「いや帰れるかぁ!!」
「センパイいきなり何大声上げてんの!?」
行人に続いて境界の襖をくぐり出てきた泉美は目を丸くしているし、エルフの渡辺もまた行人の荒れ方に驚いていた。
「お、大木くん!? どうしたの!?」
「いや帰れるかぁ!!」
行人はまた同じことを口にする。
「え、だって大木くんナチェ・リヴィラに来るのすごく不安がってなかった?」
「そりゃ不安だったけどさ! でもだからって入り口から十メートルも離れずに帰ろうはちょっと早すぎるでしょ!?」
「え、えーとぉ」
「考えてみてよ! 沖縄に行った人が那覇空港から出ずに沖縄に行ったって言えると思う!? 北海道に行った人が新千歳空港から出ずに北海道に行ったって言えると思う!?」
「わ、私沖縄は行ったことないけど、新千歳空港はそこそこ北海道ゲージ溜まるくらいには満足度高いと思うの」
「知らないよ! 俺は沖縄も北海道も行ったことないんだから! っていうか渡辺さん北海道行ったことあるんだね!」
「そういえば風花ちゃん、定期的に北海道のお土産くれるよね」
エルフが親友に見繕う北海道のお土産チョイスが気になるが今はそれどころではない。
「とにかくさ! 北海道や沖縄に連れて行ってくれるって言われたのに、空港から出ずに帰ろうとか言い出したらなんでぇ? って誰でもなるでしょ!? 別に冒険したいとか特殊能力に目覚めたいとか言わないよ! でもさすがに、さすがにさ! もう少しなんか新しいもの見たいっていうかさ!」
「そ、そういうものなの?」
「そういうものだよ! ていうか渡辺さんさらっと流したけどサン・アルフだの魔王だの浮遊監獄島だの普通じゃないワードをさ、こう、もう少し何て言うかこう、大事に話してほしいっていうかさ!」
「あー、まぁ、風花ちゃん割とそういうとこある」
「でも大木くん、考えてみて。逆に日本人なら自分の秘密を誰かに話すとき、渡辺姓は嵯峨源氏の流れを汲む名字で有名な大妖怪酒吞童子を切った渡辺綱が祖で、なんて話、さらっと流さない? っていうかそんなこと話題にしないと思わない?」
「しな……い、けど、いやそういう話じゃなくない!?」
「大木くんが言いたいことも分からないではないけど、私にとってはそういう話なの」
そう言うと、エルフの渡辺は淡く微笑んで、目を伏せる。
「ちなみにだけど大木姓は下総か筑後の豪族がルーツだって説があるけど、その頃は『おおぎ』って発音されてて、諏訪神党系にもルーツがあるって言われてるよ」
「異世界に来てそこまで珍しくもない自分の苗字のルーツをエルフの女の子の口から知ることになるとは思わなかったよ。神妙な顔して何言い出すの」
「そんな! 大木姓はかなり珍しいんだよ! 日本の人口に占める割合は300位未満で!」
「何でそこまで俺の苗字に詳しいんだよ! 多分うちの親もそんなこと知らないよ!」
「大木姓はエルフが選びがちな苗字だからなの!」
「エルフが選びがちな苗字って日本語初めて聞いたよ! おかしいでしょ異世界に来て詳しく聞く話が自分の苗字のルーツでそれをエルフが選びがちとか!」
広い空と草原の中で突っ込み疲れた行人は思わず膝に手をあてて蹲りそうになる。
「異世界日本に住むことを決めたエルフが選びがちな苗字五選の第一位は『森』なの」
「ショート動画か」
「それで二位が、えっと、『大木』。そこに『ユクト』は、エルフ的にはカッコよすぎてできすぎてるなって思うくらいかっこいい名前なの」
少しもじもじしながらかっこいいとか言わないでほしい。ドキドキしてしまう。
ドキドキしながら後頭部に泉美の冷たい視線を感じた気がして、行人は咳払いをすると、エルフの渡辺に先を促す。
「……ちなみに三位と四位と五位は」
「大杉。渡辺。じゅがみ」
「じゅがみ?」
「大樹の樹に神様で『樹神』。木の魂から発展した苗字だから『こだま』って読みが一般的だけど、それだと児童の玉の児玉とまぎらわしいから、樹の神様って響きがある『じゅがみ』や『じがみ』って名乗りたがるエルフが多かったみたい。愛知県に多い苗字なんだって」
「本当にある苗字なんだ……ていうかその話しぶりだと愛知県に結構な数のエルフがいることにならない?」
「どうなんだろう。私個人の知り合いはいないけど……」
知り合いでないエルフならいると言っているに等しい一言に行人は微かに戦慄した。
少なくとも渡辺風花以外にも、日本にエルフが存在することだけは間違いないのだから。
「全体的に樹木に関する苗字が多いのはエルフっぽいなと思わなくもないけど、でも、じゃあ『渡辺』は何で?」
「渡辺綱以降の渡辺姓は、川の渡しや造船を生業とする人達の名前なの。ナチェ・リヴィラの辺境から異世界の極東に渡るエルフには相応しい名前だと思わない?」
自分の苗字すらそこまで深く考えたことのない行人だが、渡辺風花であるエルフの渡辺がそう言うと、単純にもそう思えてしまう。
そのときつい納得しそうになった行人の耳に、静観していた泉美の冷たい一言が刺さった。
「満足した顔してるとこ悪いんだけどさ、センパイは異世界に来て新たに知ることがエルフが選びがちな苗字五選でいいの?」
「あ、いや、良くない。良くない! 良くはないけど……!」
行人は冷たい視線の泉美と穏やかな笑顔を浮かべるエルフの渡辺を交互に見て、弱々しく言う。
「知りたいこと自体はもう、大体分かっちゃった……から」
「はあ? 本気で言ってるの?」
「う、うん、だって渡辺さん達ナチェ・リヴィラのエルフ、『サン・アルフ』は祖先の罪を清算する責務を負っていて、かつてナチェ・リヴィラを混沌に陥れた『魔王』がサン・アルフ出身で、討伐される寸前で地球のどこかに逃げたからそれ以後二百年、サン・アルフは今俺達が立ってるらしいアストティラン浮遊監獄島から出ることは許されず、仕方なく異世界に逃げた祖先の魔王を討伐するために姿を隠して地球のあちこちに姿を隠して溶け込み、魔王を探すのが罪で贖罪で、渡辺さんもそんなサン・アルフの一人で、一族の秘密が渡辺さんの秘密なんだってこと、最初に話してくれたし」
「大木くん、スゴいね。たった一回聞いただけで」
「渡辺さんが言ったことだし」
「風花ちゃん。今のは乙女の目になるとこじゃない。ちょっとヒイとくとこ」
エルフの渡辺がさらっと流したことを、行人視点に変えただけでほぼ正確に暗唱した行人の本気の目に、泉美は素直にドン引きしている。