エルフの渡辺2

終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ④

 結衣はちらりと行人を横目で見るが、行人はそれ以上何も言わないし、泉美もカメラを下ろして首を横に振っていた。


「えっと……チャイムも鳴ったし、今日の、朝練は、これで……」

「お、おう……じゃ、じゃあネット片付けようぜ。一年はボール回収!」


 結衣の指示に哲也は首を傾げるが、それでも頷いて一年生に指示を出した。


「は……ぁぁ……」


 結衣は顔を覆っていたノートを下ろすと、身を揺らして倒れそうになり、


「大丈夫?」


 行人はその体を支える。


「…………案外、意地悪なのね。大木君って」


 支えられた体をすぐに起こした結衣は、恨めしそうな目で行人を睨んだ。


「こっちは空き巣に入られて、家の窓割られてるんでね。その上、うちの部の大事な協力者の生活にいらないプレッシャーをかけられてる。これくらいやっても、バチは当たらないと思う。それで……」


 行人は、手際よく片付けられてゆくコートを見やりながら、それら諸々の音に隠れるように尋ねた。


「長谷川さんは、どっちなの?」

「どっち、って」


 結衣は眼鏡を外すと、レンズに落ちてしまった冷や汗を取り出したハンカチで適当に拭うと大きく息を吐いた。


「迷いの道の魔法を壊したカメラを調査しにきた監査隊なのか、それとも大木君の家に侵入しようとした空き巣なのか、ってこと? だとしたら、どっちでもあり、どっちでもない、っていう答えになるかな」

「それはちょっと意外な答えだけど、そっちはメインじゃないかな」


 観念した結衣を、追及しておきながら信じられない部分もどこかにある行人は見つめる。

 そして、結衣に二枚の写真を手渡した。

 片方は家の二階から風花を写さないように空き巣を撮ったもの。

 片方は結界を破った空き巣の正面に立ちはだかったときに撮ったものだ。

 いずれも、結衣より明らかに大柄な女性が写っていた。


「少なくとも今朝、うちに侵入したのは長谷川さんじゃない。体格が違いすぎる。姿隠しの魔法は、体格までは変化しないっていうのが俺の認識だからさ。それで……この正面からの写真を撮ったとき、俺は空き巣の声を聞いたんだ。聞いた上で、ちょっとそれがまだ信じられていない」

「そうだったの。でも、多分大木君が考えてることは、間違ってないんじゃないかな」

「いずれにしても俺が聞きたいのは、長谷川さんがサン・アルフの味方か敵か、ってとこ」

「それも、どっちでもありどっちでもないって答えになるわ。……あ、ちょっと山元君、そのボール、空気抜けてない? 別のところに除けておいて。後でチェックするから」


 観念して、どこかすっきりした表情になった結衣は、一年生が運んでいたボールの異変を目ざとく見つけてそんな指示を出した。

 行人がそれを意外そうな顔で見ているのに気づき、不機嫌そうに言う。


「これでも、バレー部のマネージャーには本気で取り組んでるのよ、部長に……あの人に、魔王討伐を成し遂げてほしいのも本当。意外そうな顔、するのね」

「その『まおうとうばつ』って言葉が何を意味するのか、測りかねているだけだよ。馬淵山大付属桜花のことなのか、本当の『魔王』なのか」

「それも、どっちでもある、って答えになるわ」

「どっちでもあるっていうけど、俺は本来の『魔王討伐』が何なのか、未だに分かってないんだ。渡辺さんが……」


 風花と泉美の方を見やると、何故か風花はおにぎりを口いっぱいに頰張りながら、据わった目で行人と結衣を睨み、その隣で泉美が呆れたように肩を落としていた。


「渡辺さんが、魔王討伐に本気になった、みたいなことを言うんだけど、その詳細をきちんと教えてくれないからさ」

「……ちなみに聞くけど、本気になった渡辺さんは何を始めたの?」

「苦手教科の勉強くらいかな」

「ああ。じゃあ割と本気なのね」

「え、それって長谷川さんの立場でも本気に思えることなの?」

「あら。それじゃあ渡辺さんからは本当に何も聞いてないのね」

「空き巣騒ぎもあってそれどころじゃなかったのもあるけど……じゃあ、うちに入った空き巣について長谷川さんは……」

「それも、半分は私のせい、ってことになるわね」


 先ほどからどっちつかずな返答が続く結衣だが、噓をついている感触ではないと考えた行人は、一歩踏み込んだ。


「大木君は、もう気付いてるんでしょう。空き巣の正体」

「これこそ本当に気付いたのは今朝だけどね。ただそれについても、まだ一つだけ分からないことがある。これだ」


 行人は、朝、大木家に襲来した空き巣を二階から見下ろす形で撮った写真を結衣に見せる。

 そこには、不明瞭ながら明確に女性の体つきの人間が写っていた。


「俺と渡辺さんの理屈で言うと、この写真は色々とおかしいんだ。これについて、長谷川さんは何か知ってるのか?」

「知ってるけど……本人に聞いた方がいいんじゃない?」

「え?」


 結衣の目が向く方向を見ると、片づけを正に終えようとしていた部員達が、体育館の入り口に向かって一斉に姿勢を正し、一礼しているのが見えた。


「「「部長、おはようございます!」」」


 朝の光を背負い、逆光でも分かる体軀と上背を誇る天海璃緒が、朝練の終わる時間になって登校してきたのだ。

 その頭には、行人の見覚えのある、黒いニット帽。


「よ。おはようお前ら。悪いな、二日連続欠席で心配かけて」

「いや、それはいいんすけど部長。どうしたんすかその帽子」

「あ、それ聞いちゃうコミテツ。いや実はさぁ」


 璃緒は苦笑しながら帽子を取ると、そこには妙にくるくると縮れた髪の毛が。


「えっ!? なんすかそれ!」

「いやー実はオレ昨日雷に打たれてさー」


 明らかな噓ではぐらかす璃緒は、自分の方を見ている行人と結衣、そして風花と泉美に気付く。


「ちょっとな、やらかしたんだ。でも、まぁ似合っているだろ?」

「そっすね。イケメンは何やっても似合って得っすね」

「コミテツお前……まぁいいや。片付け、頼むな」

「うっす」


 調子の良いことを言う哲也に苦笑しながら、力のない足取りで、行人の元にやってきた。


「やあ」

「どうも、天海先輩。色々聞きたいことはあるんですけど、あっちで小滝さんが持ってるのが、俺がコンテストで渡辺さんの写真を撮ったときに使ったフィルムカメラです。写真、撮ります?」

「いや、今はいいや」


 璃緒は、警戒心マシマシの泉美の顔を見てからあっさり首を横に振った。


「大木君、結構性格悪いな。いつからオレ達のこと怪しいと思ってたの」

「確信したのは今朝ですよ。でも、それ以前から今回渡辺さんの家にふりかかる問題の核は俺のカメラだって分かってたんで、とりあえず隠しておいたほうがいいかなって思って、小滝さんの家に保管してもらってたんです。あのカメラ、死んだ親父の形見なんで、信頼できる相手以外にとやかく言われたりちょっかい出されたりとか嫌なんで」

「なるほど、そりゃそうか」

「だからまぁ、出来れば何を考えて二日連続迷惑な時間帯にうちに来のか、教えてもらえますか、天海先輩」

「んー」


 璃緒は困ったような顔で結衣を見てから、いつの間にか自分の背後に立っていた風花を見て、がっくり肩を落とした。


「それを話す前に一つだけ聞きたいんだけど」

「何ですか」

「君、本当に中学の時レギュラー入れなかったのかい? バスケ部のスクリーンアウトかってくらい、君のインターセプトは固かったよ」

「多少体鍛えたからって、スポーツの技術が上がるかどうかは別の話でしょ」


 現役エースに言われても、何の慰めにもならない。


「一応言っておきますけど、私は大木くんやご家族に迷惑をかけたことを許していないので」