エルフの渡辺2
終章 渡辺風花は魔王討伐の覚悟を決める ⑦
「天海部長や渡辺さんが、大木君のカメラを使ってお互いを撮ったり自分を撮ったりを認めるわけにはいかないわ。でも、こっちの人間の大木君が自分のカメラで誰を撮ろうと、私は文句を言えないしナチェ・リヴィラの上層部も手出しできない。渡辺母娘の写真についても、現時点ではグレー寄りの白ってことで、一応見逃されてるわ。大木君、あなたが写真コンテストに応募する上で偶発的に発生した事故だ、ってことでね。だから私はそのカメラの存在だけは部長に教えることができた。これがもし……」
結衣が風花を見る。
「渡辺さんや渡辺さんのお母さんが、自分の本当の姿を見たいがためにあなたに撮影依頼を出した、ということなら話が変わってしまう、ということだけは覚えておいて」
事実としては、渡辺母娘のエルフ姿の写真は、行人のフィルムカメラの機能を推測した渡辺涼香からの依頼で撮影したものだ。
きっと結衣も内心そのことを疑ってはいるのだろうが、証拠はないのでスルーしておいてやる、と言う話なのだろう。
「だから君の家に空き巣に入ったのも、長谷川は一切関知していない、オレの独断だ。もしそれを許せないって言うなら、警察に突き出してくれても構わない」
「ちょっと天海部長! 私はあなたにそんなことさせるつもりじゃ……!」
「……事が、私の成績不振や私が大木くんに迂闊なことをしたことが遠因だと言えなくも無いので、あんまり強いことは言えないんですけど……何でそんなに短絡的な行動をしたんです? 長谷川さんはああ言ってたけど、私がエルフだと知ってたなら、他に方法はあったかもしれないのに……」
風花の問いに、璃緒は憔悴した様子で言った。
「時間が……ないって焦ったんだ。大会まで間がないのに、今年に入ってオレは……魔力に拠らない俺の身体能力が、成長しなくなってきたんだ」
「魔力に拠らない?」
「地球の人間社会で名を上げる上で、魔力や魔法を使うことがご法度なのは渡辺さんも知ってるだろ?」
確かに普段おしとやかを絵に描いたような風花ですら、家の二階から躊躇いなく飛び降りられるほどの身体能力を有しているのだから、あんなことをガワが人間のエルフにされたら、世界のスポーツシーンがひっくり返ってしまうだろう。
「でも……オレの本当の体は、女だ。一年のときにもう既に、鍛えても鍛えてもなかなか同級生の筋力に追いつけなかった。テクニックで誤魔化すのも限界に近くなっていて、それで、自分の本当の体の外観だけでも、確かめたくて……筋トレが、どれほど効果を出してるのか。実際に体が出来上がっているのか……写真一枚で何が分かるわけでもないけど、何も見えない、っていう不安が、あまりにも強くて……」
「……ああ、そういう……」
「どうしても、勝ちたかったんだ。夏の大会に……」
「分からないでもないけどさ、それこそそんなに色々なエルフがこっちで活躍してるなら、秘密を完全に守れるナチェ・リヴィラ人だけで固めた病院とか作ってないの?」
泉美の疑問は最もだが、結衣はその問いを予期していたようで、すぐに首を横に振った。
「あったら苦労しないわ。それにそうでなくとも、本来姿隠しの魔法で性別が変わるなんて、これまで一度も観測されてない事態だもの。大木君と小滝さんは知ってるでしょうけど、本来は渡辺さんみたいに、顔と体毛の色だけが変わって、体格や骨格は変わらないはずなんだから」
「何か原因らしきものはないの?」
「いくつか考えられることはあるみたいだけど……渡辺さんの前では言えないわ。姿隠しの魔法に関する詳細は、エルフには話してはいけないことになってるから」
「いや、まぁ、なるほどな……」
行人は、一気に解決したこれまでの疑問や謎の洪水に、頭を整理するように何度も深呼吸をする。
一つ一つの出来事は、璃緒と結衣が共謀したというより、それぞれの思惑でお互いの立場を尊重しながら動いた結果、ということだった。
確かに空き巣の件は許しがたい事態ではあるが、風花を通してナチェ・リヴィラの新たな秘密に触れたと思うと、許せないという思いを超える感情があるのも事実だ。
「最後に、一つだけいい? 天海先輩も、長谷川さんも」
「何だい」「何?」
「どうしてそこまでバレーボールに打ち込んでるの? 言ってしまえばナチェ・リヴィラの人として負っている使命とは全く関係ないことなのに、その使命と天秤にかけるくらいの重きを置いてるように見えるんだけど」
璃緒と結衣は、一瞬お互いを見て、躊躇わずにはっきりと言った。
「「好きだから」」
「……」
「将来バレーボールで食っていけるかなんてわからない。でも、本気で好きで、打ち込んで、オレの人生と青春の一部なんだ」
「私は確かにプレイヤーじゃないわ。でも、私が練習をマネージメントして、縁の下でバレー部を支えていることを誇りに思ってる。馬淵山大桜花を倒して全国に行くのは……」
そして璃緒と結衣は、お互いどちらからともなく手を繫いで、言った。
「「二人の夢なんだ」」
「……分かりました」
行人は大きく頷くと、風花と泉美を見る。
「俺は納得できたけど、二人は?」
「……元はと言えば、私の色々なうっかりから始まってることでもあるし」
「私はまぁ、風花ちゃんが不利になるようなことがなければ」
「……もしかして、許してくれるのか」
行人達の空気が柔らかくなったことに気付き、璃緒が恐る恐る言うと、
「俺は窓の件は弁償してもらいたい気持ちはありますけど、金出すのはうちの母親、もっと言えば火災保険なんで、弁償してもらおうにも難しいですし」
「私は元々そっち側の人間なので……」
「これ以上風花ちゃんにいらんちょっかいかけないなら」
手を繫いだままの璃緒と結衣は、お互いに少しだけ緊張が解けたように顔を見合わせた。
「ただ、条件として天海先輩には一つ、お願いがあります」
「何だろう。オレにできることだったら何でもやるけど」
「写真部では今、新しいコンテストに応募するための写真を撮ってるんです。時々でいいんで写真部に来て、モデルをやってもらえませんか。きっとその方が、先輩も息抜きになって、魔王討伐の力になれると思います」
璃緒は少しだけ行人の言葉の意味を考えてから、はっとなって結衣を見る。
「部長に時間があればいいんじゃないですか。こっちの練習に支障がなければ、私には何も言えません」
結衣は殊更にそっけなく答えるのみ。
璃緒は大きく息を吐き、行人を見て言った。
「ありがとう。写真部に……大木部長に声をかけて、本当に良かった」
璃緒と結衣、そして行人が、初日とこの朝に撮った写真についての相談のためにバレー部顧問の五島教諭の所に行ってしまい、昼休みの残り少ない時間で風花は黙々と弁当を口にかきこんでいた。
「風花ちゃんは、あんま納得いってない感じ?」
泉美の問いに、風花は箸を動かす手を止めずに答える。
「いい落としどころだったとは思うよ。私としても成績不良の負い目はあったし、結果的にお母さんの立場も長谷川さんに助けてもらえるわけだから。大木くんが天海先輩にああいった理由も、要するに長谷川さんが知らない日本のどこかで大木くんが天海部長を撮る分には、どんな目的で撮ってようと長谷川さんが関知することじゃない、ってことだしね。天海先輩が自分の体のステータスを正確に確認するためには、その方がずっといいんだろうし」
「じゃあ何が不満なの? センパイ達が帰ってから、ずっとムクレてんじゃん」
「…………やだ、言いたくない」
「え?」
「この文句は、私が直接大木くんに言うべきことなんだけど、こんなこと言うワガママな奴だとも思われたくない」



