エルフの渡辺2

第四章 渡辺風花は得意不得意の差が激しい ①

 風が吹けば桶屋が儲かる、ということわざは、一見関係無さそうな事柄が複雑に絡まって思いもかけぬところに影響が出てくることを表す喩えである。


「お、お願い、大木くん、も、もうダメ、これ以上、は……はうっ!」

「ダメだよ。してほしいって言ったのは渡辺さんなんだから、最後までするから」

「そんなこと、言わないで……私、もう、限界なの……だからぁ、はふぅっ」


 だが桶だけを売る桶屋などというニッチな店はきっと現代には存在しまい。


「ほらこっち。下は嫌だなんて言ってないよ?」

「そ、そんな、こと、ないもん……! そんなことになってなんか……! あ、ダメっ! そこは、そこだけはぁっ!」

「そんな声出してもダメだよ。ほら見て。上も下も真っ赤になっちゃった」


 ならば今こそ新たなことわざを提唱しよう。


「大問2の選択問題は全滅! あと長文も読解が滅茶苦茶だから選択肢の読み解きも逆になっちゃってるんだ。上の選択肢はトムが嫌だって言ってて、下の選択肢は嫌とは言ってない完全な正反対なの、分かるでしょ。それじゃあ頭から分析しなおそう。これ本番だったら完全に赤点だよ」

「そんなああああああっ!」


 自宅に空き巣が入ったらエルフに勉強を教えることになる。

 答案にトドメの赤字ペケを入れられた風花は、消え入りそうな声を上げながら、古い折り畳みテーブルに涙目で突っ伏した。


「……ちょっと休憩する?」

「……します……」

「飲み物、紅茶でいい?」

「エネルギーを使い切ってしまったので、お砂糖多めでお願いします……」

「了解。ちょっと待ってて」


 行人は立ち上がると、自室から廊下に出て飲み物を淹れるべく階下のキッチンへと向かう。

 二階の廊下から見える外はもう薄暗くなってきていた。


「いつの間にか結構遅くなっちゃってたんだな。急な事だったし、始めたの遅かったから休憩のつもりだったけど、紅茶飲んだらそろそろお開きにしないと」


 今回行人が、自宅に空き巣が入ったらエルフに勉強を教えることになった過程は、風が吹いて桶屋が儲かった江戸時代よりももう少し経緯が簡単だった。


「渡辺さんが遅くまでうちにいたなんてもし小滝さんに知られたら、殺されかねないしな」


 ◇

 日中、結衣に連れ込まれた階段で『魔王討伐』の決心を告げられて以降、下校時刻まで行人は風花と話す時間を取ることができなかった。

 例のネット掲示板にUPされた写真の影響の余波が未だ色濃いということもあったが、それに加えて休み時間になると教室のドアに泉美が殺気立った目で張り付いていたのだ。

 常に激しく息を切らしていたのでよほど急いで教室から走ってきていたのだろう。

 よくやるなぁと思う反面、泉美がああなってしまうのも仕方ないことが起こったという自覚もまたあったので、泉美の顔を見て風花との出来事を思い出し赤面しそうになるという、非常に拗れた一日を過ごす羽目に陥った。

 もちろん放課後も、行人のクラスの帰りの会が終わるよりも前に廊下にスタンバイしていて、解散と同時に教室に踏み込んできて誘拐も同然に風花を連れ出したのだから徹底ぶりに感心するほかなかった。


「行人……お前、なんかあったのか? なんかしたのか? ああん?」


 泉美は傍目にも明らかなほど行人に敵意を向けていたので、風花を含めた三人の関係を理解している哲也は、心配するよりも何故か脅迫するような声色で行人を問い詰めたものだ。

 行人は行人で、もう今日一日はどうにもならないと諦めていたので素直に帰宅し、留守番を母と交代しがてら警察からの再度の事情聴取に答えた。

 そして午後五時になるかならないかといった頃、風花からメッセージが入ったのだ。


『今日はごめんなさい。色々変な事したり言ったりして』


 風花から『変な事』と言われてしまうとそれはそれで行人はいたたまれなくなってしまうのだが、下手に照れ隠しをしたら余計泥沼にはまりそうな気がするので、適当な『大丈夫』系スタンプでお茶を濁そうとしたところ、


『今、少しだけ電話で話せますか』


 こちらがスタンプを送るより先に、風花が追撃をしてきた。

 確かに、階段脇での会話では全く分からないことだらけだったので、話をできるならありがたいと考えた行人は音声通話キーをタップすると、風花は1コールで通話を取った。


『もしもし大木くん? 私、渡辺です。今、大木くんの家の前にいるの』


 通話を取った風花は、怪談系都市伝説の怪異のようなことを言い出した。


「え? うちの前? うちの前って、うちの前?」


 行人も、突然の事態に混乱しきった返しをしてしまう。


『そうだよ。大木くんの家の前』


 風花の声は、少し息が上がっているように聞こえた。


「ちょ、ちょっと待ってて!」


 通話を繫げたままばたばたと玄関の外に出ると、スクールバッグを膨らませた制服姿の風花が、額に汗を浮かべて、長い耳にスマートフォンを当てた姿で立っていた。


「突然ごめんね大木くん。でも今日、ずっとお話しできなかったから」

「それはいいんだけど、何があったの?」

「話したでしょう。『魔王討伐』。そのために、大木くんと勉強したいの」

「うん。そこが繫がらないんだ。エルフの魔王討伐と、俺レベルの人間と勉強することがどう関係するの? 情けないこと言うけど俺、別にそこまで勉強優秀じゃないよ?」


 これは行人の偽らざる本心であり真実だ。

 得意教科と呼べるものはあるが別にトップレベルではないし、赤点スレスレになるような苦手教科もしっかりある。


「私の中間テストよりはマシだと思うな」

「いや知らないけど」


 二年生に進級してから定期テストはまだ五月下旬の中間テストだけだが、テストが返却された時期には、風花と通り一遍の話しかした記憶がない。


「いきなり押しかけて申し訳ないんだけど……上がっても、大丈夫? できればその……二人きりになれると嬉しいな。大切なお話もしたいから」

「うん大丈夫」


 風花の言動に怪訝さは覚えても、風花の声で二人きりで大切なお話と言われてしまった行人は自分でも信じがたい瞬発力で風花を家に上げていた。


「お邪魔します。ありがとう大木くん。走ってきたから、さすがにちょっと汗かいちゃった」


 膨らんでいる割にはあまり重い音のしないスクールバッグを玄関に下ろすと、片手で顔を仰ぎながらブラウスの胸を摘み首元から風を入れる。


「っ」


 その思わぬ煽情的な仕草と、手扇ぎとブラウス扇ぎで起こった風が微かにエルフらしい森の香りを漂わせ、行人は危うく喉を鳴らしそうになって、ほとんど逃げるように先に靴を脱いで風花から距離を取った。


「大木くん? どうしたの?」

「い…………や、その、俺の部屋、分かるよね。先に上がってて。何か飲み物……」


 声が震えるのを何とかこらえて風花を部屋に上げようとするが、風花は首を横に振る。


「その前に大木くん。空き巣が入ってきた窓、見せてもらっていい?」

「え? あ、うん、大丈夫だけど」


 空き巣が入ってきたのは一階のリビングの大窓。割れたガラスは既に片付けられており、特別散らかっているわけでもない。


「お邪魔します」


 風花はリビングに入ると同時にもう一度、小さく頭を下げてそう言うと、すぐに不自然に雨戸が閉まっている窓に気付き目で確認してきた。

 行人が頷くと、風花は割れた窓の前に立ち、右手を開いてかざすと、


「ノイッテネヴェー ペァミーク」


 小声で呪文のような文言を呟く。

 その瞬間、風花の全身が淡く光り、開いた掌に彼女の瞳と同じ色の光が集中する。