意識のない人間は、意識のある人間よりずっと重い、という話をどこかで聞いたことがあった。
意識があろうがなかろうが質量は変わらないわけで、要は担がれる側の姿勢制御能力が失われることが問題なのだろうと初めて聞いたときには思ったものだ。
そして今、現実に意識を失った人間を一人背負った行人は、そんな空論を最初に思った中学生の頃の自分を訳もなく恨みに思っていた。
そもそも特に鍛えているわけでもない高校生男子が自分と同年代の女子を背負い続けるのは、重いとか重くないとか意識があるないではなく無理だ、と。
「せ、センパイ……大丈夫? 生きてる?」
「ふー……ふー……ふー」
史上初、泉美が気遣う声にすら全く反応できない行人は、たまたま草原に生えていた木の根元で仰向けになりながら荒い呼吸をするばかり。
最初の地点から一時間ほど移動した場所で、行人の全身の関節と筋肉が悲鳴を上げていた。
まず倒れたエルフの渡辺を背負うまでが難儀だった。
意識を失った女子に手を触れるというだけでも難事業だ。
泉美に手伝ってもらって体を起こそうにも、意識を失った人間の上体はいとも簡単にぐらつき、まず行人の背中に背負わせることすらできない。
最初こそ泉美も風花ちゃんの肌に触るなだの変なところに触るなだのとうるさかったが、なかなかエルフの渡辺の姿勢を制御できないことに疲れてしまい、なんとか行人の背中にエルフの渡辺を背負わせることができたときには、
「それじゃよろしく、頑張って」
とまで言うほどだった。
行人はというと、最初の三分くらいは、エルフの渡辺と密着していることや、背負う手の置き場、密着して感じる肌や体型や匂いなどに強く緊張し心臓がバクバクと高鳴った。
そして三分後、全身にのしかかる日常ではあり得ない荷重に心肺機能が悲鳴を上げているという意味で心臓がバクバクと高鳴ってしまった。
女子の体重とか、エルフの渡辺の体重とか、意識があるとかないとかではない。
人一人背負って何十分も舗装されていない道を歩くのは、鍛えられた自衛官やレスキュー隊員になって初めてできることであり、高校二年の写真部部長程度には言葉通り荷が重すぎるのだ。
それでも行人は、履き慣れないサンダルに苦戦しながら頑張って十五分歩いたのだ。
だがそこが限界で一旦休憩を進言したところ、そこでは後ろからついてきていた泉美が憎まれ口をたたいたものだ。
「もう休憩って、センパイさすがに鍛え方足りなさすぎじゃない?」
「そんなこと……言うなら……少し、小滝さん、かわ……おえっぷ……代わって、背負ってくれよ……」
「ええ? 風花ちゃんがそんなに重いって言いたいわけ?」
「重いよ!」
問いに対する行人の答えは簡潔かつ明瞭だった。
「渡辺さんとかそういうことじゃなくてもう人間一人は重いんだよ!」
「ちょ、大声出さないでよ……分かったわよ。そんなに言うなら代わってあげるわよ」
若干顔を引きつらせつつも、地面に腰かけて行人の背にもたれかかっている状態のエルフの渡辺を支えながら、泉美は背負い役を交代する。
「昔は風花ちゃんと一緒に遊んで、近くの公園までおんぶしたりされたりしてたんだもん。これくらいよユッ……!」
得意げにそう言いながら立ち上がろうとした泉美は、前傾姿勢のまま前に倒れそうになり慌てて足を前に出して踏みとどまる。
何とか立ち上がるものの目が見開き、息も止まってしまった。
「首が曲がってるから直すよ、動かないで」
「う、うん……」
立ち上がるときにエルフの渡辺の首がどちらかに倒れたらしい。背後で行人がその首を真っ直ぐにしてくれたようだが、それで何が変わるわけでもなかった。
「前に傾きすぎると重さは支えやすいけど自分も転びそうになるから、重さを腰にのせてぐっと胸を前に出して上体を反るようにすると、何とかバランス良くなるよ」
「難しいこと今言わないで。それくらい分かってるから。私とセンパイじゃ体格違うんだから余計なこと言わないで」
明らかに余裕を失った早口でそう言った泉美は、目を見開いたままなんとか足を一歩前に出す。
更に二歩、三歩と進み始め、少し歩みが軌道に乗ったところで、微かに表情に、
「案外行けそう」
という安堵と余裕の光が差し込む。だが、そんな思いはわずか一分後には、背負った人間の重さを直接的に支える腕の筋肉の軋みと、舗装されていない地面の上の体を支えるサンダル履きの足の悲鳴によって打ち砕かれる。
日常で全く運動をしてない人間が何かの拍子に腕立て伏せや腹筋運動をしようとしたとき、十回三セットのノルマで最初の十回は案外簡単に行けると思えてしまう。
だが次の十回の途中で急に負荷の感覚が変わり、ラスト十回は息も絶え絶えになる。
それと同じ現象に行人も泉美も見舞われ、そして泉美は五分ももたずにへたり込んだ。
「……さっきはバカにしてごめんなさい」
顔中汗だくになりながら地面にへたり込んで膝を汚した泉美は、後ろから追いついてきた行人に何かを言われる前に素直に自分の物言いを謝罪した。
「休み休み行こう。小滝さんが背負うと多分どこかで転んで怪我するよ」
「うん。分かった。その代わり、休むときには私が風花ちゃんの体支えるから、センパイはきちんと休んで」
泉美は行人の言うことに素直に頷き、そこで五分休憩してから再び行人が背負って歩き始める。
だが継続して歩ける距離はどんどん短くなり、汗をかいたからといって飲める水もなく、最初の地点から一時間経過したところで、遂に二人とも動けなくなってしまったのだ。
「小滝さん……エルフの村って、森に入ってすぐのところにあるの?」
「どう、だったかな。そこそこ歩いたと思う」
「マジか……やばいな」
行人は苦し気な顔で起き上がりながら目指す森を見やる。
確実に近づいてはいるのだが、薄暮の時間帯になって尚、人家の灯りらしきものが一向に見えないのだ。
「暗くなってから森に入るのって危なくないかな」
「分かんない。前は風花ちゃんの案内で明るいうちに行ったから……でも、確か森の中には道があったと思う」
「マジで? 参ったな」
「参ったって、何で? 道があるなら迷わなくない?」
「そうだけど、じゃあ何で今この草原のどこにもその森に続く道がないんだって話だよ」
「え……あっ」
泉美も行人の言わんとすることに気づいたようだ。
「で、でも間違いないはずなの! だって前に来たときもさっきの場所に襖開いて、あそこから歩いてあの道目指して……普通に歩いたら十五分分くらいで森について、風花ちゃんの案内で道を……あれ?」
あるはずのスマホが見つからないときのように、泉美の顔から余裕がなくなってゆく。
泉美の経験上もうとっくに森に着いていなければおかしいのだろう。
それが、人一人担いでいるとはいえ、一時間歩いても森にたどり着くことすらできないばかりか、歩いたことのある道にも出くわさないことに、言い知れぬ不安を覚えているのだ。
行人としても、唯一の案内人に不安そうな顔をされると、疲労も相まって平常心ではいられなくなる。
「まさかとは思うけど、エルフの案内がないと入れない、なんてことないよね」
「え? 何それどういうこと?」