エルフの渡辺2
第五章 渡辺風花の寝息は独特な音がする ②
「多分だけど、丁寧に撮ろうとしてシャッター間隔を長く取り過ぎたんだと思う。経験あると思うけどカメラのレンズ見続けるって結構大変なんだよね。ただちょいちょいそれだけとは言い切れない目線のズレもあるなぁ。どうしよう。ユニフォーム統一とかになったら角度つけた方がいいかな。ちょっとの違いではあるけど、好みの問題になるけどレンズよりもちょっとだけ上の方を見させたほうが良い写真になったりもするし」
「そうなの?」
「うん。あれ? これって子供の場合だったっけ。どうだったかな。あ、でもほら、天海先輩のこの写真は、上目遣いってほどじゃないけど、少し上の方を……ん」
「大木くん?」
「あ、いや……あれだよな。天海先輩の写真は小滝さんが撮ったんだっけ……?」
風花の予想外すぎる言動に疲れているのだろうか。部のカメラの不調がそのまま乗り移ったように、目のピントが合わなくなり、璃緒の写真がぶれて見える。
目を擦るが、改善しない。編集ソフトの色々な部分はクリアに見えているので、さすがにPCディスプレイの不調ということはないはずだ。
「天海先輩、何か体つきが細く……」
「大木くん? 大丈夫? 何だか顔色悪いけど」
「えっ!? あ、ああうん」
「あ、戻った」
急にまた風花がかなりの至近距離で行人の顔を覗き込んできて、風花の美しい瞳にしっかりピントが合ってしまった。
「あ、ああいや。ちょっと集中しすぎて疲れたみたい。もう終わりにするよ」
行人は璃緒の写真をそれ以上は見ずにソフトを終了してPCもシャットダウンしてしまう。
「うん。まだ大事なお話もできてないし、もう休んだ方がいいよ。そうだ。大木くんも、お風呂入ったらどうかな」
「うん。そうする。あ、渡辺さん、すぐに歯、磨く? 磨くならもう少し待つよ」
「ありがとう。大丈夫だよ。お風呂上がりに磨いちゃったから」
「分かった。じゃあちょっと俺もぱぱっと入って来る。ここで待っててくれてもいいし、俺の部屋にいてもらっても」
「うん。私は大丈夫だから、ゆっくり入ってください」
行人は頷くと、間違っても自分が下着姿で廊下を歩き回るようなことにならないよう、自室から下着と新しい寝巻をきちんと洗面所に持ち込む。
風花の手前、いわゆる上下揃いの『寝間着』ではなく、意識してTシャツとハーフパンツにしたのは思春期男子の無意識の見栄が為せる業だった。
洗面所に入ると、軽い足音が階段を上がる音が微かに聞こえた。風花は行人の部屋で待つことにしたようだ。
「あ、そう言えば……渡辺さん、どこで寝てもらえばいいんだろ」
客用の布団が無いわけではないが、随分長いこと干していない。
服を脱ぎながら、何となく明日の朝に風花が使うことを見越して、洗濯物をきちんと気持ち丁寧に畳んで籠に片付ける。
「やばい」
そして、何も起こっていないのに脱衣所で頭を抱えてうずくまってしまった。
「何でこんないい匂いするんだよ……っ!」
ヘアオイルとかいう、行人の人生に一度も登場したことのない化粧品のシトラスの香りが、まさしく風花の残り香として洗面所に漂っている。
「換気扇、二十四時間稼働にしないとな」
母が帰って来たときにこの匂いが残ってしまっていたら、何を言われるか分かったものではない。
ふらつく足取りで風呂場に入った行人は、体を洗った後に湯船に浸かり、ほんの数分前までここに風花がいたという事実に思い至って、また一人で悶絶したのだった。
◇
「大木くん!? 何かフラフラしてない!?」
「ちょっと湯当たりしたみたいで」
「その割になんか凄く冷え切ったみたいな白い顔色になってるよ!?」
洗面所と風呂場で爆発した不埒な妄想を撃滅するために、最後に水シャワーを浴びたのだがそれを言う必要はない。
「体調が悪いわけじゃないから。それよりもまず渡辺さんがどっ……どこで寝るか考えないと」
自室に風呂上りで寝間着姿の女子がいるという事態に、徹底して心頭滅却したのに早くも声が上ずる。
「それは気にしないで。私、床で寝るから」
「言うと思った。流石にそういうわけにはいかないでしょ」
「で、でもいきなり大木くんのベッドを譲ってもらうのは、ちょっと私にとっても心のハードルが高いよ?」
顔を赤らめて『大木くんのベッド』とか言わないでほしい。死んでしまう。
「いっ、いや、そういうことじゃなくて! 客用の布団があるんだよ! 干してないからちょっと硬いかもしれないけど! それでいいかなって!」
「ううん、大丈夫! ちゃんと準備してきたって言ったでしょ?」
すると風花は得意げにスクールバッグを引き寄せると、突然ダウン地の大きなものをずるずると勢いよく引っ張り出した。
「夏用の寝袋持ってきたから! 枕もついてるスグレモノなんだよ!」
「お、おお……これは予想外のものを」
「うん。しばらく使ってなかったんだけど、暑い時期にも使えるように、ここに扇風機が仕込まれてるんだ!」
「扇風機! へぇ、こんなのあるんだ。渡辺さん、アウトドア結構やるの?」
「実は買ってから一度しか使ってないんだけどね。大木くん、月下美人って花、知ってる?」
「あれでしょ。一年にたった一晩、満月の夜にしか咲かない花ってやつ」
「そうそれ。正確に言うと、地球の月下美人は別に満月の日じゃなくても咲くし、条件次第で一年に何回か咲くんだけど、その月下美人と似たような性質の花がナチェ・リヴィラにもあるの。向こうの言葉で『夜の騎士剣』っていう名前。その花が咲くのをどうしても見たくてお小遣いはたいて買ったものなんだ」
「やたら格好いい名前の花だね。そのとき、その花は見られたの?」
「うん。凄く綺麗な花だったんだけど、絶対見逃したくなくて結局寝袋に入ったまま一晩中起きてたから、あんまり寝袋の意味なかったんだけどね」
そう言って微笑みながら、風花は満面の笑みでいそいそと寝袋の中に体をねじ込んだ。
世の中には入ったまま歩ける寝袋もあると聞くが、風花の寝袋は扇風機がついていること以外はスタンダードなミノムシ型。
完全にミノムシになってドヤ顔かます風花の様子がおかしくて、わずかだが行人の中の雑念が取り払われた。
「そう言えば渡辺さん、結界って……」
「大木くんがお風呂入ってる間に張ったよ。もう九時過ぎたし。これで外から侵入しようとする人がいたら、結界に捕まって全身痺れて動けなくなっちゃうから」
今日の主題のはずのものが、新しい家庭内害虫駆除器を置いておいたくらいのノリで処理されていた。
「だから、ちょっと早いけどそろそろ寝よ。大木くんも疲れてるみたいだし、それにもし万が一空き巣がまたやってきても、私が必ず追い払ってあげるから!」
「色々な意味でそんなことになってほしくはないけどね……本当に床で寝るの?」
「え? うん。大木くんも知ってるでしょ? 私の部屋、ベッドないからいつも布団で寝てるの。布団が寝袋になっただけで普段とあんまり変わらないから」
言うが早いがミノムシの渡辺風花は行人の部屋の板の間に躊躇いなくごろりと寝転がった。
「何か楽しそうだね」
「この寝袋で寝るの、実質初めてだからね!」
「そ、そっか。まぁ、渡辺さんがいいならいいんだけど」
「あ、でも!」
また尺取り虫のように物凄い勢いで起き上がった。
「いくら私がその……大木くん専属モデルとは言っても、寝顔を撮るのはギルティだからね」
「そ、そんなことしないよ! カメラの調子悪いし!」
「……カメラの調子がよければやる、と言ってるようにも聞こえますけど?」
「しないって!」
「ふふ、ならいいよ。それじゃ、お休みなさい」