薄桃色の輝く花があしらわれた、森の草木から生まれた翠緑の短剣とサークレット、そしてグローブとブーツを帯びたエルフの戦士だ。
「カメラに魔力を吸われてるのに随分無理をするじゃない、風花。いえ」
渡辺涼香は一度収めた槍に再び片手をかける。
「レグニ・フニーグ・フーカ。でも、如何に緑の指の名を持つ者でも、この人数を相手にできるかしら」
「緑の、指……?」
そのフレーズに行人は聞き覚えがあった。
ほかならぬ、自分自身が『渡辺風花』を評して言った言葉だ。
「お母さん達が大木くんや、日本の人達の大切なものを力で奪おうとするのなら、私も力でそれを守る。それだけのことだよ」
回復しきっていないエルフの渡辺の顔色は青い。だがそれでも行人を背後に庇い、母に向けて刃を構える。
「……ふふ、言うようになったじゃないの。でも……」
渡辺涼香は行人の目にも留まらぬ速度で槍を構え直した途端、行人のカメラをエルフの渡辺目掛けて放り投げた。
「あっ! ちょっ!」
ある意味突然の凶行にエルフの渡辺は構えを解いてそのカメラを受け止めようとするが、
「あなたはもう少し、落ち着いて親の話を聞きなさい」
投げたカメラに追いついた渡辺涼香は、宙に浮いていたカメラを鷲摑みにすると、カメラの背面、即ちファインダーをエルフの渡辺の顔、その右目の前に叩きつける勢いで静止した。
「んばべっ!?」
その瞬間、エルフの渡辺の身を包んでいた如何にも強力そうなエルフ的兵装は霧散し、エルフの渡辺は奇声を上げながらその場に膝から崩れ落ちた。
「渡辺さんっ!」
目を回して後頭部から落ちそうになったエルフの渡辺に駆け寄りぎりぎりのところで背中から支えた行人は叫ぶ。
「な、何するんですか!」
「大丈夫よ。サン・アルフはそんなことくらいじゃ死なないから」
「いやそういうことじゃなくて!」
あの勢いでカメラを顔面に叩きつけたらカメラも顔も無事じゃすまないとか、今またカメラに魔力を吸わせたのか、言いたいことは色々あるが、とりあえずここまでのやりとりのほとんどがとてもではないが穏やかな母娘のやりとりではなかった末の一瞬の格闘劇だったため、つい非難がましい口調になってしまった。
「……昔からね、どうしても合わないのよ。お互いそんなつもりがなくても、どうしてか喧嘩になっちゃうの。この子も私も、なんというか、早とちりの口下手でね」
だが、渡辺涼香の反応は、思いがけず冷静で穏やかなものだった。
「あなたのお父様の形見を乱暴に扱ってごめんなさい。でも、返すのはもう少しだけ待ってちょうだい。もしまだ急いで帰らなくていいようなら」
言いながら渡辺涼香は槍の石突を地面に軽く立てる。
その瞬間、行人が撮影した輝きの道が再び光り、森の奥に穏やかな光が無数に灯る。
「少しだけ、その子を背負ってもらえるかしら。大木行人君」
そして、道が、草が、風が、木々が、まるで王に道を開ける臣下のように道を開き、行人の目にその光景を見せつけた。
「アストティラン浮遊監獄島、東の大樹海、サン・アルフの村イーレフにご招待するわ。時間は取らせませんから、私の頼みを聞いてもらえないかしら」
◇
巨木と共に生きる村、イーレフ。
それは間違いなく、夢と空想と物語の中に存在するエルフの村であった。
東の大樹海の名に相応しい巨木の森は、エルフの魔法によるものか、それとも異世界の不思議によるものか、街灯の類もないのに夜もなお柔らかく明るかった。
村を構成する建物や施設は、どうやら巨木の幹に張り付くように建造されており、上を見上げると巨木と巨木を繫ぐ橋のようなものが縦横に渡っていて、それらがまるでホタルかランタンに彩られているかのように、オレンジと淡いグリーンの光をほのかに発し、夜の森を照らしているのだ。
村には地上も樹上の橋にも大勢の人が行き来しており、巨木に張り付く住居らしき建造物の数を見ても、少なくとも数百人の人間が暮らす里であることが察せられた。
「大丈夫かしら、大木君。その子、重くない?」
「いえ……そう言えば、あれ?」
森の入り口から村まで数分。
エルフの渡辺を背負って歩いていた行人だが、言われるまで彼女の重さを感じなかった。
最初はそれこそほんの数分歩くだけで、その重さにバテかけていたのに。
「森の魔力がその子とあなたを受け入れているのよ」
「そういうものなんですか。ただの人間の俺にも、魔力って影響するものなんですか」
「サン・アルフだってただの人間よ。あなた達より少しだけ、魔力に関わった歴史が長いだけ。ところで大木君。高いところは平気?」
「はい、特に怖くはないですけど……」
「そう。良かった。ここにはエレベーターなんて気の利いたものはないから、スムーズに里の上層に行くには少し空を飛ぶ必要があるの」
「え? うわっ!」
言うが早いが、行人はエルフの渡辺を背負ったまま、体が突然浮き上がるのを感じた。
「え? え!? ええ!?」
まるで見えないエレベーターに乗せられたかのような感覚。エルフの渡辺を背負って直立したまま自分の体がバランスも崩さず浮き上がるのは、いかなる技によるものか。
渡辺涼香も、同じ透明のエレベーターに乗っているかのような様子で上を見る。
「風花がどれくらいの話をしたのかは分からないけど、一つだけ言っておきたいのは、私達サン・アルフは日本や地球の他の国々の人々を害するつもりは一切ないの」
「は、はあ」
「この世界のことは、どれくらい?」
「はい、ナチェ・リヴィラのエルフ、『サン・アルフ』は祖先の罪を清算する責務を負っていて、かつてナチェ・リヴィラを混沌に陥れた『魔王』がサン・アルフ出身で、討伐される寸前で地球のどこかに逃げたからそれ以後二百年、サン・アルフは今俺達が立ってるらしいアストティラン浮遊監獄島から出ることは許されず、仕方なく異世界に逃げた祖先の魔王を討伐するために姿を隠して地球のあちこちに姿を隠して溶け込み魔王を探すことが罪で贖罪で、渡辺さんもそんなサン・アルフの一人で、一族の秘密が渡辺さんの秘密なんだってことは聞きました」
「あ、そ、そう」
淀みなく答えた行人に、何故か渡辺涼香は少し引いたような表情を見せた。
「だ、大体は分かってもらえてるみたいね」
「そうでもありません。本当に今言った通りのことを風花さんから聞いただけなので、魔王が具体的にどんな奴でどんなことしたのかとか、サン・アルフが具体的にどんな種族なのかとかは、未だに分かってません。魔法とか魔力もとりあえずそういうものがあるっていう状況証拠と話があるから受け入れてますけど、実際何なのか、っていうのは、まだ」
「……こんな言い方をするとまた風花に誤解されてしまうかもしれないけど、それをあなたが理解する必要はないわ。だってこれは私達サン・アルフの問題で、もし事情を完全に理解してもらえたとして、あなた達地球の人間に魔王捜索や魔王討伐を手伝わせることは決してないもの」
それは、確かにそうなのだろう。