エルフの渡辺2
終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ②
「ここなら、ここに打ち込むって練習が始まらない限りボールは飛んでこない。基本、アタックはこのアタックラインより奥に行くものだから」
「いや! 飛んできてるけど!?」
言うが早いが、行人のすぐ左側、アタックライン上にボールが着弾する。
「大丈夫。今はオープンスパイクの練習だから、滅多なことじゃ飛んでこない」
「だから飛んできてるんだって!」
「それはコントロールがまだ不安定な一年生のときだけだから一年のときだけ注意してれば大丈夫! クイック練習になるまではここでやるといいよ!」
「オープンスパイクとかクイックとか言われても分からないんだけど!」
泉美はおっかなびっくり行人に指示された位置に立ちながら、自分には分からないルールと動作で跳ねまわる部員達を必死で追跡した。
「小滝さん。ある程度撮ったら、今度は椅子の上に乗ってネットと同じ高さから撮ってみて」
「こんなビシバシボール来るとこでそんな不安定な椅子の上乗るの!?」
泉美は行人が持ってきた錆びたパイプ椅子を見て顔を顰める。
「バレーボールの華は最高到達点のスパイクとブロックのせめぎ合いだよ。そこと同じ目線に立つと、迫力ある画が撮れる。頑張って!」
「ええ? マジでぇ? ひぃっ!?」
今度は何かが飛んできたわけではないが、無理やり乗せられた椅子の上では、スパイクの瞬間のヒット音がより鮮明に耳に飛び込んできて、泉美はまた身を竦めた。
「はい! おっけー、じゃ次、クイック! ローテで壁役も入って!」
そうこうしている内に結衣の指示でメニューが更新される。
「小滝さん、もう少しネットに椅子を寄せて、引き続きそっちの角度から撮って。俺はこっちからやるから」
「クイックって練習のときはこっちに来るって言ってなかった!?」
「大丈夫、ネットに寄ってればアタック側とブロック側をどっちも撮れると思うから」
「私はボール飛んでくるのが怖いって言ってるんだけど! ブロックされたボールがこっちに飛んでくるとか、ないの?」
「ネットに寄ってればそれも大丈夫! 見てればバレーボールのブロックがどう飛んでいくか分かるよ。頑張って!」
「もー!」
泉美はほとんどヤケになりながら、それでも行人の指示に従い指定の場所で冷や汗をかきながら撮影を再開した。
その様子を満足げに見ながら、行人は反対側のサイドで練習を見守る結衣に近づく。
「小滝さん、放っておいていいの?」
行人と泉美の動きをときどきちらちらと見ていた結衣だが、急に行人が横に立つので驚いた様子で行人に顔を向ける。
「今日は練習だから。できるだけ安全な場所で生のスポーツ撮影の迫力を感じてもらおうと思ってさ。テレビ越しや客席からじゃ分からないことってあるじゃん」
「まぁ、確かにそういうものかしら。それにしても、元バレー部だけあって、ボールが飛んで来そうなところが分かってるのはさすがね。偏見だけど、写真やる人ってあんまりそういうこと、気にしないのかと思ってたわ」
「それは大分偏見だね」
「私、あなた達が部活に来ること、最初はあまりいい顔しなかったでしょ。正直なところ、プロでもないのにやたらごついカメラ持ってる人って、いい写真撮るって名目なら何しても許されるって思ってるとこあるじゃない」
「そういう人がいるのは認めるよ」
行人としても苦笑するしかない。世のカメラマン全員が必ずしもマナーやルールを守る人間ではないことは、巷間周知の事実だ。
「俺の場合は、親父が曲がりなりにもプロだったからね。その親父に恥ずかしくない写真を撮るためにも、守るべき一線は必ず守るよ。そうでなくてもプロのカメラマンって、基本的にカメラ以外に人より詳しい何かを必ず持ってて、それを撮影対象にしてるものだから。俺の場合、バレーボールはその一つかな」
そう言うが早いが、行人はいつの間にかケースから取り出したカメラで一枚シャッターを切った。
ちょうど哲也が、セッター役が上げたボールをAクイックの形で打ち込んだところだった。
「哲也あんなに素早く飛べるんだな。しかもあのセッター役、一年だよね。上手いなー。あんなのできたらなぁ」
「小宮山君はレギュラーとして安定してるわ。あとはお調子者なところが直ればいいとは思ってるけど……。大木君は中学の頃、ポジションは?」
「OPに憧れてたけど体格も技術も足りなくて、練習中はセッター役することが多かったかな。レギュラーじゃなかったから、その時々で足りないとこに適当に回された感じ」
「適当って……」
「人数多くてさ。でも別に強くはなくて、レギュラーと圧倒的に差があったから、下位プレイヤーの扱いなんてそんなもんだったよ。だから今は逆に、上手い人のプレイを見ると単純に凄いなぁとしか思わない」
行人はほろ苦い過去をとっくに吹っ切っている笑顔を浮かべてから、尋ねた。
「今日、天海先輩は? また欠席?」
結衣は今まで行人の方に向けていた顔を背け、コートの練習に向き直った。
「……実は、分からないの。朝練は強制参加じゃないから休むこと自体は別にいいんだけど、部長が休んだことなんてなかったから、何があったのか……」
「天海先輩のプレイを目の前で見たら、小滝さんにもいい経験になっただろうになぁ」
「そういうもの?」
「俺はバレーボールは上達しなかったけどさ、でも……ああやって何かに打ち込んで、必死に食らいついてる姿って、格好いいよな」
そう言って行人がファインダーに収めたのは、今まさにブロックを突き破るスパイクを打った三年生の姿に、それ以上に必死の形相でレンズを向けている泉美の姿だった。
「今、小滝さんを撮ったの?」
「うん。彼女、まだ自分がここでどういう写真を撮るべきか分かってなかったから、自分が同じ立場で写真に撮られれば実感得られるんじゃないかって」
「それでも怒りそうじゃない? 彼女、大木君のことあんまり先輩として尊敬してないみたいだし」
「意外とそうでもないよ。ああ見えて俺の写真の腕は認めてくれてるしね。ところで長谷川さん」
「どうし……ちょ、ちょっと何してるの!」
結衣が急に大声を上げ、それを聞いて周囲の視線が行人と結衣に集まる。
「あっ、ご、ごめん! 何でもないから、練習続けて! ……ちょっと大木君! 私は写さないでって言ったでしょ! おとといのは名簿用だって言うから仕方なくなの!」
結衣が大声を上げたのは、突然行人がレンズを結衣に向けたからだ。
途端に結衣はノートで自分の顔を隠し、行人もすぐにカメラを下ろした。
「そんなに俺に撮られたくない?」
「は、はあ? 違うわよ。そういうことじゃなくて、私は写真に写るのがそもそも……」
「ならどうして小滝さんには撮られてるの?」
「……え?」
眼鏡の奥の瞳が、狼狽したように窄まる。
「さっきから小滝さんが俺達が画角に入る位置で撮ってるのに、全然その場所から出ようとしないし、嫌がる素振りもないからさ。写るのが嫌なら、俺から小滝さんに、長谷川さんを写させないように指示するくらいあってもよさそうだけど」
「そ、それは……別に遠いからいいかなって。そ、それに練習を見るにはここが一番……!」
「じゃあ、俺も遠くからなら長谷川さんのこと撮って大丈夫? もちろん、メインの被写体にしたりはしないし、もちろんこうやって出来上がったものは個人的に見せるから」
「……そ、それは……その……」
結衣は狼狽えながら、差し出されたデジタル一眼のディスプレイを見る。
「ああごめん。今、実は撮っちゃったんだけど、これは消すよ。急に顔塞がれちゃったから、ピントも合わずにブレブレだしね」



