エルフの渡辺2

第四章 渡辺風花は得意不得意の差が激しい ④

「その、だから、ね? 大木くんを守るためにも、大木家の安全のためにも……っ」


 風花の顔が、どんどん赤くなってゆき、声を少しずつ詰まらせながら言い切る。


「今日……私がこちらに……泊まり込むというのは、いかが、でしょぅ……か」

「とっ……!」


 そしてその赤らめた顔と声と眼は、狙い違わず行人の脳と心臓を貫いた。


「と…………とっ!?」

「そ、その方が! あの! 結界の誤作動もありませんし! 私はこう見えて普通の日本人よりは戦えますので! 空き巣ごときには負けないと申しますか! と、ともかく!」


 風花はばたばたとスクールバッグを引き寄せると、なんと中から携帯用歯ブラシセットを取り出したではないか。

 そしてまた、絞り出すような声で、それでも行人を真っ直ぐ見て、美貌のエルフが言った。


「今夜、泊まらせてもらってもいい……ですか?」


 ◇

 最初の後悔は、そもそもこの日の夕食を、冷蔵庫の余り物処理日と決めていたことだった。


「え? これ全部大木くんが作ったの?」


 風花から普通のシチュエーションでこれを言われたら、素直に喜べただろう。

 だがこの日はとにかく余り物オンパレードだったのだ。

 昨日炊いたご飯は流石に炊き直したものの、添え物のきんぴらごぼうと酢の物は昨日の時点で既に余り物を組み合わせて作って、その上で更に余ってしまったもの。

 メインのおかずは母が何かの拍子に適当に買ってきた中身の違う冷凍の切り身魚。

 しかもシャケとかサワラのような癖のない分かりやすいものなら良かったのに、残っているのはメルルーサと激辛味のメバルという、絶妙に、


「どっちがいい?」


 とゲストに聞くのが難しいラインナップだった。

 実際尋ねてみると風花も一瞬悩む様子を見せたが、


「よく分からないから……半分ずつとか、いいですか?」


 と、また行人の心臓に悪いことを言い出した。

 結果オーライではあったが、家庭の内情的にはやはり残り物なので、プレミアムゲストを迎えるホストとしては色々と悔いが残るメニューだ。


「すごい! ちゃんとした和定食みたい!」


 ちゃんとした和定食を行人はほとんど知らないが、とりあえず緊張の面持ちで食卓についている風花には好評だった。

 だが行人はと言えば、夜、自宅にクラスメイトの女子がいて、二人きりで食卓についているという状況があり得なすぎて、時折自分が何をしているのか分からなくなりそうになった。

 味が分からない、ということはない。

 むしろ、感覚が鋭敏になりすぎて普段より味を過剰に感じてしまい、味が濃すぎないか風花に再三尋ねてしまっていた。

 そして最後に、渡辺風花の秘密を知る者として、最大の失敗をしてしまう。

 二人で激辛味のメバルに苦労しながら比較的同時に食べ終わったのだが、風花は美味しかったと言いつつも、少しもじもじしているのだ。

 そして意を決したように、言ったのである。


「図々しくて悪いんだけど……もしあったらご飯のおかわりを、いただいてもいいですか」


 おかずを全て食べきってしまってからどうしたのだろうと思っていたのだが、


「………………あっ!」


 普段、母と食べるときと変わらぬ量のご飯しか盛らなかったことに今更思い至り、行人の全身から汗が噴き出る。

 ランチタイムに重箱を平らげる風花が、こんな量で足りるはずがないじゃないか!


「ちょ、ちょっと待ってて! 大丈夫! 結構いっぱい炊いたから! あああえっとあとそうだ! 確か何か残ってたはず!」

「ご、ごめんなさい……!」


 風花は顔を赤くしているが、それを見て行人はもっと焦りを深くする。

 明確に、気配りが足りずに風花に恥をかかせてしまった。

 冷蔵庫に飛びついた行人は、一つだけ余っていた卵と開封されてラップの中で少し乾き気味のカニカマ。冷凍枝豆と引っ張り出すと、鳥ガラスープとごま油で味を整え、小さなフライパンであっという間にかきたまをこしらえると、どんぶりにたっぷりご飯を盛ってなんちゃって天津飯を風花の前に差し出した。


「お手数おかけしました……でも、嬉しい、美味しそう」


 うっとりとした眼で枝豆天津飯を見やると、一心不乱にかき込み始めた。

 風花の豪快な食いっぷりを見るのは随分久しぶりな気がする。


「ふぅ……美味しかった。へへ」


 驚くほどのスピードで大盛りのなんちゃって天津飯を食べきった風花は、今度は満足そうに微笑んだ。


「あ、あの……口元、ご飯粒ついてる……」

「え、あ、やだもう!」


 慌てて口元を手で探り、指先についたご飯粒を舐めとる姿に、また行人の血圧が上がる。


『うぉ、ふーちゃんなんかちょっとその仕草エロい』


 心臓が尋常でない速度で血流を巡らせているせいか、脳も日頃より余計に働いているらしく、学校で同じようなことが起こったときのクラスメイトの何気ない余計な一言を思い出してしまう。

 相変わらず『ふーちゃん』というアダ名は相変わらず解釈違いだが、それ以外のことについてはもう恥も外聞もなく同意せざるを得なかった。


「えっと、後片付け、私がやってもいい?」

「あ、いや、うちざっとゆすぐだけであとは食洗器に放り込んじゃうから、大丈夫だよ。ゆっくりしてて」

「は、はぁい……」


 風花は素直に頷くと、まるで入学式直後の小学一年生の如く、揃えた膝に両手を載せて、背筋を真っ直ぐさせてそわそわしながら浅く椅子に腰かけている。

 あまりリラックスできていない様子を気にかけながら食器を食洗器に手際よく入れてゆき、洗浄スタートキーを押すと、もう食事の後片付けは完了だ。


「「あっ、あの」」


 だからと声をかけた途端、風花からも声がかかり、思いきり声掛けがバッティングする。


「あ、何、渡辺さん」

「ううん、いいよ、あの、大木くんからどうぞ」

「いや、別に大したことじゃにゃくて」

「私もそんな急ぎのことを言おうとしちゃわけじゃ」


 そしてこの譲り合いの応酬の末の嚙み。あまりにも、絶妙にかみ合わない。


「お、大木くんからどうぞ! さあ! さあ!」

「あ、う、うん。その、食後に何か飲む? って聞こうかと思って。その、さっきの紅茶か麦茶くらいしかないけど」

「あ、あああ。じゃあ麦茶を、いただけると」


 ところがグラス一杯分だけで作り置きの麦茶がなくなってしまい、自分の分を注ぐことはできなかった。


「あれ? 大木くん自分の分は?」

「いや、俺は今いいかなって」


 もうこう言うしかない。


「それで、渡辺さんは何だったの?」

「あ、うん。その、とりあえずご飯も頂いたし、結界そろそろ張っていいかなって聞こうかと思って」


 食後のデザートに結界を張るみたいなことを言い出したが、考えてみるとこれは今日の風花の主要な用件だった。


「さっき軽く場当たりしてみたんだけど」


 結界を張るのに場当たりが必要だとは初耳だった。


「必要なサイズで張ると大木くんの家のポスト、微妙に結界の中に入っちゃうみたいで、今日の夜に到着の宅配便とかあったらもう少し待った方がいいかなって」

「あ、なるほど。結界があるとポストに物入れられなくなっちゃうのか」

「うん。外から触っちゃうとそこそこ痺れて動けなくなるから」

「何それ怖っ」

「でもそれくらいじゃないと結界の意味がないから」

「う、うーん。そこまでの威力なんだ……うーん、そうなると、もし母さんがネット通販とかやってて、夜の時間帯に配達とかだったらまずいから……九時過ぎくらいまでは待ったほうがいいかも」

「分かった。それじゃあその……そろそろ……」

「あ、うん。魔王討伐の話? それとも世界史の続きやる?」