エルフの渡辺2

終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ⑤

 そして最後にほっぺたにご飯粒をつけた風花が、真剣な表情で璃緒と結衣を見据えた。


「今日の昼休み、天海先輩も長谷川さんも、園芸部の部室に来て、この数日どういうつもりで何をしていたのか、洗いざらい吐いてください。それができないのならば、こちらの世界で犯した罪を浮遊監獄島の総督府に直訴することもあり得ます」

「OK。今更逃げやしないよ」

「分かりました。必ず伺います」


 璃緒があっけらかんとそう言い、結衣も観念したように頭を下げるが、ふと何かに思い至ったようで、結衣は真っ直ぐ行人を見る。


「でも、こんなこと言っても、きっとまだ私達のことは信用できないよね。それならもしよかったらなんだけど……私と天海先輩の写真を撮ってもらえないかな」

「え?」

「長谷川?」


 行人だけではなく、璃緒も驚いて結衣を見た。


「イーレフの渡辺さんの写真を撮ったのは、結局あなたなんでしょう? 私のところに下りてきた報告だと、特別なカメラが必要だって話だったけど、デジカメでも何かに気付いていたみたいだし、そうでもないのかな」

「それは、まだ自分でもよく分かってないんだけど……渡辺さんの本当の姿を写した写真を撮れるのは、今、小滝さんが持ってるフィルムカメラで俺が撮ったときだけだよ」

「お願い。それで天海先輩を撮ってあげて。天海先輩には今、それが何より大事なの。魔王討伐のため……馬淵山大桜花に勝つためにも」


 真剣な様子の結衣に、噓はないように思えた。

 一瞬風花を見ると、風花も怪訝な表情こそ見せるが結衣を止めようとはしていない。

 行人は小さく溜め息を吐くと、泉美からカメラを受け取り、璃緒と結衣から一歩距離を取った。


「これは渡辺さんにも言っておきたいことなんだけど、いい加減『魔王討伐』って単語が安売りされすぎだから、一体みんながどういう意味でその言葉を使ってるのかもきちんと説明してもらうからね」


 行人は二人に向かってレンズを向けた。

 ファインダーの中で、璃緒と結衣がまるで似合いのカップルのように、光を放っている。

 カメラが、二人を『良い』被写体だと行人に教えてくれている。

 渡辺母娘を撮ったときと、何ら変わらない現象だ。

 そのことが、行人には少しだけ残念に思えた。

 片づけを終えたバレー部の部員達が、好奇心むき出しでそれぞれに行人達を遠巻きに見始める。


「……センパイ。いいの? こんな大勢に見られてるところで」


 衆人環視でエルフの魔法を破る力を持つカメラを使うことを心配した泉美の耳打ちに、行人は顔を向けずに答えた。


「残念だけど、大丈夫だよ。きっと、いつもの大きな音がするくらいさ」


 そう言って切ったシャッター音は、澄んだガラスが砕けるような音だった。

 哲也を始めとする部員達は突然の異音に何事かと周囲を見回すが、特に異常は見当たらず、不思議そうに顔を見合わせるだけ。

 そして璃緒も結衣も、自分の手や体をまじまじ見ながら、何ら異常がないことに安心したような、どこか残念そうな、複雑そうな表情を見せた。


「昼休みまでに現像をしておきます。お互い詳しい話は、園芸部の部室で話しましょう」

「……ああ。分かった」

「ええ、ありがとう」


 それでも璃緒と結衣の表情は、最後には晴れやかなものになっていたのだった。

 ◇

 薄暗い園芸部の部室で、朝練で撮影された璃緒と結衣の現像された写真を見た泉美は、何度も目をこすりながら信じられないという表情で目の前に座る璃緒と写真を何度も見比べ、そして叫んだ。


「天海先輩、エルフじゃん!」

「ああ、そうだよ」

「そんで女子じゃんっ!!」

「ああ、そうだよ」

「二人目じゃんっ!!」


 そして頭を抱えてテーブルの上に突っ伏した。


「え、ナニコレナニコレ意味わかんない。エルフまではいい。エルフなのはもう分かる。でも、女子ってどういうこと!?」


 泉美が混乱するのも無理はないし、風花も写真を見て流石に絶句している。

 そこには風花よりも少し短いエルフ耳を持った、短い銀色の髪を持つエルフの女性が写っているのだ。

 風花は日本人でもエルフでも、首から上が変わるだけで体格は全く変わらない。

 だが璃緒の場合は、身長こそ変わらないが体格は男女差がそのままはっきり変わっているのだ。


「どういうことも何も、そのまんまだよ。渡辺さんと同じく、姿隠しの魔法を使われた結果、オレは男として生きてる」

「…………ナチェ・リヴィラの人権意識ってどうなってるの」


 泉美はじっとりとした目で、璃緒の隣に座る結衣を睨む。

 写真の中の結衣は確かに外見は変化しているが、髪の色と瞳の色が両方かなり明るい赤になるだけ。

 行人も、そして泉美も初めて出会う、ナチェ・リヴィラの『エルフではない』人間だった。


「誤解しないでほしいんだけど、天海部長のその変化は、エルフを管理する側にとっても想定外のことだったの。それでも全てのエルフは、魔王討伐計画のために管理されなければならない。だから私が、天海部長のお目付け役として日本に派遣されてるの」

「管理する側、ねぇ。その時点でそれこそ魔王討伐が達成されたとき、その更に将来へ禍根を残しそうな言い方だけど」

「人類が歴史を賢く運用できないのは世界が変わっても一緒よ。下っ端も下っ端の私に文句言っても、何も変わらないわ」


 結衣はそう言うと、少し疲れたように顔を伏せた。


「地球で言うところの『人間』を、私達の言葉では『サン・ナムー』というの。私の一族は歴史的にエルフと近い位置で仕事をしてきた。私は成人してから……あ、十五歳から日本に来て、前任から天海部長の監視を引き継いだ。正直、南板橋高校は判定ギリギリだったんだけど、根性で受かったわ」

「え? そこは何か裏の力で高校の席が予め用意されてるとかじゃないの」


 敵認定したためか、泉美の結衣に対する態度が極めてフランクになっている。


「人間側が何の努力もしてないのに、エルフに努力しろなんて強制したら、不満がくすぶって未来の反抗の種になるでしょ」

「はぁ……傲慢なのか筋が通ってるのか……」

「だから大木君の最初の質問。私はサン・アルフの敵か味方かで言えば、立場的に敵よ。でも、天海部長の夢をかなえてあげたい、という意味で、部長の味方でいたいの」

「ああ、だから半分……」

「そして天海部長の力になりたいから、馬淵山大付属桜花を倒したいって意味での魔王討伐は絶対成し遂げたいし、それを成し遂げればナチェ・リヴィラの全人類が目指す『魔王討伐』も同時並行できる。そういう意味で、魔王討伐も半々で目指してる」

「それ!」

「うっわ、センパイ声でか」


 ここまで静かに結衣の話を聞いていた行人が身を乗り出した。


「結局、そのナチェ・リヴィラ的魔王討伐って何なの。話を聞く限り、武器持って経験値上げて魔王と戦いに行くとかそういう話じゃないんだろ?」

「その意味もないわけではないけど、随分古い概念よ。というか渡辺さん、話してないの? 大木君も小滝さんも、もうナチェ・リヴィラにはお招きしてるくらいの間柄なんでしょ」


 水を向けられた部室の主、風花はここまでで一番静かだった。

 そして結衣の方を恨めしげに見ると、不貞腐れたように言った。


「……監査隊だったら、知ってるんじゃないですか。私の魔王討伐が、あんまり上手くいってないことを」

「まぁ、少しは耳に入ってたけど……」

「え? 何? 上手くいってないって、何その現在進行形みたいな言い方」


 行人が疑問の目を風花に向けると、風花は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。


「……大木くんには話したでしょ。……この前の中間テストの成績、ボロボロだったって」