エルフの渡辺2
第三章 渡辺風花は決意を固める ④
「うん。それで遅くまで警察がいてとても昨日は編集作業なんかできる状況じゃなくて、今日も割れた窓とかそのままだから、早めに帰らなきゃなんだ」
「そ、それを先に言いなさいよ! そんなことならそもそも学校に来てる場合じゃないんじゃないの?」
「いや、昼過ぎまでは母さんが半休取って家にいて、警察の調査に協力したり、割られた窓の修理の手配とかしてくれてるんだ。俺が夕方帰ったら交代して、まあ留守番する予定で」
「そうなんだ……それは大変だったわね。そういうことなら仕方ないわ。五島先生にも私が伝えておくね」
「そうしてくれると助かるよ。天海部長は……」
「ああ、それなんだけど今日、天海部長は欠席してるの」
「え? 欠席?」
「私もさっき知ったのよ。用があって教室に行ったら今日は欠席してるって聞かされて」
「そうなんだ。風邪でもひいたの?」
「さっきLINEで激詰めしたら」
「激詰めしたんだ……」
「うん。そしたらなんか、整形外科に通院してたって聞いて、私びっくりしちゃって」
「えっ!? 整形外科? それって怪我したとかそういうこと?」
「そこまで深刻じゃないみたいなの。ただ家でうっかり突き指か何かしたらしくて、大事を取って病院に行ったら物凄く混んでたとかで」
「おお……大したことないといいね、それは」
「本当よ! 何したか知らないけど、どうせよく分からないことやってたんじゃないかな。あの人料理が趣味なんだけど凝り性で、いきなり部員全員にピザ焼いてきたことあったのよ」
「ピザを焼いてきた!? デリバリーしたとかじゃなくて?」
「動画で見てやりたくなったとかで、ちゃんと生地から捏ねてね。証拠の動画も撮ってて、こんな大きな生地を、プロみたいに指先でぐるぐる振り回したりしてね」
「部活で忙しそうなのによくそんなことを……」
「部長は手先が器用で頭も良いから、やろうと思ったこと大体できちゃうらしいの。部員の破れたジャージやユニフォームを繕ったりとか、あとギターも上手いの」
こんなタイミングでまた璃緒に人としての格の違いを見せつけられるとは思わなかった。
「指先使う趣味ばかりだから控えてほしいんだけどね。それこそあなた達写真部を連れてきたときには、いよいよカメラにまで手を出したかって思ったもん」
「ああ、そう……」
「まぁそれはともかく、部長も今大事な時期なのは分かってるから、油断せずに病院に行ったんだと思う」
何をしてどの程度の突き指をしたのかは分からないが、小さな怪我でも油断せずに医者にかかる心掛けは、いかにもアスリートらしい。
「天海先輩、それだけ魔王討伐に本気なんだね」
この場合の魔王は、馬淵山大付属桜花高校のことだ。
「ええ、そうよ。天海先輩はずっとそう。ずっと魔王討伐に真剣なの」
結衣は力強くそう言ってから、自分が盛り上がりすぎたことに気づいたらしく、ハッとなって首を横に振った。
「その部長が魔王討伐に必要だからって連れてきたあなたなんだから、一応これでも信用はしてるのよ。まだほとんど何も始まってないけど……これまでのあなたの撮った写真もチェックして、まぁ、腕は確かなんだなって思ったわ」
「ほ、本当?」
そして思いがけず、突然写真の腕を評価されて、逆に行人は驚く。
「少し前のコンテストで受賞したっていう写真や、去年の文化祭で展示してたって写真を見たの。私も別に写真に詳しいってわけじゃないけど、いい写真だなとは、うん、思った」
「そ、そっか。ありがとう。でも文化祭の写真なんて、どうやって?」
写真自体は今も写真部の部室にあるが、常時公開しているものでもないため、これまで行人や写真部のことを強く認識していなかった結衣がどこで文化祭の写真を見たのだろう。
「この間のコンテストの写真は写真部部室の外に貼り出してるでしょ。文化祭の写真は、小宮山君に見せてもらったの」
「哲也に?」
「同じクラスなんでしょ? 写真部であなたが撮った写真は全部チェックしてたみたいよ。ああ見えて結構友達思いなのね」
結衣の目から哲也がどう見えているのかは知らないが、友人を褒められて悪い気はしないし、哲也が自分の写真を何も言わずにチェックしていたことがまた嬉しかった。
「あれ見ると……この前は写真に写りたくないって言っちゃったけど、撮ってもらいたいかなって、ちょっと、思った」
「……うん。気が変わったら、いつでも言って。きっと天海先輩も喜ぶと思うよ」
「そう、かな。まぁ、考えとく」
結衣は小さく微笑む。その表情は写真映えしそうだと行人は心の中だけで思った。
「それじゃあね、変に話を引っ張らせちゃってごめんなさい。大変なことが終わってバレー部に顔出せるようになったら、また連絡して。待ってるから」
結衣はそう言うと行人の脇を通りがてら肩を軽く叩いて、颯爽と去ってゆこうとして、
「えひっ!?」
階段に足を掛けた途端、何故か怯えたような声を上げ、
「あ、ああ、なんだ、渡辺さん。驚いた。そんな暗い所に立ってどうしたの?」
「え? 渡辺さん?」
行人も結衣の後を追うと、階段の暗がりに、確かに風花がほとんど棒立ちでこちらを見下ろしていた。
「渡辺……さん?」
ちょっと怖かった。
「え、ええっと、その……そ、それじゃ行くね? ま、またね、大木君」
結衣も何かえも言われぬ迫力を湛えた風花の立ち姿に恐れを為したかのように早口でそう言うと足早に階段を上がって行ってしまった。
「大木くん」
「は、はい?」
どんな運命の悪戯か、行人を見下ろすエルフの渡辺風花の翠緑の右目だけが鋭い光を湛えているような気がした。
結衣には日本人の渡辺風花の姿で見えていたはずだが、同じような冷たい光を浴びたのだろうか。
「ごめんね、立ち聞きするつもりはなかったんだ。でも、私、変なことしちゃったから大木くんを探してて、でも見つけたと思ったら長谷川さんと話し始めたから、邪魔しちゃいけないと思ったの」
「そ、そうなんだ。何か、その、まだ話が?」
「大木くん? どうして私から距離を取ろうとするの? 顔を合わせてくれないの?」
行人としては先ほどの部室の出来事のせいで風花と顔を合わせづらいだけなのだが、風花の目には何か違うものが見えているようだ。
「いや、その、えっと、ほら、もうすぐ授業始まる時間だから心配で、渡辺さん?」
「……大木くん。私、ちょっと反省しなきゃいけないかもしれません。私、心のどこかで、少しくらい何もしなくても最後には上手く行くだろうって、思ってたフシがあったのかもしれない」
「う? うん? そうなんだ」
風花が何の話をしているのかさっぱり分からないが、とりあえず結衣にここに連れ込まれたときよりよほど今回の方が位置的に追い詰められてしまっている。
「大木くんに甘えて、分からないことだらけなことから目を背けて……でもこのままじゃダメ。現状維持は、緩やかな後退。このままじゃ私、本当に監査隊が目の前に現れたとき、監査隊にも……大木くんにも、顔向けできなくなっちゃう。だから……」
気が付くと、行人は壁際に追い詰められていた。
背中が硬い壁に当たり、目の前には少し低い目線から真剣に見上げてくるエルフの渡辺風花の瞳。
「大木くん。私……真剣に、魔王討伐に取り組もうと思うの」
「え……ええ?」
あまりの急展開に、行人の理解が追いつかない。
いや、風花との会話に限れば今日は初めからほぼ追いつけていない。
だがそれでも、ここで言う風花の『魔王討伐』が馬淵山大付属桜花を倒すことではないことだけは間違いない。