エルフの渡辺3
第一章 渡辺風花は納得がいかない ①
日頃はゆったりふんわりした雰囲気と性格なのに、納得いかないこと、理不尽なことに対しては鋼のように毅然とした意志を示す。
それが、ごく最近色々なトラブルに接して気づいた、渡辺風花の一面だった。
写真部の部室にて、四人の少年少女が険悪な雰囲気で向かい合っていた。
「納得いきません。どうしてそんなことになったのか、説明してください」
渡辺風花は声色に違わぬ厳しい顔つきで、正面の机に腰かける長谷川結衣を糾弾していた。
「説明もなにも、今言った通りよ」
対する長谷川結衣も、風花の勢いに全くひるむことなく毅然とした言葉を返した。
「渡辺さん、もういいって、諦めようよ」
「ダメだよ大木くん。大木くんだって、こんなの納得できないでしょ!」
「それは……そりゃあ、多少は納得できないところもないではないけど……」
いきり立つ渡辺風花を大木行人は宥めようとするが、怒り心頭の風花はそんなことでは収まらないようだ。
「これは、間違いなく大木くんのものでしょう! なのにそれを横取りするようなマネ、許されるはずがないよ!」
風花が今見ているのは、行人が首からかけている一眼レフカメラだ。
「決定に納得できないっていう渡辺さんの意見は分かったわ。でも大木君自身の意見はどうなの。今のところ、渡辺さんが一人で暴走しているように見えなくもないけど」
「そりゃあ、納得してるのかって聞かれれば俺も納得できないところはあるよ」
「まぁ、それは当然でしょうね」
結衣は小さく鼻から息を吐くと、風花と行人から目を逸らした。
「言い訳に聞こえるかもしれないけど、こっちも一応は抵抗したのよ。でもこれは上が決定したことなの。ここで私を論破できたとしても、決定は覆らないわ。それとも渡辺さん、頑張って上に直訴してみる?」
「上……って」
「言わなくても分かってるでしょ」
結衣の追い込みに、風花はぐっと言葉に詰まる。
「とにかく、これは決定事項。こうして私が知らせに来てること自体、言ってしまえば温情なのよ。普通だったら前回のそちらの『仕事』が終わった時点で関係は終了、今回のことについて何も知らされなくても何も文句は言えないのよ」
「で、でも……」
それでもなお、抵抗しようとする風花に、横から声が飛んだ。
「風花ちゃん、もう諦めなって」
「泉美ちゃん! でも、それじゃあ大木くんのカメラが……写真が……!」
味方のはずの小滝泉美からの実質的な降参宣言に、風花は絶望的な表情を浮かべる。
だが泉美はそんな風花の絶望を意に介さず、一瞬だけ横目で行人を見てから乾いた声で引導を渡すように言った。
「男子バレーボール部初の全国大会出場だもん。そりゃ学校としては応援と記録のためにプロのカメラマンに依頼するでしょ」
「でもぉ! ここまで大会予選の写真撮ってたのは大木くんと泉美ちゃんじゃないぃ!」
風花はハンカチでも持っていれば食いちぎりそうなほど悔しがり、泉美は溜め息を吐き、結衣は頭を抱え、そして行人は生暖かい目でそんな風花を見るのだった。
「分かってるのよ渡辺さん。そりゃ私だって、こんなところで恩を仇で返すようなことしたくないわよ。小宮山君はもちろん、他の部員からも不満は出たし、五島先生も気にしてたわ。でもね、さすがに上を……PTAや校長やOB会を納得させられなくて……」
「納得いかないいいい!」
「後で天海部長も、正式に大木君に謝りにくるわ。……これは決定なの」
今度こそ結衣は、心苦しそうに風花達三人に告げた。
「私達男バレの全国大会に、写真部は公式応援団としては来てもらえないの。お願い。分かってちょうだい」
「納得いかないいいいい!」
悔しさとやるせなさと怒りで呻く風花を後ろから見ていた行人は、エルフは感情が昂るとその隠しようのない長い耳が見間違えの無いほど赤くなる、というどうでもよいエルフあるある知識を仕入れたのだった。
◇
大木行人が写真部部長になってから初めて受けた、他部活からの撮影依頼。
それは、全国大会出場を目指すとともに『魔王討伐』を目標に掲げる男子バレーボール部からの依頼だった。
男子バレーボール部部長、天海璃緒は行人のコンテスト入賞写真とその実力を高く評価し、大木部長体制の写真部に初めて仕事を依頼した。
目的は部の実力と精神的な強さを底上げするため、写真部に男バレの練習風景と、部の公式ホームページ用の写真素材を撮影することだった。
男バレの悲願は、東京都の絶対王者、馬淵山大学付属桜花高校を倒し全国大会に駒を進めること。
その圧倒的な実力からいつしか『魔王高校』と呼ばれた馬淵山桜花を倒すことを『魔王討伐』と称する天海璃緒。
それは、異世界ナチェ・リヴィラのエルフとして真実『魔王討伐』の使命を負っている風花にとっても、その事情を知る行人と泉美にとっても聞き捨てならない言葉だった。
折しも風花は自身の『魔王討伐』の進捗が思わしくない上、風花と母親の涼香が『何者かのカメラ』によってエルフとしての真の姿を撮影されたことがナチェ・リヴィラの人間側管理者に露見し、進捗が思わしくない魔王討伐の状況を監査されることになってしまっていた。
そのため、決して一般的に口の端に上がる言葉ではない『魔王討伐』の文言とともに近づいてきた部長の天海璃緒、そしてマネージャーの長谷川結衣がナチェ・リヴィラに関係する人物ではないかと疑う。
微かな疑念を抱きつつも、行人は親友の小宮山哲也が男子バレーボール部の二年生レギュラーなこともあり、部で請け負った仕事は仕事として真摯に撮影に取り組む。
璃緒や結衣に対して覚えた危惧が杞憂だったかのように撮影は順調に進むが、異世界や男子バレーボール部と全く関係の無い、空き巣というトラブルが大木家を襲う。
盗まれた物こそなかったものの『魔王討伐』と『写真撮影』にまつわる事態での最中に人の家が犯罪被害に遭ったことで、風花はやや暴走気味に原因をナチェ・リヴィラにあると断じ、ナチェ・リヴィラ側の身勝手な事情から行人を守るため、泉美や行人の母には内密に、行人の部屋に泊まり込んだ。
結果、風花の懸念は意外な形で当たることとなる。
大木家に入った空き巣の正体は、天海璃緒。そして更なるその正体こそナチェ・リヴィラのエルフであり、彼、或いは彼女のそばに常にいる長谷川結衣もまた、ナチェ・リヴィラの『人間』であり、風花と璃緒の監査役その人であった。
風花、璃緒、結衣のそれぞれに、故郷、或いは故国に課せられた義務がある。
だが今この瞬間、三人が大切にしていたのは奇しくも今の日本での生活と、日本で追い求める自分自身の夢であった。
璃緒はエルフの真の姿を隠す『姿隠しの魔法』を貫通する行人のカメラを『男性バレーボールプレイヤー』としてこれからも進歩してゆくために欲し、本来璃緒の行動を制限すべき結衣もまた、璃緒のバレーボールプレイヤーとしての夢を心から応援していた。
その結果として、女子でありながら真実男子の姿で主将を張る璃緒の率いた南板橋高校男子バレーボール部はこの夏、全国出場の宿願を果たす。
そんな夏休みも目前の、七月半ばのことだった。



