エルフの渡辺2

第二章 渡辺風花は運動部のノリに慣れていない ①

 靴底のゴムが甲高い音で床板を擦る音と、ボールが床と部員の筋肉を叩く音が空間全体に響き渡っている。


「おーら足止まってんぞ! ビビんな一年! ボールから目ぇ離すな!!」


 行人と写真部が男子バレーボール部部長、天海璃緒からの『魔王討伐のために力を貸す』という依頼を受けた翌日、招かれた体育館の中は、男子バレーボール部の気迫と音に満ちていた。


「こっちこっち。こっそりとね」


 男子バレーボール部部長、天海璃緒に手招きされながら、スクールバッグを抱えた行人と泉美、そして風花は、練習中の男子バレー部の横をすり抜け、足早に体育準備室に滑り込んだ。


「す、すごいね。私、運動部が本格的に練習してるところを間近で見るの初めてなんだ」


 風花は口元に手を当てながら目を見開いて、準備室のドアを貫いて聞こえてくるボールの音に耳を澄ませる。

 すると金属の扉に派手にボールがぶつかる音がして、風花はビクリと身を竦ませて扉から一歩距離を取った。


「いいぞ! それくらいガツガツ食いついて行け! ミスは気にするな! とにかく喰らいついて魔王討伐のための経験値を上げろ! 交代! 今のガッツに負けんな!」


 今の音を立てたボールは何らかのプレイのミス球だったのだろう。

 だが指導をしている男子バレーボール部顧問、五島教諭の声は明るくミスを褒めるような雰囲気すらあった。

 それを聞いて風花は行人と思わず目配せをしてから、恐る恐る璃緒に尋ねる。


「先生も『魔王討伐』って言ってるんですね……」

「ああ。オレ達が全国大会に行くために倒すべき相手、馬淵山大付属桜花は、東京のバレーボール部を絶望させ続ける絶対の魔王だからね」


 馬淵山大学付属桜花高等学校。

 高校バレーボールの世界に於いて、東京都の絶対王者であり、南板橋高校が躍進した前回春高バレーベスト4に残った圧倒的強者である。

 高校バレーボールの三大全国大会、春高バレー、インターハイ、国スポバレーの全てで十五年連続全国大会に進出し、過去には全国優勝経験すらある名門中の名門であり、対戦相手にとっては絶望的とも思えるその実績と強さから大学と高校の頭文字である『馬』と『桜』の読みをもじっていつしか都内の男子バレーボール部から『魔王高校』と呼ばれるに至った。

 南板橋高校男子バレーボール部は東京大会準決勝でこの馬淵山大桜花に当たり、1セット差まで詰め寄った末、力尽き敗北を喫する。

 それでも都大会三位かつ魔王討伐にあと一歩まで迫った学校として、前回春高バレーで南板橋高校の名は大いに高まったのだ。


「夏の大会も、間違いなく馬桜とはやり合うことになる。だから五島先生もオレ達も、魔王討伐のために今、やれることは何でもやろうと思った結果、写真部の皆さんにお越しいただいたってわけ」


 璃緒が写真部に依頼したのは、新たに作る部員名簿用のバストアップ写真と、練習風景の写真、可能ならばオフショット、その三種の写真の撮影だった。

 コンテスト入賞経験のある写真部に写真を撮ってもらうことが直近の夏のインターハイに向けた魔王討伐と、それ以降の部の底力を上げるために重要だと、現部長の璃緒と顧問の五島は考えているらしい。


「なるほど……って言いつつ、割と重要そうなタイミングで写真部が部活動中の写真を撮ることが部の強化にどう繫がるのか、まだよく分かってないんですけど……あと」

「え? なぁに? 大木くん」

「ああいや、何でもないよ」


 写真部の活動に当たり前のように風花がついてきていることに微かな疑問を覚えたが、行人としても風花と一緒にいたくないわけではないので、その疑問は心の中で霧散させた。


「それじゃあ小滝さん、とりあえず持ってきた照明関係の物、組み立ててくれる?」

「はーい、了解」


 璃緒と風花の手前もあってか、泉美は珍しく素直に行人の指示に従い、被写体を適切に照らすために必要な簡素な照明器具を三脚などに設置する作業に入る。


「ところで天海先輩。ちょっと人数少なくありませんでした? 見たとこ顧問の先生以外は一年しかいなかったような気がするんですけど」


 複雑な道具ではないとはいえ、一度教えたきりの組み立てを器用にこなしながら、泉美が璃緒に尋ねた。


「ああ、二年と三年は今外で走り込みに行ってるからね。今のうちの部はまず一年がコート練習をして、上級生は後からやることになってるんだ」

「そうなんですか? 普通、運動部だと上級生から先に練習やるものだって思ってました」


 行人が問うと、璃緒はぱっと笑顔を浮かべて、よくぞ聞いてくれた、という勢いで話し始めた。


「大木君が言うのって、野球部やテニス部で下級生が球拾いばかりやらされてる、みたいなイメージからきていないかい?」

「そ、そうですけど……」


 ぐっと迫られて行人は思わずのけぞる。


「まぁ、そんな感じです。実際うちの高校の野球部やテニス部のことそこまできちんと知りませんけど、中学ではそんな感じだったんで」

「なるほど。じゃあ大木君は、そのことに下級生の立場から若干の不公平さを感じたことがあるんじゃないか? もしかして、中学では運動部を?」

「え? 大木くん、そうだったの?」

「センパイが運動部ぅ? ナイナイ、ありえないっしょ」

「はい。実は中学ではバレーボール部でした」

「えっ! 本当!?」

「えっ? 噓ぉ!」


 風花と泉美は、見事に正反対の反応を示した。

 風花の目からは、自惚れではなく行人がこれまで話してこなかった過去に対しての純粋な興味と称賛が見て取れ、泉美の目からは胡散臭げな疑問の色が見て取れた。


「本当だよ。哲也と仲良くなったのもそれが縁なんだ」

「えぇ? マジで? じゃあなんで高校じゃ写真部なわけ?」

「そ、それは私もちょっと気になるかも。今まで聞いたことなかったし……」


 問われて行人はちらりと璃緒を見ると、決まり悪そうに全員から目を逸らした。


「単純に、上手くなかったから続けようと思わなくなっただけだよ。うちの中学はバレーボール部の部員の数が多くてレギュラー争いが激しくて、俺は特段体が強かったわけでも技術があったわけでもなかったから、試合に出られたのもBクラスってレギュラー落ちグレードのトーナメントで、しかも片手で数えられるくらいなんだ」

「なるほど」


 風花と泉美は話の続きを待つ姿勢だったが、璃緒だけは先を読んだように小さく頷いた。


「もちろん全くの未経験者よりは上手い自信はあるし、試合を見るのは今も好きだよ。でも高校の運動部は中学とは比べ物にならないくらいハードだってイメージがあったし、そんな中、続けられるほどの自信も実力もなかったから、元から興味があって中学には無かった写真部に迷わず入ったんだ」

「ふーん。まぁ気持ちは分からなくもないけど、何で今まで言わなかったの?」

「バレーボールをやめて写真部に入ったこと自体に後悔は全くないよ。でも見方によっては挫折の経験だし……それに」


 行人はわずかに言い淀むと、決まり悪そうに風花を横目で見て、すぐに逸らした。


「男子として『高校の運動部が大変そうだからやめました』はやっぱ、ちょっとさ、かっこ悪いエピソードかなって、ね」


 一人の女子に恋をした一人の思春期男子として、運動部でない、運動部を挫折したという事実は世の中の綺麗事など抜きに引け目となる。

 少なくとも、引け目と感じさせるだけの世の中の空気は確かにある。

 だからできればこのことは風花には知られたくなかったのだが、部を全国区に押し上げたエースの部長の前で告白しなければならなくなったのは皮肉なものだった。