エルフの渡辺

第六章 渡辺風花は見えていない ①

 意識のない人間は、意識のある人間よりずっと重い、という話をどこかで聞いたことがあった。

 意識があろうがなかろうが質量は変わらないわけで、要はかつがれる側の姿勢制御能力が失われることが問題なのだろうと初めて聞いたときには思ったものだ。

 そして今、現実に意識を失った人間を一人背負ったゆくは、そんな空論を最初に思った中学生の頃の自分を訳もなく恨みに思っていた。

 そもそも特に鍛えているわけでもない高校生男子が自分と同年代の女子を背負い続けるのは、重いとか重くないとか意識があるないではなく無理だ、と。


「せ、センパイ……大丈夫? 生きてる?」

「ふー……ふー……ふー」


 史上初、いずが気遣う声にすら全く反応できないゆくは、たまたま草原に生えていた木の根元で仰向けになりながら荒い呼吸をするばかり。

 最初の地点から一時間ほど移動した場所で、ゆくの全身の関節と筋肉が悲鳴を上げていた。

 まず倒れたエルフのわたなべを背負うまでが難儀だった。

 意識を失った女子に手を触れるというだけでも難事業だ。

 いずに手伝ってもらって体を起こそうにも、意識を失った人間の上体はいとも簡単にぐらつき、まずゆくの背中に背負わせることすらできない。

 最初こそいずふうちゃんの肌に触るなだの変なところに触るなだのとうるさかったが、なかなかエルフのわたなべの姿勢を制御できないことに疲れてしまい、なんとかゆくの背中にエルフのわたなべを背負わせることができたときには、


「それじゃよろしく、頑張って」


 とまで言うほどだった。

 ゆくはというと、最初の三分くらいは、エルフのわたなべと密着していることや、背負う手の置き場、密着して感じる肌や体型や匂いなどに強く緊張し心臓がバクバクと高鳴った。

 そして三分後、全身にのしかかる日常ではあり得ない荷重に心肺機能が悲鳴を上げているという意味で心臓がバクバクと高鳴ってしまった。

 女子の体重とか、エルフのわたなべの体重とか、意識があるとかないとかではない。

 人一人背負って何十分も舗装されていない道を歩くのは、鍛えられた自衛官やレスキュー隊員になって初めてできることであり、高校二年の写真部部長程度には言葉通り荷が重すぎるのだ。

 それでもゆくは、履き慣れないサンダルに苦戦しながら頑張って十五分歩いたのだ。

 だがそこが限界で一旦休憩を進言したところ、そこでは後ろからついてきていたいずが憎まれ口をたたいたものだ。


「もう休憩って、センパイさすがに鍛え方足りなさすぎじゃない?」

「そんなこと……言うなら……少し、たきさん、かわ……おえっぷ……代わって、背負ってくれよ……」

「ええ? ふうちゃんがそんなに重いって言いたいわけ?」

「重いよ!」


 問いに対するゆくの答えは簡潔かつ明瞭だった。


わたなべさんとかそういうことじゃなくてもう人間一人は重いんだよ!」

「ちょ、大声出さないでよ……分かったわよ。そんなに言うなら代わってあげるわよ」


 若干顔を引きつらせつつも、地面に腰かけてゆくの背にもたれかかっている状態のエルフのわたなべを支えながら、いずは背負い役を交代する。


「昔はふうちゃんと一緒に遊んで、近くの公園までおんぶしたりされたりしてたんだもん。これくらいよユッ……!」


 得意げにそう言いながら立ち上がろうとしたいずは、前傾姿勢のまま前に倒れそうになり慌てて足を前に出して踏みとどまる。

 何とか立ち上がるものの目が見開き、息も止まってしまった。


「首が曲がってるから直すよ、動かないで」

「う、うん……」


 立ち上がるときにエルフのわたなべの首がどちらかに倒れたらしい。背後でゆくがその首をぐにしてくれたようだが、それで何が変わるわけでもなかった。


「前に傾きすぎると重さは支えやすいけど自分も転びそうになるから、重さを腰にのせてぐっと胸を前に出して上体を反るようにすると、何とかバランス良くなるよ」

「難しいこと今言わないで。それくらい分かってるから。私とセンパイじゃ体格違うんだから余計なこと言わないで」


 明らかに余裕を失った早口でそう言ったいずは、目を見開いたままなんとか足を一歩前に出す。

 更に二歩、三歩と進み始め、少し歩みが軌道に乗ったところで、かすかに表情に、


「案外行けそう」


 というあんと余裕の光が差し込む。だが、そんな思いはわずか一分後には、背負った人間の重さを直接的に支える腕の筋肉のきしみと、舗装されていない地面の上の体を支えるサンダル履きの足の悲鳴によって打ち砕かれる。

 日常で全く運動をしてない人間が何かの拍子に腕立て伏せや腹筋運動をしようとしたとき、十回三セットのノルマで最初の十回は案外簡単に行けると思えてしまう。

 だが次の十回の途中で急に負荷の感覚が変わり、ラスト十回は息も絶え絶えになる。

 それと同じ現象にゆくいずも見舞われ、そしていずは五分ももたずにへたり込んだ。


「……さっきはバカにしてごめんなさい」


 顔中汗だくになりながら地面にへたり込んで膝を汚したいずは、後ろから追いついてきたゆくに何かを言われる前に素直に自分の物言いを謝罪した。


「休み休み行こう。たきさんが背負うと多分どこかで転んでするよ」

「うん。分かった。その代わり、休むときには私がふうちゃんの体支えるから、センパイはきちんと休んで」


 いずゆくの言うことに素直にうなずき、そこで五分休憩してから再びゆくが背負って歩き始める。

 だが継続して歩ける距離はどんどん短くなり、汗をかいたからといって飲める水もなく、最初の地点から一時間経過したところで、ついに二人とも動けなくなってしまったのだ。


たきさん……エルフの村って、森に入ってすぐのところにあるの?」

「どう、だったかな。そこそこ歩いたと思う」

「マジか……やばいな」


 ゆくは苦し気な顔で起き上がりながら目指す森を見やる。

 確実に近づいてはいるのだが、薄暮の時間帯になってなお、人家のあかりらしきものが一向に見えないのだ。


「暗くなってから森に入るのって危なくないかな」

「分かんない。前はふうちゃんの案内で明るいうちに行ったから……でも、確か森の中には道があったと思う」

「マジで? 参ったな」

「参ったって、何で? 道があるなら迷わなくない?」

「そうだけど、じゃあ何で今この草原のどこにもその森に続く道がないんだって話だよ」

「え……あっ」


 いずゆくの言わんとすることに気づいたようだ。


「で、でも間違いないはずなの! だって前に来たときもさっきの場所にふすま開いて、あそこから歩いてあの道目指して……普通に歩いたら十五分分くらいで森について、ふうちゃんの案内で道を……あれ?」


 あるはずのスマホが見つからないときのように、いずの顔から余裕がなくなってゆく。

 いずの経験上もうとっくに森に着いていなければおかしいのだろう。

 それが、人一人かついでいるとはいえ、一時間歩いても森にたどり着くことすらできないばかりか、歩いたことのある道にも出くわさないことに、言い知れぬ不安を覚えているのだ。

 ゆくとしても、唯一の案内人に不安そうな顔をされると、疲労も相まって平常心ではいられなくなる。


「まさかとは思うけど、エルフの案内がないと入れない、なんてことないよね」

「え? 何それどういうこと?」