エルフの渡辺2

第三章 渡辺風花は決意を固める ③

 大木夫妻の間でしか成立していないことを自分が風花にしたことになってしまって。


「あれは、その……そう言うこと……なの、かな」


 エルフだなんだという話を知る直前。日本人渡辺風花に告白をしてOKをもらったとき、一つだけ気になっていたことがある。

 風花は自分の想いを受け止めてくれた。

 だが、それはそれとして風花は自分のことをどう思っているのか、ということだ。

 彼氏彼女のお付き合いをしたいということは明言したから、その状況を了承してくれるくらいには自分に好意的な感情を持っていたことは間違いない。

 だが、自分のことを『好き』かどうかは、当然のことだが分からなかった。


「これから、二人で、お互いをもっとよく知り合っていこうって、そういうレベル、だった、ような……」

『私、嬉しかったんだ』


 何が嬉しかったのか。行人が、両親の夫婦仲のことを話して、それに準じて風花に自分の態度の理由を話して……。


『だから、勘違いしたままにさせてもらえますか?』

「えっ……」


 目の裏に焼き付いたエルフの渡辺風花が、あの花壇の前で告白した日本人の渡辺風花の記憶の上に、あの指の感触と共に、稲妻のような一瞬の間だけ、上書きされる。


「えっ、いや、だって、そんな」


 もし勘違いなら、あまりに痛々しい。

 思春期の男子ならば誰でも考えることだし、曲がりなりにも告白が成功している身としてある意味傲慢なスタンスでもある。


「え……えっ?」

『私、嬉しかったんだ』

「え、渡辺さん、え?」

『私、嬉しかったんだ』

「え、これ、え? まさか」

『私、嬉しかったんだ』

「渡辺さん、もしかして、本当に俺のこと……」

「こんなところで何してるの大木君」

「ほわあああああいっうえっげほぉ!?」


 丸まった背中を突然誰かに叩かれ、行人は絶叫とともに跳ね飛び、激しく咽てしまった。


「きゃああっ!? な、な、何!? 私そんな驚くことした!?」

「い、い、い、いや、いやっ、は、は、は、長谷川さんっ!? な、なんでここに!?」


 驚き過ぎて心臓が口から飛び出しそうな行人と同じくらい驚いた様子の長谷川結衣が身を竦めたような様子で立っていた。


「何でもなにも、普通に天海部長の教室に行った帰りよ! ちょ、ちょっと近づかないで! 顔がなんか怖い! 気持ち悪い!」

「えぇ」


 確かに今の自分の思考は自分でも気持ち悪いと思ったし、結衣を驚かせてしまったのも事実だが、たとえこちらに非があっても女子から気持ち悪いと言われると非常に傷つく。


「いや、でもちょうどよかった。長谷川さんに話しておきたいことがあってさ」

「え? 私に?」


 すると結衣は、突然周囲をきょろきょろすると、警戒する様子を見せながらも一歩だけ行人に近づいた。


「それって……何か、大事な話?」

「大事かと言われれば、まあそうかも。ちょっと迷惑かけちゃうというか……」

「来て! こっちに!」

「え?」


 すると突然結衣は行人の手を取ると、強引に引っ張り始めた。


「え? ちょ、ちょっと長谷川さん!?」

「いいから!」


 思いがけず強い力に抗えず連れてこられたのは、校舎の一階西端にある階段下のスペースだ。消火栓がある以外は日も当たらず、美術や技術のような専門科目のために使われる教室ばかりがあるエリアであるため、普段ほとんど生徒がやってくることもない。


「で……何?」

「何って……それはこっちのセリフなんだけど……なんでこんなとこまで」

「大事な話って言ってたでしょ。それなら出来るだけ人がいないところって思ったら、ここくらいしか思いつかなかったの」

「はあ」

「……それとも……ここでもできない話?」

「へ?」

「次の授業まであんまり時間ないけど……この時間なら、部活棟のバレー部部室なら多分誰も来ないから……何なら、そこなら二人きりになれるけど」

「二人きりって、いや、え? 何で二人きりになる必要が?」

「だ、大事な話って言ってたじゃない! だから……その、分かるでしょ?」


 結衣は自分の身を抱くように体の前で腕を組み、行人から一歩距離を取っている。

 その顔は微かに赤く、顔を逸らしつつも目だけはしっかり行人の顔を見つめていた。


『もしかして長谷川さん、大木くんのこと狙ってるんじゃ……』


 そのとき、つい先ほどの風花の一言が行人の脳裏にちらつく。


『長谷川さんには油断しちゃダメだよ大木くん。私の見立てが甘かったかもしれない。一気に距離を詰められたら大変なんだから!』

「っ……!」


 泉美が言うように、今自分達の目の前にナチェ・リヴィラの存在だと断定できるものは何一つないが、それでも一応、結衣は容疑者の一人なのだ。

 人目につかないところに自分を連れ込んで、何かしらの情報を聞き出そうとしているという可能性も、全くのゼロではない。


「は、早く言いなさいよ。わ、私にその……大事な話がある、って言ったじゃない」


 結衣の口調はぶっきらぼうに聞こえて、それでいて行人を探るような様子がある。


「いや、そんな大したことじゃないんだよ」


 行人は背中に緊張の汗が浮かぶのを感じながら、自分と結衣の位置関係を計算する。

 自分が開けた廊下側。結衣が逃げ場のない階段下の壁側。

 自分の背から微かに外の光が差し込み結衣の姿はよく見えるが、結衣からは行人が逆光で見えづらいはずだ。

 何かあったとき逃げるなら、自分が有利。もし結衣がナチェ・リヴィラの監査隊だとしたら、普通に考えて行人に勝ち目はない。

 だからこそただの人間である行人にとっては、何かあったら比較的逃げやすい位置にいる、というそのほんのわずかな地理的有利だけが心のよりどころになった。


「今日、バレー部の撮影に行けなくなっちゃったんだ」

「……そう。それで?」

「いや、それだけなんだけど……」

「そう、それだけ………………………………………………は?」

「は?」


 顔を赤らめながら行人の出方を窺っていた結衣が、拍子抜けしたように目を見開いた。


「大事な話じゃ……なかったの?」

「大事だよ。始めるって言った昨日の今日だし、きちんと部長の天海先輩とマネージャーの長谷川さんには伝えないといけないことでしょ」

「…………まぁ、そうよね。でも、本当にそれだけ?」

「え? う、うん。だから今日は俺だけじゃなくて小滝さんや渡辺さんも行かないから、そのことバレー部の皆に伝えてほしいんだ。多分、明日からは改めて予定通り撮影ができると思うから」

「…………ふーん、あっそ。分かった」


 散々思わせぶな態度を取った割に、行人の言うことに対し随分と反応が薄い。


「あの、どんな話だと思ってたの?」

「えっ、そりゃあだって、あんな思いつめた鼻息荒い顔で迫られたら……そういう、ことだと思うじゃない」

「どういうことだよ。いや、確かにそんな顔してたかもしれないけどさ!」


 何も知らない他人が見れば確かにそんな顔に見えたかもしれないが、だからといって結衣が一体どういうことを想像したのかは全く理解できなかった。


「でも、昨日はあんなに部を挙げて張り切ってる感じだったのに、何かあったの?」

「いや、昨日ちょっと家で色々あってバストアップ写真が全然編集できてないのと、その色々のせいで今日は早く帰らなくちゃいけなくてさ」

「……何、色々って。うちの部の魔王討伐のことは聞いたはずでしょ? そんなに大変な理由なの?」


 結衣の表情がわずかに険しくなる。まさか、さぼりか何かだと思われたのだろうか。


「まぁそこそこ。実は昨日、うちに空き巣が入ったんだ」

「えっ!? 空き巣!?」