲む。

 それにならって恐る恐るストローに口をつけると、指で触った印象ほど熱くない。

 第一印象にたがわぬ爽やかでフルーティーな香りがする、砂糖由来ではない甘さすら感じるしいお茶だった。


「へぇ、初めて飲んだけど、これしいね!」

「本当? 気に入ってもらえてよかった」

「この食器類も初めて見るよ。不思議な形だな」

「うん。カップはクィア。ストローはボンビーリャとかボンビージャって言ったりするの」


 全く解説になっていないが、見たことのない食器は聞いたこともないものだと分かった。

 見たことも聞いたこともない文化の食器ということは、もしかしてこのお茶も食器も、エルフや魔法に関連する、今日の話の核心に迫るものなのだろう。

 使い込まれている様子の木のカップや、銀細工の美しいストローで爽やかな香りのするお茶を飲むエルフのわたなべの姿は、はっきり言って絵になった。