エルフの渡辺2
第一章 渡辺風花は誰もが認めるほどかわいい ⑥
そう思ったからこそ、こうしてもう二度と見ることはないのだろうと何となく思い込んでいた、動く『日本人の渡辺』とこうも簡単に再会してしまったことで、行人は自分の心が激しく揺れたことを自覚せざるを得なかった。
つまるところ『エルフの渡辺風花』と『日本人の渡辺風花』を、行人の心が無意識に比較してしまったのだ。
「もおおおおお……」
風花の真の姿をそばで撮り続けたいと豪語した舌の音も乾かないうちからのこの事態、しかも風花が危機的状況に陥っているという話の中でのことだったので、行人は激しく自己嫌悪に陥ってしまう。
悪事も陰口も、露見しなければ存在しないも同じだが、それでも風花に対して誠実でいたいと心の底から思っている行人ができることと言えば。
「せめて渡辺さんの言うことをきちんと聞いて、渡辺さんの邪魔にならないようにしよう」
あのフィルムカメラは学校に持ち込まない。
風花が行人の知らない人間と交流しているとき、向こうから呼ばれるなどない限り、決して介入しない。
◇
そう決めたのに。
「なんか今日渡辺さんの周り、人多いな」
「あ、ああ」
翌日の学校で、風花のところに全ての休み時間で、常に誰かが風花を訪ねてきた。
状況は昼休みになっても変わらず。クラスメイトと机を囲んで学食のサンドウィッチを齧るというレアな光景が見られたほどだ。
風花を囲んでいるのは原則的には同じクラスの女子なのだが、たまに見知らぬ他クラスの女子や、一年生の色のタイをつけた女子がいることもあった。
だが風花の昼休みは、姿隠しの魔法に吸い取られた魔力を回復するために、園芸部の部室で隠れて大食いをするのが基本だ。
行人の見ている限り、昼休みの風花は普段の十分の一も食べていなかった。
大丈夫なのか心配していると、五時間目と六時間目の間の短い休み時間に、風花が教室を抜け出してどこかへと走って行った。
恐らく少しでも足りない分の昼食を腹に収めにゆくのだろう。
「大丈夫だとは思うけど……」
姿隠しの魔法が消費する魔力は膨大らしく、しかも魔力が尽きるとエルフは死んでしまうらしい。
さすがに一食食べ損ねたからといって即死するようなことにはならないだろうが、もしこの状況が連日続いたらと思うと、さすがに心配になる。
「一緒に食べればいいってもんでもないしなぁ……」
いくらなんでも、今日風花を取り囲むニューフェイス達全員がナチェ・リヴィラからの監査隊関係者であるはずがないし、手助けしたくても、部室で待ち構えてフォアグラを作るように風花の口にハイカロリーな飲食物を流し込むわけにもいかないのだ。
風花が腹をくくれば多少クラスを騒がせることにはなろうが、教室であの三段重&リンゴ丸齧りを披露してしまう、という手もないではないが、それができるなら風花は元々そうしていただろうし、当初想定していたとおり、フードファイターとしての人気が上がって今とは別種の人間に囲まれてしまう恐れもある。
何より風花からSOSが発せられないうちは介入しないという約束なのだ。
まんじりともしない行人の視界の隅で、風花は口をもごもごさせながら教室に戻ってきて、行人を安心させるように軽く手を振ってから自分の席に戻ってゆくが、
「安心できねぇって」
教室に戻ってきたと思ったら幼稚園児みたいに口の周りにご飯粒のおべんとを大量に装着しているのだから、どれほど慌てて食べていたのか想像がつく。
「やだー、ふーちゃんどうしたのその顔!」
「え? 何かついてる? じつはちょっとお昼足りなかったみたいで小腹空いちゃって」
風花の前後の席の女子がご飯粒の群れを発見して、軽い調子で注意を促すと、風花は顔を赤くしながらご飯粒を指で取って、指先についたそれを小さな口に次々押し込む。
「え? わ! もーやだ。ごめんね。あむ……」
「うぉ、ふーちゃんなんかちょっとその仕草エロい」
後ろの席の女子が低い声で微笑みながら言う。
行人も正直同じ気持ちではあったが、それはそれとして『ふーちゃん』というアダ名は行人的には解釈違いだし、どこに潜んでいるか分からない隠れ渡辺ファンなる男の集団の反応が気になるので余計なことを言わないでほしいし、なにより毎日こんなことしてたら風花の胃袋が保たない。
「確かにちょっとエロかったな」
「やめろ」
行人に聞こえたということは哲也にも当然聞こえたということで余計なことを言うが、自分の席で哲也と会話すると風花のエルフ耳には聞こえてしまっているらしく、エロかった、で始まる会話など絶対にしたくない。
「そう言えばさっき、何で今日の渡辺さんがあんなに人気なのか聞いてきたぜ」
「え? マジで?」
「気になるか? ん?」
「変な笑い方すんな。頼むから教えてくれ」
「おお? 何か必死だな?」
哲也としては、何かと風花と距離が近い行人をからかってやろうという空気で話しかけてきたのだが、行人としては非常事態を予告された翌日の異常事態なのだから言われるまでもなく必死である。
「半分くらい、お前が原因みたいだぞ」
「は? 俺? 何で?」
流石に身に覚えがなさすぎて困惑するが、哲也はある意味行人より困惑したように肩を竦めていた。
「さっき隣のクラスの奴に聞いた話なんだけどさ、行人、お前『とちとく』って知ってる?」
「いや知らん、聞いたことない。とちとく? なんだそれ、日本語?」
「『東京地域匿名掲示板』の略らしいんだけどさ、何か大きな匿名掲示板の中に、東京に特化した掲示板があって、しかもその中でも更に板橋区とか練馬区とか、限られた地域の出来事に特化した掲示板があるんだってさ」
「はあ……」
「で、その練馬区の掲示板に、区内の美少女、みたいなスレッドがあって」
「は?」
話が急にきな臭くなって、行人の顔色が一気に険しくなる。
「そこに載ってたんだよ。お前がコンテストで受賞した渡辺さんの写真が」
「はあああああ?」
行人は思わず大声を上げて周囲の注目を集めてしまい、慌てて声を潜める。
「あの写真はかなり注意して、ジャージの名前の刺繡が見えないカットを選んだんだぞ!」
「ンなこと言っても、渡辺さんのこと直接知ってるとか、うちのガッコのジャージ知ってる奴なら特定はそんなに難しくないだろ」
「と、特定って……」
不特定多数が利用する掲示板で個人が特定されることの恐ろしさは行人も知識としては理解してたが、まさか自分が原因で風花がそれに巻き込まれてしまうとは想像だにせず、一気に血の気が引く。
「あー、まあ安心材料になるか分からんが、スレッド自体はアクティブユーザーがほとんどいなかったから、一気にSNSとかで拡散! とかにはならないと思うぞ。掲載されてた写真も解像度結構低かったし」
「低かったってことは、お前も見たのか?」
「ああ、お前とこういう話になると思ってたからURL教えてもらった。これだよ」
提示された哲也のスマホをひったくると、確かにそこには東京学生ユージュアルライフフォトコンテストで受賞した風花の写真が表示されていた。
出所は受賞作を掲示したコンテストのポータルページしか考えられないが、当然ながら主催者側は掲示した受賞作を直接PCやスマホで画像保存できるような形式にはしていなかった。
写真の縦横比や切り取られ方が行人の記憶と微かに異なっていたり、今時のレベルではあるものの確かに画質は荒いため、恐らく表示画面から写真の部分だけスクリーンショットで切り取って抽出したのだろう。