エルフの渡辺3

第一章 渡辺風花は納得がいかない ⑤

「えっ……と、その……うちの部長の大木に、どんな御用でしょうか」


 泉美も、困惑しながら軌道修正すると、少しだけほっとしたような夕夏は、わずかな微笑みを浮かべた。


「大木部長はバレーボールの経験者だと伺いました。私もスポーツ大会の撮影経験はありますが、バレーボールは基本的なルールくらいしか分からないので、競技経験者としてホームページ素材の撮影にどんなことに注意されていたのか、部員の皆さんの誰をどう撮るのが良いと感じられたのか、ご意見を伺いたいんです」

「は。はあ、そうですか……」


 泉美はまた結衣を横目で見ると、どういう意図なのかは分からないが、結衣は眉を軽く上げて目だけで頷くだけ。


「えっと、その。大木は今、男バレでやったようなことを他の部活からも頼まれて、ちょっと席外してるんです。だからえっと、どうしたらいいかな。長谷川先輩。悪いけど、湊川さんを連れて写真部の部室で待っててもらえます? 多分、そろそろ終わるはずなんで、私がセン……部長引っ張ってきます」

「突然訪ねてきたのは私なので、大木部長の用事を優先してくださって大丈夫です。いくらでも待ちますから」


 夕夏がそう言うので、泉美はまた結衣と曖昧に顔を見合わせる。


「わ、分かりました。部長、本当に、もうそろそろ打ち合わせ終わる頃だと思うんで」

「案内は任されたけど、その子はどうするの?」


 結衣は泉美の足下で干からびた風花に目をやると、泉美も、そして夕夏も困惑しながら微動だにしない風花を見る。


「日陰に移動させて水でもかけておけばいいんじゃないかな」

「雑。でも仕方ないか」

「あ、あの! 保健室とかにお連れした方がいいんじゃないでしょうか! 熱中症とか危険ですし! 私本当に時間あるんでいくらでも待ってますから!」


 泉美と結衣のあんまりな物言いに、夕夏はまた目を白黒させたのだった。


「うわ本当だ! 長谷川さんから鬼電入ってる」


 茶道部の部室を辞した行人は、廊下で待ち構えていた泉美に指示されてスマホを見ると、そこには結衣からのLINEや通話が複数回入っていた。


「用件は今話した通り、センパイにお客さんが来てるから、早く部室に戻って、って話。名刺もらったけど、まぁセンパイにとってはあんま愉快なお客じゃないかもね」


 そう言って泉美が差し出したのは、湊川夕夏の名刺だ。


「フラックスイエロー……聞いたことないな」

「ないの? 写真部部長でしょ。学校が関わってるフォトスタジオとか知ってるものじゃないの?」

「区内にどれだけフォトスタジオや写真館があると思ってんだよ。歴代の先輩の中にはもしかしたらそういうところに就職したり自分のスタジオを立ち上げたりなんてこともあったかもしれないけど、俺の直接の知り合いにそんな人はいないし、それ以前に学校が今まで行事関連でどんな人やスタジオ使ってたとか全く知らない。え、ところで小滝さんがここにいるってことは、その人だけで部室で待ってるの?」

「バレー部のお客さんでもあるから、長谷川先輩が一緒にいるよ」

「そっか、分かった。ところでさ」

「何」

「渡辺さんは一体どうしたの」

「ああ、気にしないで。ちょっと熱中症を色々拗らせただけだから」


 二人の視線が向かっているのは、茶道部の部室がある校舎三階の端であり、風花はそこから五十メートル以上離れた階段に続く曲がり角で、明らかにこっちを意識しながら曲がり角の陰に隠れてこちらに近づかないようにしているのだ。


「熱中症を拗らせ……? はあ。もしかして長谷川さんがいるってことは、そのお客さんからあっち関連の気配がしたとか?」

「全然そういうんじゃないよ。単に男バレのお客さんだからマネージャーであるあの人がってだけみたい。第一、そのフォトスタジオの人は完全に学外の人だし、まぁ用件も納得できる話だったから」

「そっか。まぁ分かった。で……本当に渡辺さんは、なんともないの? 何か耳の端っこ赤いみたいだけど、今日何か大変な作業してんだよね。体調とか大丈夫そうなのか?」

「は? きもっ」

「何だよ急に!」

「この距離で風花ちゃんの耳の色分かるのはマジでキモいよ。割と真剣に引いてるよ私」

「そこまでかよ!」

「そこまでだよ」

「イレギュラーな人間が突然現れたときに渡辺さんの様子がおかしかったら、何かまたあっち絡みのトラブルかもって思うだろ。だからちょっと気になっただけだよ。そういうことならとりあえず急ぐよ。で、部室に行くならあの渡辺さんに近づかなきゃならないけど、近づいて大丈夫そうかな」


 その問いを行人が発した途端、何故か泉美は心底不機嫌な顔になった。

 この一学期の間の短い付き合いで、泉美の地雷は大体風花絡みの場所に埋まっていると理解はしたのだが、この表情の変化は明らかに特大級の地雷を踏んだ結果だ。

 だが茶道部の用事を終えてからここまでのほんのわずかな会話のどこにここまでの地雷が埋まっていたのか、行人は全く分からなかった。


「…………知らない」

「え、ええ?」

「気になるなら、園芸部の方は何も終わってないから風花ちゃんと二人で消えるけど?」

「な、何だよ、俺何も言ってないだろ」

「別に。ただセンパイの顔見てたら私がムカついただけ」


 理不尽にも程がある。


「まぁとにかく急いで。私達はもう行く……あ」


 戸惑う行人を置いて行こうと歩き始めた泉美は、すぐに足を止めてその場で振り返った。


「そうだ。いきなりだけどさ、センパイやっぱ、男子バレー部の全国大会、自分がオフィシャルのカメラ担当じゃなくても、現地に見に行きたかったりすんの?」

「えっ? そ、そりゃあ行きたいよ。もちろんカメラマン役があればよかったけど、そうじゃなくたって単純に自分の学校のことだし、友達も出るんだし」

「行きたい、ってことは、行けないんだ」


 行人は言葉に詰まり、決まり悪そうに下を向いた。


「哲也には悪いんだけどさ。往復の交通費だけでも、正直今の手持ちじゃ難しくて……実は、ついこの間、スマホ買い換えたばっかりなんだ。スマホも最近値段上がってるだろ? 親にお金援助してもらったばっかりでその上、ってのはちょっと言いにくくてさ」

「はぁ? 何してんの? そんな高いの買ったわけ? 何で教えないのよ」

「スマホ買い換えって、誰かに教える必要あるのか?」


 泉美から飛び出す文句に、行人には理解できない文化から発せられるものがあって、つい苦笑してしまう。


「高くはないよ。でも前のやつも買った時点でそこそこ型落ちで、大分長いこと使ってたせいかバッテリーが急激にイカれてさ。安全にデータ移行するのに、あんまり選んでられなかったんだ。あとは、一応写真部として将来小滝さん以外の入部者が現れることを想定すると、あんまり貧弱なカメラのものは使えないってのもあって、何だかんだで、五万円した」


 そう言って行人がポケットから取り出したのは、泉美の目にも最新型ではないことだけは分かるものだった。


「五万。五万……まぁそんなもんかぁ。どこのメーカー?」

「カメラの機能優先で選んだからどこのメーカーとかあんま拘らなかったけど……多分、韓国か台湾? 国産では、ない」

「ちょっと見せて」


 泉美は行人の手からスマホを奪うと、透明の安いカバーから透けて見えるメーカーを自分のスマホで検索する。


「あー……なんか、聞いたことあるような……まぁ、私も詳しいわけじゃないけど……でも、五万、五万かぁ……」


 ギリギリ文句をつけられないラインだったのか、泉美は不完全燃焼気味の顔でスマホを行人に返す。


「中古とかじゃダメだったの?」

「ダメじゃないけど、中古もいいカメラついてる機種は普通に高いんだよ。あと、親が安全性が分からない中古選ぶなら金出せないって言うからさ」

「そりゃそうか。親が金出すとなると、保証とかついてないとってなるか」

「もちろんスマホの買い替えは不可抗力だし、友達を応援しにいくって事情なら親は許してくれるとは思うけど、でも」

「でも、何よ」

「うちの親、俺のカメラに否定的だからさ」


 行人の母、大木有紀子は、息子が写真の道に進むことに難色を示している。

 行人の父がプロのカメラマンであり、写真撮影の旅の間に行方不明になって死亡扱いになったため、その心情は慮れないことはないのだが、父は父、自分は自分だと考えているため、この件に関してのみ息子と母はいまいち相容れないのだ。

 もちろん、親友である小宮山哲也の応援のため、と言えば否とは言わないだろうが、それでも高校生の常識で考えられる情報で調べてみた結果、必要なお金はちょっと気軽に親にねだれるものではなかった。


「ふ〜ん……じゃあさ」


 先ほどまで鬼のような顔だった泉美の顔が、微かに笑みを浮かべた。


「な、なんだよ」

「風花ちゃんに頼んでみたら?」

「は? 渡辺さんに? 何言ってんだよ。金のことなんか頼めるわけ……」

「お金じゃないよ。そんなんじゃなくて、風花ちゃんは私達が想像つかないような力があるでしょ。センパイの頼みなら、風花ちゃんも断らないんじゃないかなー」

「……それって」

「ま、決めるのはセンパイだよ、そんじゃね。お客さんのことはよろしくー」


 そう言うと泉美は行人に軽く手を振ると、階段の角で風花の首根っこでも摑んだか、風花と一緒に今度こそ行人の前からいなくなった。


「渡辺さんに頼む……もしかして」


 行人は、泉美がどのような意図であんなことを言い出したのか考えようとした行人だったが、その途端スマホがポケットの中で震えた。

 画面を見ると結衣からストレートな抗議の文言が入っていた。


『小滝さんから話は聞いた? 私もヒマじゃないの。早く部室に戻ってきて』

「まずは、こっちか」


 今考えたところで、泉美の真意は分からない。

 とりあえずは写真部部長としてこなさなければならない仕事に向かうため、色々な疑問をスマホとともにズボンのポケットに一旦しまい込んだのだった。