エルフの渡辺2

終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ①

「おー行人。何? 今日は撮影入るのか?」


 朝七時。

 南板橋高校のグラウンドや体育館は、既に多くの運動部の朝練でにぎわっていた。

 男子バレー部も例外ではなく、体育館の半面を使って思い思いの場所で哲也を始めとした部員達が準備運動をしていた。


「なんか、渡辺さんもう完全に写真部の一員みたいな感じなのな。ええ?」


 隠れ渡辺ファンを自称して憚らない哲也の言葉に殺気が籠っているような気もしたが、朝早いのとこれから運動するからなのか、それ以上は絡んでこなかった。

 そして、哲也にそう言われてしまうのも無理はない。


「確かに今日の私、写真部っぽいかも」


 何せ行人と泉美だけではなく、風花も首から一眼レフのカメラケースを下げているのだ。


「でも今日の私は写真部の荷物持ちなの。ほら。この前の名簿用写真を撮ったときカメラの調子が悪かったの、小宮山君も知ってるでしょ?」

「そういやそんなこと言ってたな。じゃあ渡辺さんが持ってるのが予備のカメラってことか」

「の、はずなんだけど……ね」

「へ?」


 風花は複雑そうに、首から下げるカメラケースに視線を落とす。


「まだ撮った写真について一度も先生や天海先輩と相談できてないとは言ってたから、私もどうして今日の朝練にこんなに急いで来たのか、よく分かってなくて」

「はー」


 哲也は泉美と、そして部員と一緒に朝練に出てきている結衣と何事かを打ち合わせしている行人を遠目に見る。


「よく分かってないのによくこんな朝早く来られたね。昨日からそういう相談だったん?」

「ううん。それは今朝の……」

「今朝?」

「…………………………………………………………じゃなくて昨夜、大木くんからLINEをもらって、私も、園芸部の作業で早起きするつもりだったから」

「ふーん」


 哲也は怪訝な顔をしながらも、風花が首から下げたカメラを一瞥しただけでそれ以上は追求しなかった。

 風花はうっかり、今朝の朝食前、と言いそうになった自分の迂闊さに恐怖すら覚えた。


「と、ところで小宮山君! きょ、今日の朝練も天海先輩は来てないの?」

「それがそうなんだよなー。昨日は突き指したから病院行ったって話は聞いてたんだけど、今日はどうしたのか聞いてないんだ」

「そうなんだ……でも、いないの、天海先輩だけじゃないよね。斎藤君と齊藤先輩と齋藤君がいなくない?」

「渡辺さんすげぇな。多分俺が認識できてないところですげぇ感じすんな」


 哲也は若干顔を引きつらせるが、すぐに気を取り直す。


「うちの場合、別に朝練参加強制じゃないから」

「そうなの?」

「他の部はどうか知らんけど、そもそも毎日やってるわけじゃないし、別に参加しなくてもペナルティとかないし、欠席連絡とかもいらないし」

「へぇ。でもよくそれでみんなこんなに集まるね」

「それもこの前部長や先生が言ってたのと同じ。今のうちの部はやる気がある奴、強くなりたい奴が必死で競い合う環境なんだ。だから逆に練習や休むとかよっぽどのことだって周りが心配するくらいなんだ」

「みんな、それだけバレーボールに本気なんだね」

「そういうこと。俺達かっこよくね?」

「それがなかったらかっこよかったかなー」


 軽口をいなされた哲也は苦笑しながら、それでもすぐに顔を曇らせる。


「ただまぁそんなだから、天海部長がいないって確かに変っちゃ変なんだよ。昨日も突き指したって言って欠席してたし、もしかしたら結構重傷だったりしたのかなぁ」


 短い期間しか接していない男子バレーボール部ではあるが、部員の結束と大会への熱意、天海璃緒の人望の確かさは風花にも疑う余地はない。

 心配そうな顔をする哲也を無責任に力づけることもできず、そうこうしているうちに、


「それじゃあ、練習始めよう! 体温まってるね! いつも通り二人一組でシャトルラン!」

「っと、行かなきゃ。それじゃ、カッコよく撮ってくれよ!」


 結衣の号令で哲也は他の部員達と合流し、風花はそれを小さく手を振って送り出す。


「私が撮るわけじゃないんだけどね」


 そして、結衣の近くで行人が写真部の一眼レフを取り出すが、行人はそれを泉美に渡しているのを見る。


「………………泉美ちゃん、ちょっと大木くんに近くないかな」


 


「ねぇセンパイ! これ結構躍動感ない? よく撮れてると思うんだけど」


 何枚か連続して写真を撮っていた泉美が、撮影結果が表示されるディスプレイを行人に見せる。

 そこには三人の部員が躍動感のあるシャトルランに集中している情景が写っていた。


「うん。悪くない。悪くないんだけど、今回はこれじゃダメかな」

「あァ?」

「どんなに時代が進んでも女子がしちゃいけない顔と出しちゃいけない声ってあると思うんだ。今回のバレー部のオーダー、思い出してみて」

「名簿用写真とオフショットと部活中のショットでしょ。明らか練習中のいい感じの写真じゃん」

「顔が写ってない」

「え?」

「顔が写ってない。これは確かに『部活中の格好いい写真』だけど『誰の格好いい写真』かは分からない」


 泉美の写真は三人がそれぞれの躍動感のある姿勢で重ならずに画面いっぱいに映っているのだが、斜め後ろから撮影しているため顔がほとんど映っていなかった。


「天海先輩のオーダーは、後から見て、部員の自尊心を高められるような格好いい写真だ。これだと、今日はどれが自分か分かっても、一ヶ月後に見たら自分かどうかも怪しくなる」

「えぇ!? そんなこと……そんなこと……そっかぁ」


 一瞬だけ反発する気配はあったが、行人の言うことに納得は行ったのか、気炎はすぐに収まった。


「え!? でも顔入れるって難しくない!? だってこのシャトルランってさ!」


 体育館半面の舞台側の短い辺の距離をシャトルランしているので、顔を分かるように撮影するなら、当たり前だがシャトルランの前方に出なければならない。


「ぶつかるでしょ! こんな狭いのに!」

「それがスポーツ写真撮影の難しいところなんだよ。基本、その選手の格好いいところって、その選手の視界に入る位置じゃないと撮れないんだ。でも視界に入るってことは……」


 シャトルランが終わって、全員協力してネットが張られ、次はスパイク練習が始まる。

 その様子を撮影しようとした泉美は、


「ひゃあっ!?」


 全国区一歩手前の部のスパイクが自分の足下に飛んできて、思わず悲鳴を上げて避けてしまう。


「そう、こうなる。プレイヤーにとっても邪魔になりがち」

「こうなる! じゃなくて! これじゃ下手したら撮ってる間に吹き飛ばされない!?」


 一般的にプロスポーツの現場の撮影を外部のカメラマンが行う場合、試合中なら専用の撮影スペースから距離や撮影対象に応じたレンズを使って撮ることがある。

 それでもサッカーやラグビーなどの試合ではボールがカメラ席に飛び込むことも珍しくなく、スポーツカメラマンはプレイに伴う危険とそれなりに隣り合わせだ。

 まして超望遠レンズのような高級機材を持っていない写真部では、選手の顔を撮れる撮影ポジションを取るには、プレイヤーの邪魔をしないよう細心の注意を払わねばならない。


「でも、俺達が撮るのは本番の試合じゃなくて、練習中の写真だ。だったら顔が見えて安全な位置はちゃんと見つけられる。スパイク練習の場合は……あそこ」


 行人は部員がアタック練習のために並んでいるのとは逆側の、サイドラインのすぐ外。

 練習する部員から見てネットを越えて右側には練習を見る結衣やボール拾いの部員がいるので、左側の前衛と後衛を分けるアタックラインの内側に、泉美を連れて陣取った。