エルフの渡辺2
第二章 渡辺風花は運動部のノリに慣れていない ⑧
「泉美ちゃん!? 今何か不穏なこと言ってなかった!?」
「言ってませんよー何も言ってませんよー」
「もう! 大事な事なんだから! 大木くんと長谷川さんが二人きりにならないように注意してね!」
「一年の私にできるわけないでしょー。今のところはセンパイに頼まれてることで手一杯なんだから、風花ちゃんが危機感持ってるところは風花ちゃんがやってよ」
「むふー!」
「むふーて。いや意地悪で言ってんじゃなくて、こっちはこっちでそこそこ緊張強いられるんだもん。意外と気を遣うしさ」
泉美は言いながら行人を横目で睨む。
「仕方ないだろ。その分、小滝さんが自由にしていいからさ。まあ、それはともかくとして」
「むふー」
「よその部活からの撮影依頼として不自然なところは何もないし、現時点では天海先輩や長谷川さんが怪しいってのもまだ俺達の言いがかりレベルでしかない。渡辺さんのお母さんから話を聞いてまだ間がないし、俺や小滝さんは特に何かあっても抵抗できるわけじゃないんだから、今のうちは自然に過ごすしかないよ」
「むふー!」
風花がむふーしか言わなくなってしまったのと、これ以上額を突き合わせていても進展する話はないので、この日は解散となった。
園芸部の部室を出ると、思ったより長時間話し込んでしまったようでもう既に空は暗くなり始めていた。
「それじゃあ明日以降の撮影スケジュールは、帰ってどれくらい写真の調整ができたかで変わるから、夜か明日の朝連絡するよ」
「おっけー」
「うん、分かりました。大木くんも泉美ちゃんも、気をつけて帰ってね。お母さんから何か新しいことを聞けたら私からも連絡するね」
お互い手を振って風花と泉美と別れた行人は、いつもの家路を少しだけ緊張しながら歩いた。
学校から自宅までの道は、大通りからは少し離れているものの非常に人通りは多い。
風花の話を聞く限り、監査隊は別に狼藉者ではないので、渡辺母娘の真の姿の写真が撮影された真相を知りたいからと言って、行人を誘拐したり持ち物を奪ったりはしないだろう。
というか、そんなことをするような相手だったら流石に風花の母親が無策のまま行人達を放置はしないだろう。
「とはいえ……ナチェ・リヴィラの『人間』には、まだ会ったことがないんだよなぁ」
行人が会ったことがあるのは、イーレフの里のエルフだけ。
全員見た目こそ人間……というか日本人だったが、あの中にエルフ=サン・アルフでない者はいなかったはずだ。
そして、風花の故郷イーレフの里は浮遊『監獄』島にあり、全エルフが監獄島に収容されているのだから、当然エルフにその状況を強いているのがエルフではない他人種。
その中でも人間が多数を占めるのは想像に難くない。
「エルフを無暗に差別したり、異世界をナチュラルに下に見るような人が来たら嫌だなぁ」
トラブルが起こるのは分かっているのにその正体が分からない。不安が漠然としすぎていて、非常にストレスフルだ。
「俺の、というか渡辺さんの写真が勝手に変な掲示板にアップされてた件は手がかりもないしなぁ」
流石に日をまたいだおかげで今日は風花を物珍しげに見にくる野次馬はいなくなったが、元々交流があり、写真の一件を経て仲が深まったクラスメイト達は昨日と変わらず風花の周りにいて、彼ら彼女らはそれこそ璃緒や結衣と同程度に疑おうと思えば疑えるし何も怪しくないと言えば怪しくない。
「渡辺さんの元からの交友関係全部知ってるわけじゃないし、渡辺さんの友達や知り合いを疑うのは逆に渡辺さんに悪いしなぁ。はぁ、疲れた……」
信号待ちをしながら行人はスマホをポケットから取り出す。
「晩飯作るのダルいなぁ……写真の加工と名簿とファイルの突き合わせもしなきゃいけないし、母さんには悪いけど今日はどっか外で食べてきてもら……ん? ん!? なんだ!?」
バレー部からの園芸部会議でずっと見ていなかったスマホの画面が、無数の着信とLINEメッセージで埋まっており、どうやらその全てが母からだった。
時間はちょうど園芸部で誰が怪しいか会議をしていた間だ。バレー部の作業中に何かあったら悪いと思い、完全マナーモードにしていたのが仇になったようだ。
最後のメッセージは、
『気づいたら早く連絡して帰ってきて』
短いが切迫したもの。
慌てて母に電話を折り返すと、待ちかねたように母が着信を取った。
「あんた何やってたのよ! 何回もかけたのに!」
開口一番罵声が飛んできて、行人は思わずスマホから耳を離してしまう。
理不尽な罵声ではあったが、それ以上に母の口調に切迫した様子があった。
しかも何やら大勢の人間が動き回る気配もしたため、行人は心を落ち着けて問う。
「部活中でマナーモードだったんだよ。悪かったって。何があったの。今もう家?」
「家よ! 慌てて帰って来たの! 実はね……!」
母がまくし立てたのは、あまりに行人の想像を超えた事態だった。
「え……えっ、マジで?」
「だから焦ってるのよ! あんたにしか分からないことがあるから、とにかくすぐに帰ってきて!」
「わ、分かった。もうあと十分もすればつくから……!」
スマホを切ると、ちょうど信号が青に変わり、行人は自然に走り出していた。
一刻も早く家に帰らねばならない。
だが、母の言うことがまだ信じられず、ただでさえ不安に駆られていた行人の心臓は更なる不安で激しく乱れ、呼吸も足も上手く回らない。
それでも汗だくになりながら必死に足を動かして、そこを曲がれば家が見える、という街角を通り過ぎると、
「噓だろ」
家の前にパトランプを回したパトカーが一台、ワゴンタイプの警察車両が一台、更に、父が亡くなってから導入した警備システムの管理会社のスクーターが一台停まっていて、玄関先で深刻そうな顔をした母が何かを指さして警官と話していた。
「……あの、ただいま……」
恐る恐る近づいて声をかけると、母と警官が物凄い勢いで振り向き、行人は思わず一歩後ずさる。
「息子さんですか? 大木行人さん?」
「そうです。さっきまで学校にいて……行人、とりあえず中に入って。あんたの部屋もだけど、何よりお父さんの部屋はあんたじゃないと分からないことがあるから」
「う、うん分かった。でも……」
警察と母に促されて家の中に入り、いわゆる『鑑識』っぽい人達が大勢家の中をうろついているのを見てもなお、信じられなかった。
「マジで……うちに空き巣が入ったの?」
玄関脇に設置された、セキュリティ上の異常を知らせる警備会社の黄色いランプこそが、容赦なくその現実を行人に知らせるのだった。