「大木行人といいます。渡辺さん……風花さんとは、南板橋高校の同級生です。去年からの」
「そうなの。そのカメラは?」
泉美はこの女性のことを、渡辺涼香と呼んでいた。エルフの渡辺の、エルフではない母。
行人はカメラを彼女に差し出した。
「元は父のカメラですが、今は俺が使っています。俺は本当についこの前までエルフ……サン・アルフのことは何も知らなくて、今も別によく分かってません」
「なのにどうして、風花の顔を?」
「風花さんの言う通りです。原因となりそうないくつかありますけど、俺には分かりません。分かるわけがない。まだこの世界の存在を知って、二時間かそこらなんです」
「ならばそのカメラが原因だと言う理由は」
「風花さんが、このカメラを覗いた途端に気絶しました。そのとき日本からの扉が消えて帰れなくなりました。小滝さんがあなたのことを知っているとのことだったので、助けを求めにここまで」
「助けを求めているのなら何故、迷いの道の魔法を破壊したの」
「俺は破壊したつもりはありません。ファインダーの中に妙なものが見えたから、それを撮影しただけです」
「だけ、ということはないでしょう。そこに至るまでの理由があったはずです」
「それもいくつもありますけど、正直分からないことの方が多いんです。説明はできません」
渡辺涼香は槍こそ下ろしたが、行人が差し出すカメラを乱暴に奪い取った。
「お母さんっ!」
エルフの渡辺は友人の持ち物を乱暴に扱う母に抗議の声を上げる。
「見たところ、随分古いフィルムカメラね。メーカーロゴもないし、国産機じゃなさそう。こっちに来てから、何か撮影したものは?」
「ここでこの道を撮影したのが最初です。それ以外は何も」
「……ファインダーを覗いた?」
行人の言葉を信じていないのか、疑うような表情でカメラのファインダーを覗きこもうとし、慌てて顔を背ける。
「このカメラは使用者の魔力を吸い取る機構を持っているわ。明らかに日本の……地球のものじゃない。お父様は何も言ってなかったの? いつどこで手に入れたとか。これを使っていたとしたら、あなたも普通じゃない何かを体験していたはずよ」
行人は首を横に振り、何でもないことのように言った。
「聞けませんでした。俺がそれで写真を撮るようになったのは、父が亡くなってからですから」
「えっ!?」「は!?」
エルフの渡辺と泉美は、目を見開いて息を吞んだ。
「確かに普通じゃない体験はしていました。このカメラは、良い被写体を輝きで教えてくれるんです。でも、それだけです。それ以外の不思議な現象は、全部こっちの世界に踏み込んでから起こったものです」
「……」
渡辺涼香は奪ったカメラと行人を何度も交互に見た。
「……話は分かりました。地球で『魔王』由来のものや、我々の先祖由来のものが見つかる前例はいくつもあるから、これももしかしたらその一つかもしれないわね」
そして、他の兵士に合図をして武器を下げさせると、自分も槍を背に収め他の兵士を下がらせ、自分の背後に手を振った。
すると、見覚えのある大きな長方形の光が生まれ、その向こうに見覚えのあるエルフの渡辺の部屋が出現した。
「さあ、向こうも夜でしょ。風花と泉美ちゃんはさっさと帰りなさい」
「待って、どういうこと、お母さん」
エルフの渡辺の回復を待たずして行人と泉美の帰る道が開いたが、娘は剣吞な様子で母に食って掛かった。
「どうして私と泉美ちゃんだけなの」
「こちらの大木くんには話があるからよ」
「それなら泉美ちゃんだけ帰って。私も一緒に聞く」
「えっ……っと、それはちょっとなくない? 話が長くならないなら、私も一緒に……」
「泉美ちゃん……お願い、今は……」
明らかに空気を読めていないかのような発言にエルフの渡辺と渡辺涼香から非難がましい目で見られた泉美だが、慌てて首を横に振った。
「いやいやそういうことじゃなくてさ! 風花ちゃんち、今誰もいないでしょ。私一人で帰ったら風花ちゃんちの玄関の鍵開けっ放しになっちゃうから……不用心じゃないかなって」
「「「…………」」」
行人、エルフの渡辺、渡辺涼香の三人が思わず顔を見合わせ、
「私の部屋の、勉強机の一番上のアクセサリーラックに梅の花のキーホルダーがついてる鍵があるから、それ持って行って。明日、学校で返してくれればいいから」
「う、うん。分かった。それじゃあ」
三人に見送られながら、泉美は一人境界をまたぐ。
「風花ちゃんもセンパイも……また明日、学校でね」
泉美が境界を越えきってから不安げにそう言うと、渡辺涼香は境界を閉じた。
「お母さん。話をするのなら、大木くんにカメラを返して」
泉美の姿が見えなくなってから、エルフの渡辺は毅然と母に告げる。
「まだそういうわけにはいかないわ」
だが、渡辺涼香はやんわりとそれを断り、娘の顔色を更に険しくさせた。
「どういうつもり。大木くんのカメラが魔王由来のものだと決まったわけじゃないでしょう。それに、たとえそうだったとしても、それは大木くんのお父さんが遺したもので、私達が好き勝手していいものじゃない」
「風花」
「たかがカメラだよ。私の魔力を吸収したところで迷いの道の魔法を破壊するくらいしかできないカメラなんか、放っておいても何の問題もないでしょう」
「聞きなさい風花、このカメラには、私達サン・アルフの宿命の……」
「サン・アルフの宿命も、魔王だ祖先の遺産だに振り回されるのも、もううんざりなの!」
これまで行人が聞いた中で『渡辺風花』の最も大きな声だった。
「一体いつまで私達は、顔も知らない祖先の過ちの責を負わされなきゃいけないわけ!? 私達が今の世界に何をしたっていうの! 今生きているサン・アルフが、ナチェ・リヴィラに何かした!?」
「風花……」
渡辺涼香が娘を見る目は、呆れでも怒りでもなく、どこか同情と、忸怩たる思いをうかがわせた。
「最悪私だけならいい! でも、私の友達の大切なものを奪うことだけは絶対に許さない!」
次の瞬間、エルフの渡辺の足下に光と旋風が巻き起こり彼女の長い髪をたなびかせ、それを見た渡辺涼香以外の兵士達は思わず身構える。
「世界から奪った魔王を忌み嫌うなら、魔王のように奪わないで! 今すぐそのカメラを、大木くんに返して! さもないと……!」
「わ、渡辺さん!」
次の瞬間、行人がその場に立っているのが難しいほどの豪風がエルフの渡辺を包み、一瞬の瞬きの後、そこにいたのはゆったりしたニットを纏った、ぽやぽやとした私服エルフではなかった。