エルフの渡辺

第五章 渡辺風花は日本人の苗字に詳しい ②

「だから正直現時点でこの世界やエルフについて表面的にしか知らない俺がわたなべさんを取り巻く環境について何か意見したり干渉したりとかは現時点でできないだろ」

「……マジで言ってる?」

「マジで言ってる。少なくともあの押し入れの入り口から十メートルも離れてない今、何かを断言するような浅はかで無責任なことは俺にはできない。ただ……一つだけ気になることと言うか、試してみたいことがある」


 そう言うとゆくは、押し入れの境界を振り返った。


「まだ行き帰りできるよね」


 そう確認して、行儀よく境界の手前でサンダルを脱ぐとエルフのわたなべの部屋に戻り、すぐにあるものを手に帰ってきた。

 それを見てエルフのわたなべは目を見開き、いずは少しだけ面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「この世界でわたなべさんを撮ったらどうなるか、試したいんだけど、いいかな」


 ゆくはいつものフィルム式一眼レフを手にエルフのわたなべに問いかける。


わたなべさんの『魔法』の根っこと効果が何に依存してるのかはまだ分からないけど、わたなべさんのこと、ここで撮ってみていい?」

「あ、えっと……それは、どうだろう」


 ここまで積極的にゆくを異世界に引っ張り込んだエルフのわたなべが、ここで初めて難色を示した。


「もちろんここで撮ったものを誰かに見せるようなことはしないよ」

「ンなこと言ったってフィルムカメラなら現像に出さなきゃいけないんじゃないの」


 いずの問いに、むしろゆくは胸を張る。


「これでも写真部部長なんだから部室で現像すれば問題ない。幸いにして今の写真部は俺一人で仮入部すらいないから、誰かが入ってきてうっかり見られる危険もないしね!」

「何それイヤミ? センパイのくせに生意気」


 仮入部をよそおってゆくだましたいずは、苦虫をみ潰したような顔になる。


「それこそフィルムカメラだから現像しないかぎりデータがどこかに漏れるなんてことは絶対にない。写しちゃいけないものがあるならそれは撮らない。当たり前だけど、わたなべさんを撮ったからってそれをコンテストに使うことも絶対しない。ダメ……かな」


 ゆくらしくもなくぐいぐい行くが、カメラマンの端くれとして、恐らく今まで誰も見たことのないであろう被写体を前にして、冷静ではいられないし本人にもその自覚があった。

 極論異世界であることを特定できないような空や雲だけでも撮りたいという欲を、むしろ今必死で抑えているのだ。


「あのね、撮影自体は大丈夫なの。いずちゃんも結構スマホで撮ってるし」

「え? そうなの?」

「うん」


 いずはスマホを掲げてゆくに見せると、そこにはちょっとしたワニより大きそうな極彩色のムカデのような節足動物の写真が表示されていた。


「な、何だそれ!?」

「何だっけ? 何年か前に来たときたまたま森の中にいた、サン・アルフにとっては幸運が訪れるとか言われてる虫」


 巨大ムカデが吉兆扱いされるとは一体どういう文化なのか。


「カシュカンデ・アロって名前の虫なんだけど、生きる魔導素材って呼ばれるくらい魔力伝導率と魔力をめる効率が高いの。日本語では保魔率って言ってるんだけど」

「ほまりつ」


 そんな日本語はない、と突っ込みが出そうになるが耐えた。


「カシュカンデ・アロの甲殻はよろいに、足は武器や道具に、内臓は薬に、頭はけになるって言われてて、成虫を一匹捕獲するとその家は一家が一年食べるのに困らないくらい高値で取引されるんだ。いずちゃんのそれはまだ幼体だったから遠巻きに写真だけ撮ったのだったと思う」


 随分と即物的な幸運の象徴もあったものだが、最初の衝撃を脱すると、ゆくの顔に笑顔が戻った。


「そ、そういうの。そういうのもっと見たり聞いたりしたいし、写真撮ってみたい」


 異世界でなくたって、新しい土地に行けば見たことのないもの、聞いたことのないものに接したいのは人のさがだ。

 ましてそれがエルフのわたなべのルーツに対する理解を深めるのにつながるのであれば、望むなというのはムリな話である。


「うん。写真を撮ってもらうのはいいの。もっと時間がある日ならサン・アルフの村に連れていくこともできるし、そこで何か撮ってもらうこともできるよ。ただ」


 エルフのわたなべは申し訳なさそうに、ゆくの手元を見た。


「そのカメラでは、やめた方がいい気がするんだ」

「え?」


 エルフのわたなべが難色を示す意外過ぎる理由に、ゆくは思わず自分の手元に視線を落とした。


「むしろスマホとか普通のデジカメとかで撮ってもらった方がいいかなって思う。万一画像が外に漏れたところで、ここなら撮影地点の情報は記録されないし、こっちの植物や動物や人間の姿がろうえいしたところでコスプレかCGだと思われるだけだし」


 異世界情報のろうえいに随分とドライでザルな感覚だが、エルフのわたなべがそう言うのならこちらとしても納得するしかない。

 だがそれならばなおの事、アナログのフィルムカメラに難色を示す理由が分からなかったのだが、言いにくそうにしていたエルフのわたなべがいくばくかの決心とともに、顔を赤らめながら言った。


「私の勘違いならごめんなさい。でも、おおくんのそのカメラ、多分普通のフィルムカメラじゃないんじゃないかなって思って」

「っ!」


 ゆくは息をんだ。


「ずっと不思議だったの。去年の菊祭りのこと」

「な、何が?」

「他にいくらでも素晴らしい菊がある中で、そこまで強い特徴のない私のともえにしきを、どうしておおくんが私の物だと確信する前から写真に撮ってたのか、って」

「いや、だからそれは」


 わたなべふうの名札を見たから。被写体として素晴らしかったと思ったから。そう言おうとして、ゆくは言葉をんだ。

 ゆくがもう少し器用な性格で、もう少し『わたなべふう』に対し真摯でなかったのなら、そのままそう言うことができただろう。

 だが、ゆくの良心は、わずかでもわたなべふううそくことを許さなかった。

 これからもう一度好きになりたいと願ったエルフのわたなべふうに対し、自分の矛盾を隠し通すことができなかった。

 被写体として素晴らしいと理解したのは後付けの理由。

 本当は、ファインダーの中であの一輪だけが輝いていたから。

 それがともえにしきという菊で、魅力的に写るよう構図を考え撮影し、わたなべふうの名前を見つけたのはファインダーの輝きを見た後のことだと気づいてしまったから。

 だが、ファインダーから見える被写体の輝きのことを、ゆくはエルフのわたなべどころか、誰にも話したことはないはずだ。


おおくんがそのカメラで私を撮るようになったのは、この間私にこ……こ、ここ、こここ、告白してくれる直前だったでしょ? それでその後に、おおくんは……」


 わたなべふうに告白し、彼女の姿がエルフに見えるようになった。

 正確に言えば撮影が始まったのは告白した当日からではなく、その三、四日前からだったが、言葉に詰まってしまったゆくの態度が、その正確さを意思統一することに何の意味もないことをによじつに示してしまっていた。


「だからもしかしてだけど、そのカメラに何か不思議な力か仕掛けがあって、私の……私達の魔力か何かを捉えたり、破ったりする力があるんじゃないかって思ったの」