エルフの渡辺3
第一章 渡辺風花は納得がいかない ④
泉美は心の底から声にならない声で呻いた。
「だ、だったら!」
「何!」
「何でセンパイにそう言わないのさ!」
「言えるわけないでしょう!」
「だから何で!」
「恥ずかしいし!」
「はあ!? 今更!?」
「あと、大木くん側から仕切り直してくれることになってるんで!」
「ここで人任せ宣言高らかにするとかある!?」
「だって私の方からガツガツ行くのはなんか違うかなって!」
「今更でしょーが! センパイ、エルフだなんだごちゃごちゃ言いながら普通に風花ちゃんのことしか見てないもん! 何となく風花ちゃんも感じてるでしょーが!」
「そっ……れは! ちょっと、薄々そうかもって思う瞬間もないではないけど!」
「傍から見てりゃそんな瞬間しかないんだよ! つまりずっとなんだよ!」
「でも! まだ! 私の方に覚悟がないの! もし大木くんが覚悟を決めてくれたとしても……」
風花の脳裏に、これまで行人に、いや、世界に対して隠し通してきた自分自身のルーツと宿痾がよぎる。
「あ、いた、ちょっと二人とも……」
「きっと今のままじゃ、結婚なんかできない。私の事情、やっぱり重すぎるもん」
「気が早ぇんだよぉ!」
泉美の人生史上最も汚いだみ声が出た。
「誰もそこまでの決意を表明しろとは言ってないでしょーがあ!!」
「で、でもだって、こんなに特殊な青春を共有した大木くん以外、私の人生のパートナーになってくれる人現れると思う? お母さんとももう挨拶済ませてるんだよ?」
「いくらでも現れるわ! 既に私とセンパイと二人に余裕で重大な秘密バレて受け入れられてんだから、ここから先いないと思う方が不自然でしょ!」
「やだ! 大木くんがいい!」
「じゃあもうさっさと本人に言えやあ! 肚ぁくくって茶道部にカチ込んでケジメつけて来りゃあいいでしょうが! 何をこんなとこで芋引いとんじゃあ!」
「あー……つまり大木君は茶道部にいるのね?」
「「へ?」」
そのとき、唐突に第三者の声が割り込み、風花と泉美は間抜けな声を上げた。
そのまま空中格闘戦でも始めかねない勢いで組み合っていたふたりはギギギと音を立てて横を見ると、そこには少しだけ頰を赤らめて喉の奥で咳ばらいをする長谷川結衣と、見知らぬスーツ姿の女性が、大人っぽくもひたすらに気まずそうな顔でおろおろしていたのだ。
「ど、どどどどどどどどどどどっどどどっどこここどどこどどどどどどこどこどこ」
「結婚なんかできない、あたりから」
「ななななななんなんなんでそんそんそんそんそんな中途半端……」
「普通にそのタイミングで来たからよ。話の内容が初めから分かってたら回れ右してたわ。こっちはお客様連れてるんだし、デリケートな話を初めから立ち聞きして『最初からいたわよ』みたいなことシレっと言うほど人間終わってないわ」
「っ〜〜〜……!」
「……誓って言っておくけど、そこから前の話は一切聞こえてないし、来たタイミングでちゃんと声はかけたんだからね」
眼鏡の奥で気まずそうに目を逸らす結衣の横で、見知らぬ女性が結衣を弁護するように無言で激しく頷いた。
「は、は、はは、は……はうっ!」
風花はその場で赤くなったり青くなったり白くなったりしながら、結衣と女性を交互に見ると、結衣はまた咳払いをして、彼女の本当の立場から言った。
「大丈夫よ渡辺さん。あなたが大木くんを、ちょっと尋常じゃないくらい好きだということ以外は、特に何の情報も漏れてないから」
「ひんぐぅっ」
「私と天海先輩も、何となく察してたことだったし」
「あひぃっ!」
最終的に赤くなって、風花は力なくその場にへたり込み、まさしく真夏のアスファルトで干からびたミミズのように全く動かなくなってしまった。
「熱中症にならないようにね」
あまりに痛々しい有様に、今の今まで怒鳴り合っていた泉美もいたたまれなくなる。
「ああ、もう……ええっと」
普段ならばここで結衣にも一言文句を言ってやるところだが、見知らぬ大人のいる前ではあまり荒っぽいこともできない。
「何の用だったの、長谷川先輩。えっと、そちらの人は……」
よく見ると、スーツ姿の女性は首から『来校者』と記された紙を入れたネームプレートを下げていた。
すっきりとしたショートボブに、いたたまれない表情でも分かる爽やかな美貌、結衣や泉美より頭一つ高いすらりとした身長が印象的な人物だ。
泉美からは、二十歳を過ぎているだろうということしか分からないが、背格好からどういう人物かを察することはできなかった。
泉美の視線に気づいた結衣は、先程とは別種の気まずさのようなものを醸し出しながら、女性に泉美を紹介した。
「湊川さん。こちら、小滝泉美さん。写真部の一年生です」
「あ、はい。えっと、初めまして」
ここで初めて女性が声を出した。
「え?」
泉美は、本当に一瞬だが、どこかで聞いたことのあるような声だという印象を抱く。
そして差し出された名刺を見て、ハッとなった。
「湊川夕夏と申します。その……フラックスイエローフォトスタジオの者です」
「フラックスイエローフォト……え、つまり、プロのカメラマンってこと?」
見知らぬ人物の意外な正体を知るとともに、差し出された名刺に書かれたその職業と、結衣との組み合わせが、泉美の心にわずかな敵愾心を灯らせる。
湊川夕夏と名乗った女性も泉美が察したことを察したのか、表情に気まずさが増したように見えた。
「はい。実は弊社と私が、男子バレー部の全国大会の撮影を担当することになりました」
「……ふーん。そうなんだ」
泉美は、礼儀を知らない人間ではないし、物の分からない人間でもない。
写真部が男バレの全国大会に帯同できない事情も理由も十分受け入れているし、行人が全国大会に帯同できないことを受け入れているその心情も理解していたし、代わりに学校が用意したプロのカメラマンに対し、一切の他意を持っていなかった。
だが、こうして向こうからこっちにコンタクトを取ってきたとなると、話は別だ。
この瞬間だけは、世間知らずの女子高生という猫を被ってもよいだろうと判断した。
つまりこっちのお株を奪っておいて、よもや上から目線で学生のカメラマン気取りのご機嫌を取ろうと形ばかりの謝罪に来たわけではあるまいか、と疑ったのだ。
すると、湊川夕夏カメラマンはその空気を敏感に察したのか、姿勢を正して泉美に言った。
「実は今回の全国大会撮影に当たって、部のホームページや名簿用の写真を撮影していた前任のカメラマンの方に伺いたいことがあったんです。顧問の五島先生から、こちらの学校の写真部の方が撮影したんだと伺って、それで、撮影プランを組むに当たって部長さんに聞き取りをお願いしたいと思い、長谷川マネージャーに案内していただいたんです」
「え、あ、そ、そうな……んですか?」
思いの外はっきりした誠意を感じられて逆に面食らった泉美が結衣を見ると、結衣も落ち着いた様子で頷いた。
「ええ。でも大木君が教室にも写真部の部室にもいなくて、LINEも既読がつかないし、小宮山君もどこにいるか知らないって言うから、そうなるともうあなた達二人くらいしか彼の行方を知ってる人に心当たりがなかったの。でも、あなた達もLINEや電話に反応しないから仕方なく来たら、あんな言い争いしてるから、ね……」
むしろ結衣の方がどこか言い訳めいたことを言う有様だ。



