「だから正直現時点でこの世界やエルフについて表面的にしか知らない俺が渡辺さんを取り巻く環境について何か意見したり干渉したりとかは現時点でできないだろ」
「……マジで言ってる?」
「マジで言ってる。少なくともあの押し入れの入り口から十メートルも離れてない今、何かを断言するような浅はかで無責任なことは俺にはできない。ただ……一つだけ気になることと言うか、試してみたいことがある」
そう言うと行人は、押し入れの境界を振り返った。
「まだ行き帰りできるよね」
そう確認して、行儀よく境界の手前でサンダルを脱ぐとエルフの渡辺の部屋に戻り、すぐにあるものを手に帰ってきた。
それを見てエルフの渡辺は目を見開き、泉美は少しだけ面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「この世界で渡辺さんを撮ったらどうなるか、試したいんだけど、いいかな」
行人はいつものフィルム式一眼レフを手にエルフの渡辺に問いかける。
「渡辺さんの『魔法』の根っこと効果が何に依存してるのかはまだ分からないけど、渡辺さんのこと、ここで撮ってみていい?」
「あ、えっと……それは、どうだろう」
ここまで積極的に行人を異世界に引っ張り込んだエルフの渡辺が、ここで初めて難色を示した。
「もちろんここで撮ったものを誰かに見せるようなことはしないよ」
「ンなこと言ったってフィルムカメラなら現像に出さなきゃいけないんじゃないの」
泉美の問いに、むしろ行人は胸を張る。
「これでも写真部部長なんだから部室で現像すれば問題ない。幸いにして今の写真部は俺一人で仮入部すらいないから、誰かが入ってきてうっかり見られる危険もないしね!」
「何それイヤミ? センパイのくせに生意気」
仮入部を装って行人を騙した泉美は、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「それこそフィルムカメラだから現像しないかぎりデータがどこかに漏れるなんてことは絶対にない。写しちゃいけないものがあるならそれは撮らない。当たり前だけど、渡辺さんを撮ったからってそれをコンテストに使うことも絶対しない。ダメ……かな」
行人らしくもなくぐいぐい行くが、カメラマンの端くれとして、恐らく今まで誰も見たことのないであろう被写体を前にして、冷静ではいられないし本人にもその自覚があった。
極論異世界であることを特定できないような空や雲だけでも撮りたいという欲を、むしろ今必死で抑えているのだ。
「あのね、撮影自体は大丈夫なの。泉美ちゃんも結構スマホで撮ってるし」
「え? そうなの?」
「うん」
泉美はスマホを掲げて行人に見せると、そこにはちょっとしたワニより大きそうな極彩色のムカデのような節足動物の写真が表示されていた。
「な、何だそれ!?」
「何だっけ? 何年か前に来たときたまたま森の中にいた、サン・アルフにとっては幸運が訪れるとか言われてる虫」
巨大ムカデが吉兆扱いされるとは一体どういう文化なのか。
「カシュカンデ・アロって名前の虫なんだけど、生きる魔導素材って呼ばれるくらい魔力伝導率と魔力を溜める効率が高いの。日本語では保魔率って言ってるんだけど」
「ほまりつ」
そんな日本語はない、と突っ込みが出そうになるが耐えた。
「カシュカンデ・アロの甲殻は鎧に、足は武器や道具に、内臓は薬に、頭は魔除けになるって言われてて、成虫を一匹捕獲するとその家は一家が一年食べるのに困らないくらい高値で取引されるんだ。泉美ちゃんのそれはまだ幼体だったから遠巻きに写真だけ撮ったのだったと思う」
随分と即物的な幸運の象徴もあったものだが、最初の衝撃を脱すると、行人の顔に笑顔が戻った。
「そ、そういうの。そういうのもっと見たり聞いたりしたいし、写真撮ってみたい」
異世界でなくたって、新しい土地に行けば見たことのないもの、聞いたことのないものに接したいのは人の性だ。
ましてそれがエルフの渡辺のルーツに対する理解を深めるのに繫がるのであれば、望むなというのはムリな話である。
「うん。写真を撮ってもらうのはいいの。もっと時間がある日ならサン・アルフの村に連れていくこともできるし、そこで何か撮ってもらうこともできるよ。ただ」
エルフの渡辺は申し訳なさそうに、行人の手元を見た。
「そのカメラでは、やめた方がいい気がするんだ」
「え?」
エルフの渡辺が難色を示す意外過ぎる理由に、行人は思わず自分の手元に視線を落とした。
「むしろスマホとか普通のデジカメとかで撮ってもらった方がいいかなって思う。万一画像が外に漏れたところで、ここなら撮影地点の情報は記録されないし、こっちの植物や動物や人間の姿が漏洩したところでコスプレかCGだと思われるだけだし」
異世界情報の漏洩に随分とドライでザルな感覚だが、エルフの渡辺がそう言うのならこちらとしても納得するしかない。
だがそれならば猶の事、アナログのフィルムカメラに難色を示す理由が分からなかったのだが、言いにくそうにしていたエルフの渡辺がいくばくかの決心とともに、顔を赤らめながら言った。
「私の勘違いならごめんなさい。でも、大木くんのそのカメラ、多分普通のフィルムカメラじゃないんじゃないかなって思って」
「っ!」
行人は息を吞んだ。
「ずっと不思議だったの。去年の菊祭りのこと」
「な、何が?」
「他にいくらでも素晴らしい菊がある中で、そこまで強い特徴のない私の巴錦を、どうして大木くんが私の物だと確信する前から写真に撮ってたのか、って」
「いや、だからそれは」
渡辺風花の名札を見たから。被写体として素晴らしかったと思ったから。そう言おうとして、行人は言葉を吞んだ。
行人がもう少し器用な性格で、もう少し『渡辺風花』に対し真摯でなかったのなら、そのままそう言うことができただろう。
だが、行人の良心は、わずかでも渡辺風花に噓を吐くことを許さなかった。
これからもう一度好きになりたいと願ったエルフの渡辺風花に対し、自分の矛盾を隠し通すことができなかった。
被写体として素晴らしいと理解したのは後付けの理由。
本当は、ファインダーの中であの一輪だけが輝いていたから。
それが巴錦という菊で、魅力的に写るよう構図を考え撮影し、渡辺風花の名前を見つけたのはファインダーの輝きを見た後のことだと気づいてしまったから。
だが、ファインダーから見える被写体の輝きのことを、行人はエルフの渡辺どころか、誰にも話したことはないはずだ。
「大木くんがそのカメラで私を撮るようになったのは、この間私にこ……こ、ここ、こここ、告白してくれる直前だったでしょ? それでその後に、大木くんは……」
渡辺風花に告白し、彼女の姿がエルフに見えるようになった。
正確に言えば撮影が始まったのは告白した当日からではなく、その三、四日前からだったが、言葉に詰まってしまった行人の態度が、その正確さを意思統一することに何の意味もないことを如実に示してしまっていた。
「だからもしかしてだけど、そのカメラに何か不思議な力か仕掛けがあって、私の……私達の魔力か何かを捉えたり、破ったりする力があるんじゃないかって思ったの」