エルフの渡辺

終章 渡辺風花は、始めたい ①

「お邪魔します」

「どうぞ、上がって」


 ナチェ・リヴィラに行った日から三日後。

 ゆくは自宅にエルフのわたなべを招いていた。

 学校帰りに制服姿の同級生の女子が自宅にいるという事態にすこぶる緊張しているゆくだったが、今日はそれ以上に緊張する事態がこの後待ち受けている。


「ここ、おやの書斎。入ってみる?」

「ううん。まずはおおくんの部屋がいいな」

「分かった。……行っておくけど、別に変なものとかないからね」

「ええ? なあに、変なものって。何かあっても気にしないよ。それに私、親戚以外の男の子の部屋に上がるの初めてだし大丈夫だよ」


 妙な予防線を張ってしまったせいで変な会話になってしまった。

 何が変なものなのか、何が大丈夫なのか知らないが、突き詰めても何ら発展しない話題なのでゆくは乱暴に捨て置き、自室にエルフのわたなべを案内した。


「お邪魔します」


 二度目のお邪魔しますでエルフのわたなべを自室に入れたゆくの緊張度合が跳ね上がる。

 ゆく自身、エルフのわたなべの部屋でやったことだが、人は初めて入った部屋を色々きょろきょろと見るものらしい。


「ここがおおくんの部屋……」

「べ、別に普通の部屋だけどね」

「ううん。そんなことないよ。何となく、おおくんの匂いがする気がする」

「えっ」


 エルフのわたなべが来ることになったその日に徹底的に大掃除をしてベッドのとんや毛布も干し、むせるくらい消臭剤をバラまきまくったのだが、まだ何か匂ったのだろうか。

 今更取り返しのつかないことにらされるゆくだが、エルフのわたなべは気づく様子もなく、


「ここ、座っていい?」


 明らかに用意されているクッションを指さす。


「ど、どうぞ。その、今お茶とかお菓子持ってくるから待ってて」

「お構いなく」


 エルフのわたなべと同じ部屋にいるのも緊張するが、彼女一人を部屋に残すのもそれはそれで緊張する。

 エルフのわたなべに限って勝手にあちこち探ることなどないだろうが、先日いずが語っていた『じようせき』がつい頭をよぎってしまう。

 ボンビーリャやクィアとは比べるべくもない普通のマグカップにティーバッグの紅茶。そしてスーパーで買ったクッキーとポテトチップス。

 ゆくが考え得る限界のそれらをトレーに載せて部屋に戻ると、エルフのわたなべは相変わらず部屋を見回しながらクッションに座って待っていた。


「どうぞ。普通の紅茶だけど」

「ありがとう。いただきます」


 エルフのわたなべは一口飲んで、ぱっと華やかな笑顔になった。


「わあ、これアッサム?」

「う、うん。母さんが、割と紅茶好きで。ティーバッグだけど」

「そうなんだ。うちでもよく飲むよ。マテ茶に限らず、お母さんが日本に来たときには色んなお茶を買うの」

「そうなんだ。……それでさ、早速写真のことなんだけど」


 エルフのわたなべがやってきたのは、当然だがイーレフの里で撮ったわたなべ母娘おやこの現像した写真を渡すためだ。

 エルフのわたなべが今日こうして普通に学校に行き、帰り、外を歩いておお家に来たことからも分かる通り、二人分の魔力を吸収したカメラの撮影は、わたなべ母娘おやこの身にかけられた姿隠しの魔法を破ることはなかった。

 迷いの道が破られたときのように何かが砕ける音はしたのだが、撮影した時点ではゆくの目から見たわたなべりようの姿は変わらず、もちろんエルフのわたなべの姿が変わることもなかった。

 そして撮影の結果は写真の中に収められている。

 現像もいつもの店には頼まず、卒業した先輩に相談しながら写真部の暗室で一人で現像作業を行ったのだ。

 そのためゆくは撮影の結果がどうなったのか既に知っている。


「そうだ、写真と言えば!」


 だが現像された写真を取り出そうとしたゆくを制して、エルフのわたなべは手を打った。


「ちょっとおおくんにきちんと確認しておきたいことがあって」

「え? 何?」

「うん。大したことじゃないんだけどね」


 エルフのわたなべらしくもなく妙に笑顔に圧がこもっているのは、恐らく気のせいではないだろう。

 それを証明するかのように、エルフのわたなべの声は普段の彼女らしくない迫力があり、小柄な体をぐっと近づけてくる。


いずちゃんが写真部と兼部したいって言ってきたんだけど、本当? おおくんは、そのこと承知してるの?」

「あ、ああ、そのこと?」


 ナチェ・リヴィラから帰った翌日。

 ゆくいずからエルフのわたなべ抜きで呼び出しを受け、写真部の部室でいずが帰った後の出来事を聴取されたのだ。



ふうちゃんが……自分のエルフの姿が見えてないって、それ……何それ?」


 わたなべ母娘おやこの写真を撮ったあと、穏便に帰宅したことまでを告げると、いずは強いショックを受けたようだった。


「そういう魔法だって話だけど、たきさんは知らなかったの?」

「知ってたらこんなショック受けてないよ! そんな、私……だって」

わたなべさんからは、昨日のことは?」

「家の鍵を返したときにちょっとだけ。いつも通りおばさんとちょっとけんして、センパイのカメラは返却されたってことくらいしか」

「あれっていつも通りなんだ」


 やりで脅され、魔法の武装で吹き飛ばされそうになったのだが、あの規模のけんが日常茶飯事なのだろうか。


「母親と娘のやりとりなんて大体あんなもんじゃない? 私もしょっちゅうお母さんとあれくらいの言い合いするし」

「マジか」

「センパイはお父さんとはそういうやりとり、無かったの?」

「俺?」


 父親のことに言及されるとは思わず驚くと、いずは決まり悪そうにしながらも目をそらさずに言った。


「思い出を聞くことくらい、悪いことではないでしょ?」

「ん……。まぁ、そうだなぁ。基本俺には甘い親だったからなあ。よく母さんとそのことでけんしてた気がする」

「ふーん。まぁ昭和型の父親の方が今時珍しいか」

「それもあるんだけどさ、父さんは自然や動物を撮るプロの写真家だったから、家にいるときは平日休日関わらずずっといたけど、いないときは撮影のために何ヶ月もいないのが当たり前の人だったからさ、その時間を埋めようとして、何だかんだ俺に甘かったのかも。最低限のしつけ的なことで怒られたことはあるけど、けんした記憶は一つもないよ」

「へー。い思い出の方が多いんだね」

「まぁ、そうかな。それでも、生きていてほしかった」

「それは…………ごめん、今のはちょっと突っ込みすぎだった」

「いいよ別に。同情してほしいわけじゃないし、さすがにもう父親を寂しがって泣くような年齢じゃないから」

「……それで、写真は撮れたの? ふうちゃんとおばさんの」

「撮ったは撮ったけど、ご存知の通りフィルムカメラだし、さすがに店に出すのは不安だから、写真部の暗室でこれから現像するつもり」

「そっか。自前で現像できるんだもんね。そっか」


 いずは少し迷う様子を見てから、上目遣いにゆくを見て、姿勢を正した。


「あのさセンパイ。もし、きちんとふうちゃんとおばさんのエルフの姿を写真に撮れてたら、お願いしたいことがあるの」

「何だよ。改まって」

「全然大したことじゃない。写真部部長なら楽勝なこと」


 いずは大きく息を吸って、吐いた。