エルフの渡辺

終章 渡辺風花は、始めたい ④

 母の言わんとすることを理解し卒倒しそうになったふうだが、何とか踏ん張って反論する。


「そそっそそそれじゃいいいいずちゃんは!? いずちゃんはなんで!?」

「小さい頃のあなた達、生き別れの姉妹かってくらいに仲が良すぎていっつも二人でベタベタしてたじゃない。ちっちゃい子どもの愛って、案外重いのよね」


 幼い頃の遠い記憶に思い当たったふうは次の瞬間、頭から湯気を出して卒倒したのだった。


「ちょっと大丈夫?」

「いや、そんな仕様の魔法だなんて、聞いてな……」

「もちろんそれだけが本当の姿を見る条件じゃないわよ。世の中気の多い人だっているんだから、両おもいになるたびに顔が露見してたら大混乱でしょ。子どものうちは特に」

「子どものうちじゃなくても大混乱だと思うけど……じゃあ、他に見抜けるようになる理由って何なの」

「魂に触れることよ、レグニ緑のフニーグ指のフーカ風花。魔法にとって、名前はとても重要。あなたも知ってるでしょ」

「…………私、園芸控えた方がいいのかな」

「大丈夫でしょ。両おもいなのが前提条件なんだし、そんな相手を褒めるのに緑の指なんて気取った物言いする人、そうそういやしないわ」

「私の人生に、既に二人いるんだけど」

「男女同数である幸運に感謝しなさい」


 母の達観した笑みが悔しくて、つい娘は意地悪な質問をした。


「お母さんはどうだったの。レダート・エスロウ・リョーカ名伯楽の涼香

「私が自分の真名を嫌ってるのを知ってのことか」


 りようは娘に最大限顔をしかめてから、鼻を鳴らした。


「一人だけよ。幸か不幸か、ね」



 思い出すだけで毛布をかぶって枕に顔をうずめて暴れ出したくなるような母との会話を思い出しながら、ふうは熱を帯びた声で尋ねる。


おおくんのご両親のこと、教えてもらえますか?」

「うん。父親はプロのカメラマン。一般的に有名じゃないけど、大きな本屋だったら写真集を置いてもらえるレベルの人だった。母親は結婚前から今までずっと生命保険会社に勤めてて、だからってわけじゃないけど、父さんが死んでもうちの家計が傾くようなことはなかったよ。その点、普段から感謝してる分、今は家事はほぼ俺の役目だけどね」


 ゆくはそう言って立ち上がると、ふうを手招きした。


「よかったらおやの部屋、案内させてもらえる?」

「うん。お願いします」


 ふうを連れて廊下に出たゆくは、何ら躊躇ためらうことなく父の書斎を開ける。


「わあ!」


 ふうは思わず声を上げた。

 カーテンを閉め切った六畳ほどの部屋の中で最初に目についたのは、ふうの腰ほどの高さもある巨大な二つの防湿庫だった。

 片方はカメラ。片方はレンズ。等間隔に丁寧に並べられたそれは、いかにもプロのカメラマンの部屋にあるもの、という感じだった。

 本棚には『おおしんいち』の名が入った写真集が何冊もささっており、整えられたデスクにも壁にも、しろうとに明らかに卓越した技術と知識で撮影された写真が無数に飾られている。


すごい! プロの部屋って感じがする! ああいうの、電気屋さんで見たことあるよ!」


 興奮気味にレンズの並んだぼう湿しつを興奮気味に指さすふうに、ゆくほほんだ。


「よくは知らないけど、カメラのいいレンズってすごくデリケートなんだよね?」

「うん。しかもちやちや高い。昔聞いた話だと、右の防湿庫の一番下にあるやつは、どれも百万円超えらしい」

「ひゃっ!?」

「ただかなり専門性の高いレンズだから、普段の仕事で使うのは、結局三十万から五十万のあたりの使ってたらしい」

「そ、それでもそんなにするんだ。ふわぁ……」


 具体的な値段を聞いた途端に部屋の中の全てが高級品のような気がして、ふうは動けなくなってしまう。


「あのカメラは、あそこに置いてあったんだよ」


 だが家主のゆくはもちろん慣れた様子で部屋のデスクに近づくと、何の気なしに椅子を引いてデスクに付属している本棚の上を指さした。


「仕事で使うカメラはああいう風にぼう湿しつに必ず片付けられてたから、外に置きっぱなしって珍しくてさ。父さんが死んだってことになって、葬式することになったとき部屋に入って、初めて見つけたんだ。外に出しっぱなしってことは仕事用じゃないってことだから……それなら、俺が借りてもいいんじゃないかって思って。そしたらデジカメじゃなくてフィルムカメラでしょ。使い方理解するまで結構時間かかったし、本当、小遣いがいくらあっても足りないのは本当参るよ」


 どこか誇らし気に、だがどこか悲し気にじようぜつに話すゆくの言葉のかすかな違和感に、ふうは気づいた。


「死んだことになって、って、どういうこと?」

「誰も、父さんの死を確認してないんだ。仕事の撮影旅行中に行方不明になった。登山者登録が必要な山に登って予定下山日になっても戻らなくて、結局遺体も見つかってない」

「っ!」

「だから、なのかな。葬式のひつぎは空っぽだったし、葬式からもう三年もってるのにいまだに死んだって気がしてなくて、いつかフラっと帰ってくるんじゃないかと思うとね……まだ、その辺のカメラには手を出せない。仕事用の高いやつ、勝手に使ったら怒られそうだし」


 そう言うと、ゆくは防湿庫の前にしゃがみ込んだ。


「あとはなー。父さんがそんなことになったから、母さんが俺を写真の道に進ませまいと色々チクチク言うようになったのは本当めんどい。写真で食えるのは一握りだとか、儲からない割に金は飛んでくとか、事あるごとに言うから面倒くさくてさ」

「そう、なんだ……」

「だから俺、今度のコンテストでは絶対に何か実績を残したいんだ。逆にね。プロになるならない以前に、俺自身が単純に写真撮るのが好きなんだってことを示すためにも。だからモデル引き受けてくれたわたなべさんには毎日感謝してるし、それに……父さんのことについても勝手に感謝してることがあって」

「え? お父さんのことで? どうして?」

「異世界の存在を証明してくれたから」


 ゆくはそう言ってまた立ち上がった。

 ゆくの目線の先にあるのは、写真ではなくか保険会社のパンフレットが入った額縁だった。

 黄色い花と青い峰の対比が美しい雄大な自然を背景に、どこかゆくに似た面影のあるスーツ姿の女性がライフプランを提案するための書類を笑顔で抱えている、そんなパンフレットだった。


「あんなに気軽に行ける異世界があるならもしかして、父さんは山の事故で異世界に転移して、そっちで元気に写真撮ってるんじゃないかなって思えたんだ」

「……うん。そうだと、いいね」


 ふうは部屋に入って初めて一歩踏み出しゆくの隣に立つと、遠慮がちに、だがゆくの心を励ますように、その手を握った。


「湿っぽくなっちゃったな。ごめん。次はわたなべさんのご両親のこと、教えてもらえる?」

「う、うん。もちろん。お母さんにはもう会ってもらったけど、イーレフの里の治安管理の職についてて、普段は向こうにいるから、日本での生活は大体お父さんがね……」

『十人十色のライフプランに寄り添う保険』


 撮影・おおしんいち、と小さく印刷された額縁の中のパンフレットのキャッチコピーを見ながら、家族のエピソード、愚痴、笑い話に、ゆくふうは花を咲かせる。