エルフの渡辺2
終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ③
すると、あれほどの大声を上げて拒否感を示した割には、きちんと写っていないその写真を見て結衣はあからさまに安堵する。
「そ、そう。そうしてもらえるならいいわ。その、あんまり邪魔しないでもらえる? 今、これでも一応みんなの練習の状況見てるんだから」
「分かった。ごめんね。一応確認したかっただけで、長谷川さんが写ってる写真は後できちんと先生や天海先輩とも共有するから」
「う、うん。それじゃあ……あ、じゃ、じゃあ次はサーブとレシーブ! 一年はレシーブ側に移動して……」
「ねぇセンパイ、ちょっといい」
するといつの間にか、泉美が難しい顔をして二人のそばにやってきていた。
「何かこのカメラ、やっぱ調子悪いみたいなんだけど」
「どうしたの? やっぱピントが合わない?」
「分かんない。私の撮り方が悪いだけかもしれないから。見てもらえる?」
「分かった。どれどれ……」
泉美から渡されたカメラのファインダーを覗き込んだ行人は、最初に持ってきた泉美を、そして結衣に指示された練習位置に移動するバレー部員達を。
最後に結衣を見る。
「ちょっと!」
「撮らないから。オートフォーカスの調子確かめてるだけ。……んー、あれ、というか小滝さん、これもうSDカードいっぱいじゃん」
「え? あ、本当だ。えー、連写してるとこんなすぐ一杯になるの?」
現代のスポーツ写真は原則、カメラの連写機能を最大限生かすことが普通になっている。
単純にその方が、選手のより良い姿を撮影できる可能性が高いからだ。
その分、記録媒体の容量は食うし、可能な限りカメラの連写性能を生かすために同じ容量の媒体の中でも書き込み速度が速い、高額なものを使う必要がある。
「安物の64GBだからね。部費だと高機能大容量SDカードはなかなか……こうなると仕方ないな。長谷川さん。朝練、あとどれくらい?」
「えっと……着替えの時間とか、シャワー浴びたい人もいるから、長くてもあと十五分くらいだけど」
「ありがと。それじゃ仕方ないな」
行人は結衣の答えに満足げに頷くと、泉美が肩から提げているもう一つのカメラバッグを見て言った。
「折角だから、預けてたそれ、使っていいよ。デジカメみたいな連写は効かないから、シャッターチャンスを逃さず、集中して撮る練習だと思って。サーブとレシーブの基礎練なら、サーブ側なら少しくらいコートに入ってもボールが飛んできたりはしないから、選手の邪魔にならないくらいの位置を見極めて、きちんと顔が入るように撮ってね。レシーブ側も忘れないように」
「ん。分かった」
泉美は素直に頷くと、ちらりと結衣を見てから、先程まで使っていたカメラを行人に預けたまま、撮影ポイントに移動する。
そして取り出したカメラを見て、息を吞んだのは結衣だった。
「あ、あれってまさか……」
「分かる? あれ、俺がこの間コンテストで受賞したときに使ってたフィルムカメラ」
その瞬間、結衣の額に冷や汗が浮かぶ。
「えっ……ええ、だって、デザインが、その、ちょっと古いし、そのデジカメに比べて、ちょっと、薄いから、もしかしてって思って……っ!」
デジタル一眼に比べてのことだが、行人のフィルムカメラはシャッター音が比較的高く響く。
ちょうど哲也がジャンプサーブを打った瞬間に泉美がシャッターを切り、結衣はびくりと身を震わせた。
「どうしたの。顔色が悪いけど、大丈夫?」
「えっ? ええ、だい、大丈夫よ」
「そう。あー、もう小滝さん、デジカメと違ってフィルムカメラそんなにばしゃばしゃ撮ったらすぐフィルムなくなっちゃうのに。もー」
言いながらも行人は特に動いたりはせず、サーブを打ち終わって泉美にカッコつけたポーズをしている哲也の様子を一枚、その場で写真に収めた。
泉美も案外素直に哲也のそのポーズを撮ってから、自分が乗せられたことに気付いてファインダーから目を離し、哲也の調子よさに呆れつつも苦笑を禁じ得ないような顔をしている。
「小滝さん! レシーブ側もちゃんと撮ってよ! フィルムの予備一本しかないんだから!」
「分かってるって! でもセンパイ、ちょっといい?」
泉美が行人と結衣がいる側に来ると、結衣がそわそわし始め、行人はそれを尻目に泉美に駆け寄る。
「フィルムの入れ替えってどうやるんだっけ」
「フィルムが完全に送られてるの確認してから、その左手のとこの巻き戻しのノブのロックを開けるでしょ。そうしたらもう古いフィルムは外してケースに入れて、それでここのスプールってパーツに……新しいフィルムは? 渡してあったよね」
「あ。もしかしたらスクバに入れっぱかも。ちょっと待って、持ってくるから」
そう言うと泉美はカメラを行人に手渡し、自分は体育館の端に置きっぱなしの自分のスクールバッグの所に走って行ってしまう。
軽い音を立てて一旦裏蓋を閉めると、行人はファインダーを覗き込んだまま、少し周囲を見回す。
すぐに泉美が帰ってきて、
「裏ブタ開けっ放しのままだと中に埃が入るから、やめるように」
「はーい、ごめんなさーい」
あまり反省した気配のない泉美に眉根を寄せながらも、無事フィルムが交換されたカメラを泉美に渡し、行人は結衣の傍らに戻った。
「そろそろ練習終わりかな」
「え、ええ。今日、大木くんはほとんど撮ってないけど、いいの?」
「うん。今日は体育館の練習がどんな感じだったのか知りたかっただけだし、それに」
行人は、結衣の方を見ずに続けた。
「多分、長谷川さんは今日、俺に写真を撮ってほしくないんじゃないかなって」
「……」
結衣が自分の方を見ているのに気づいていながら、行人はただ練習の様子を眺めている。
「どういう……」
「別に写真を撮る必要はないんだ。必要はないんだけど、あんまりしらばっくれられると、撮らなきゃいけなくなる」
「それ、は」
「一昨日の時点で、ヒントはあった。それがヒントだって気付いたのは今朝だったけどね。一応、見るかい?」
行人が差し出したのは、一昨日のタイムスタンプがついた写真。
映っているのは哲也と、風花と、そして結衣。
行人が璃緒を撮ろうとして、カメラの調子が悪くなった時に何枚か試しに撮った一枚だ。
中央に写る哲也だけがクリアに映り、両脇の風花と結衣だけがモザイクでもかけられたように像が歪んでいる。
「これが、一体なんだと……」
「俺が右目でファインダーを覗いたとき、きちんと像を結べない相手が三人いる。一人が天海先輩。もう一人が渡辺さん。そして、君だ。長谷川さん」
「そんなの、偶然じゃ……」
「偶然だったらいいなと、俺も思う。だったら、俺に長谷川さんを撮らせてもらえる? 偶然だったら、写真を撮られたくない人の意思を尊重したいから、すぐに消すよ」
「……」
「話したと思うけど、これは俺んちのセキュリティにも関わる話でさ。もし俺に撮らせてもらえないなら」
行人は、コートの反対側を見る。
そこには行人のフィルムカメラを構えてこちらにレンズを向ける泉美と、その隣で両手に巨大なおにぎりを持って物凄い勢いで食べている風花がいた。
「小滝さんに撮ってもらうのでもいいよ」
「ま、待ってっ!」
その瞬間、結衣は鋭い悲鳴を発し、体育館内の空気が固まる。
「ど、どうした? 長谷川」
行人の隣で怯えるようにノートで顔を隠す長谷川結衣を見て、哲也が怪訝そうな声で問いかけてきた。
「……ぁ」
結衣が我に返ると同時に、チャイムの音が体育館を支配する。
朝練をする部活に向けた、始業三十分前のチャイムだった。
「あ…………その」



