エルフの渡辺2
第三章 渡辺風花は決意を固める ①
「空き巣って、そんな…………!」
風花はそう言ったきり、絶句してしまった。
「ちょ、それマジなの? 家族とか大丈夫だったの? センパイお母さんと二人暮らしなんでしょ!?」
泉美もさすがにシリアスな顔で、普段の茶化すような雰囲気は出さなかった。
「大丈夫。ありがとね。家に誰もいないときに入られて、契約した警備会社がすぐに駆け付けてくれたから窓を割られた以外は何も被害はなかったんだ」
「そうなんだ。よかった、って言っていいことじゃないけど、でもそれなら不幸中の幸いだったね」
「…………」
泉美は安堵する様子を見せたが、風花はまだ息が止まってしまったように顔色が青ざめている。
「ただまぁそれで昨日はバレー部の写真を編集するどころじゃなくてさ。このあと天海先輩と長谷川さんにも今日は行けないって謝りにいかないとなんだ。だから小滝さんも、今日は写真部の活動はナシだから園芸部に集中してもらって……」
「……ない」
「え?」
「…………大木くんが謝る必要なんかない!」
今まで絶句していた風花が、止めていた分の呼吸を取り返すほどの大声で叫んだ。
「ふ、風花ちゃん!?」
「私が行ってくる! 私が天海先輩と長谷川さんに謝って来るから! 大木くんは何も悪くなんてない!」
「や、ちょっと待って急にどうしたの? 渡辺さんに謝られても向こうも困ると思……」
「きちんと説明する! もちろん大木くんのお母さんにも!」
「うちの親!? なんで!? 何を説明するつもりなの!」
「私がエルフだってこと!」
風花の叫びに貫かれた行人は、驚きこそしたが心のどこかで風花がこういう反応をしてしまうのではないかと予想していた。
「だって……どう考えても、監査隊が大木くんのあのカメラを狙ってやったことでしょう?」
「…………そうとは限らないんじゃ」
「大木くん。前に言ってくれましたよね。私の声の解像度には自信がある、って」
「え? あ、ああ。うん」
「は? 何それ。聞き捨てならなんぎゃ!」
「泉美ちゃんはちょっと黙ってて。真面目な話だから」
「ふぁたひもまぢめなはなしをふがふが……」
顔面をパーで制された泉美は、それでもいつになく厳しい声色の風花の言うことを素直に聞いて口を閉じた。
「大木くんも、どこかでそう思ったんじゃないですか。それで、私もそう思っちゃうって、分かってた。今の大木くん、そんな口調だったよ」
「……あー」
そこまで具体的に明文化できる心持ちであったわけではない。
だが、そう言われればそう思ったこともまた事実だ。
「私だって……」
風花は目に涙を微かに浮かべながら、怒りに顔を赤くして呟く。
「私だって、大木くんの声の解像度は、そこそこ自信あるんだよ」
「……わ、渡辺さん?」
「だから、大木くんが何を考えてこの話をしたかも分かる。だって黙ってることだってできたはずだもん。でも、どこかでもしかしたらナチェ・リヴィラの監査隊がやったことじゃないかって可能性が捨てきれなかったから、黙って私を心配させないことより、情報をきちんと共有して一緒に心配しようとしてくれたんでしょう?」
「いや、それは」
あまりにも真っ直ぐな好意的解釈に、行人も気恥ずかしくなってしまう。
「そこまで……そこまで考えて話したわけじゃ、ないよ。多分。でも、なんだろ、もっと単純に噓つきたくなかったんだ」
行人は、風花の視線に耐え切れず目を逸らした。
だがうしろめたいからではなく、風花の瞳を正視してこれを言うことが、ひどく大仰で気恥ずかしいことだと思ってしまったから。
「渡辺さんがそう思うだろうことは確かに……うっすら想像はしてた。だから言いたくない気持ちもどこかにはあったんだ。ただ……昔、父さんがさ」
「お父さん?」
「うん、死んだ親父。自然風景の写真が専門だったから、海外行くこともあってさ。中には治安状況があんまりよくないとこもあったりして、そういうところ行くときに……父さんは必ず俺にも母さんにも、どんな場所に行ってどんなリスクがあるかってことを、必ず話してから行ったんだ」
自然風景の写真と言っても様々だ。海と山では当然ながら想定されるリスクは違うし、国や地域、北半球か南半球か、熱帯側か冷帯側か、危険な生き物はいるのか、父は可能な限りのネガティブな情報を家族と必ず共有した。
「それに対して母さんは必ず、そのリスクにどんな対策を立ててるかを質問してた。これは母さんが保険会社の人間だってことも大きかったとは思うけど、とにかくネガティブな情報を伝えることって、確かに心配させるけど、逆に言えばそのネガティブなことに対して心構えができてる、ってことをアピールさえすれば逆により具体的に安心させられるって、実感してるんだ。俺も安心させられる方だったから。つまり、だから、そういうことでさ」
「お、大木くん、あの、そういうこと、って?」
「だから、確かに渡辺さんに心配かけたくなかったけど、それ以上に今の俺達の間柄でこういうトラブルを黙ってるのは、単純に相手を信用してないみたいだからそれが嫌で……」
「うん、うん、それは分かるけど、そういうことじゃなくて、今重要なのはそこじゃなくて」
「え?」
顔を上げると、風花は胸の前で両手をもじもじと動かしながら、真っ赤な顔で何もない部室の壁に顔を向けていた。
「その、大木くんのお父さんが、お母さんにしていたみたいに、その、私に、してくれたって……ことでいい、のかな」
一瞬、何を確認されたのかが分からなかった。
分からなかったが、風花の横で泉美が不動明王か閻魔大王かといった顔で行人を睨んでいる表情から逆算し、自分がたった今何を言ったのか分析する。
今の行人は、自分の行動原理が父が母にそうしていたという過去に基づいていた、という家庭内特殊事情を語っただけのつもりだった。
だが泉美が行人に怒っているということはつまり行人と風花の人間関係が接近の傾向を示していたということであり、この連立方程式を因数分解すると。
「あっ…………い、いや、その」
『夫』が『妻』にしいたことと同じ哲学で今、自分は風花に物を言ったのだとようやく気づき、
「その、あの、あ、あ、あの……」
行人も一気に体温が上がり、言葉がつっかえるたびに泉美の眉と目じりのせり上がる角度がが世界一の急坂、フォルズ・ペン・スレフの勾配37・45%を凌ぐ急角度になってゆく。
「その! あくまで一例としてね! ほ、ほら、今の俺達の状況って極めて特殊だし! どんな細かいことだろうと情報共有は怠らないようにしないといけないなってのもあって、だから、その……」
浅はかな言い訳に終始していると自分で理解しているし、言葉を繰れば繰るほど本心から声が離れてゆく。
その惑乱が目に浮かんでいたのだろう。
少しだけ顔の赤さが引いた風花が一歩ぐっと近づいてきて、
「ふっ……風花ちゃんっ!!!!」
泉美の悲鳴も追いつけない速さで、立てた右の人差し指を行人の口を塞ぐようにして当ててきたのだ。
「んむっ!?」
「私……分かってる、つもりだよ」
「……!!」
自分の唇に、食べ物でも、飲み物でも、食器でも、リップクリームでも、歯ブラシでも、ハンカチでも、タオルでも、マスクでも、ティッシュペーパーでも、ポテトチップスを摘んだ自分の指でも、うつぶせに寝たときの枕やクッションでも、着替えるときの衣類の裏側でもないものが、人生で初めて触れた。
「大木くんは優しい人だから、きっと私だけじゃなくて、泉美ちゃんや小宮山君や天海先輩や長谷川さんにも、心配かけないように、同じように本当のことを話すって、分かってる」