エルフの渡辺3
第二章 渡辺風花は世の中の真実を知る ①
「……ではこの齋藤さんは、左サイドの方がスパイク成功率が高いんですね」
「はい。特に齋藤先輩がフロントレフトにいるときは、セッターのトスが特に速いです。速攻が武器なので本当に一瞬ですね」
「えー、で、こっちの齊藤さんは……」
「こっちの齊藤君は、体が柔らかくて低い位置でのボールさばきが抜群にうまいです。だから腰の高さより低い位置から見上げる形で撮った方が、彼のいいところは沢山撮れるかと」
「確か齊藤君のレシーブを真正面からとらえた写真がホームページに上がってるはずです。あとで湊川さんには全部共有しますね」
湊川夕夏と行人と結衣の、男子バレーボール部撮影メソッドの共有は、夏の長い陽がうっすら傾くような時間まで煮詰められていた。
行人と夕夏が写真部で面通しをした後、席を立とうとしていた結衣も、結局ここまで二人の話を横で聞き入って、マネージャーらしく時々注釈を入れ、一緒に残っていた。
「これで概ね、皆さんの状況は把握できたと思います。あとは実際に名簿と、夏休みに入ってから何度かお邪魔することになっている練習を見て、少しずつブラッシュアップしていきます」
行人が記憶している限りのレギュラー陣に関するあれこれを夕夏に伝授した頃には、最終下校時刻も間近だった。
「長谷川さんにも最後まで付き合っていただいて、申し訳ありません。大事な時期なのに」
「いえ、こちらとしても大木君がどこまでバレー部のことを把握しているのか興味がありましたし、お役に立てたなら残った甲斐がありました」
結衣は人好きのするよそ行きの笑顔で小さく会釈をすると、ちょうど校内放送で、最終下校時刻が迫っていることが告知された。
「それにしても本当に驚きました。元々見せていただいていたホームページの写真素材も十分レベルが高かったですけど、大木部長のフォトプランニングはもう並みのスタジオ助手よりもずっとレベルが上です」
「いえそんな……これに関しては、たまたま俺がバレーボール経験者だったってだけで」
お株を取られたとはいえ、プロのカメラマンに技術を褒められれば行人も悪い気はしない。
「だとしても、このフォトプランニングの経験は、次にもきっと生かされるでしょう? こういう撮影経験を積んだ人は強いです。もし高校卒業後に写真でバイトをしたいと思ったら、是非うちに助手に来てください」
そう言うと、夕夏は改めて名刺を行人に差し出した。
その名刺は最初に渡された夕夏だけの名刺ではなく、代表者名が書かれたスタジオ全体のリクルートカードだった。
「プロだからこそ、適当なことは言いません。大木部長には納得いかないこともあるかもしれませんけど……全国大会の撮影は、お任せください」
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
「それじゃあ今日のところはこれでお開きかしら。湊川さん、最後にバレー部に行きますか?」
「いえ、もう下校時刻が近いというお話しですし、大木部長から色々ご指導いただいたこと、頭に叩き込んでからお邪魔させてください。近いうちに顧問の五島先生に連絡させていただきます」
「分かりました。それじゃあ私はここで。大木君、湊川さんのこと、お願いしていい?」
「ああ、俺ももう帰るから、校門のとこまでお送りするね」
頷くと結衣は、小走りに体育館へと向かい、行人と夕夏は写真部の部室に鍵をかけて、薄暗くなった校舎内を連れ立って歩き校門へと向かう。
「そう言えば先ほど、部室の外に写真が飾られてましたけど、あれって園芸部の生徒さんですよね? 渡辺さんとかいう」
「え? 渡辺さんに会ったんですか?」
校門までの短い間に、夕夏が行人に尋ねる。
廊下が薄暗かったので、行人もまさか夕夏があんな小さなL判写真に気づいたばかりかそのモデルが風花であることを言い当てて、驚いてしまった。
「会ったというか、見たというか」
「え?」
「大木部長を探して長谷川さんと歩いていたときに、園芸部のお二人と会ったんです」
「ああ、そういうことです……か……ん?」
「どうしました?」
「いえ、その……ちょっと気になって。湊川さんが園芸部の二人と会ったとき、何か変な事話してませんでした?」
行人はふと、茶道部まで泉美が迎えにきたときのことを思い出した。
タイミングから言って、泉美と風花はあの直前に結衣と夕夏に出会っているはずだ。
一体何があれば風花が行人から妙な距離の取り方をするのか、ヒントでも探れないかと軽く話題を振ったところ、
「へ、変な事?」
夕夏は大人らしくもなく妙などもり方をした。
「さ、さぁ……特には変な事は何も」
「……本当ですか?」
大人の社会人の口から思いがけずはっきりと出た明らかな動揺の色に、行人は逆に面食らう。
一体何があれば、初対面の大人をここまで動揺させるようなことが起こるのだろう。
行人の動揺が伝わったのか、夕夏は何でもないことを強調するように首を横に振ると、写真部の部室の方を振り返り、行人に見えない角度で小さく微笑んだ。
「まぁ大人が立ち入らない方がいいお話と言いますか……でも、モデルさんとカメラマンの間に強い信頼関係があるんだなーと思ったと言いますか……そんな感じです」
どんな感じなのかまるで分からなかったが、要するに初対面の夕夏でも分かるくらいには風花と泉美が行人について何かを話していたということなのだろう。
「……じゃあ、これ以上は聞かないでおきます」
そんなことを話しているうちに、二人は昇降口に到着した。
行人達以外にも部活動を終えた沢山の生徒が下校していた。
「そう言えば大木部長。普段はフィルムカメラを使ってると聞きましたが、先程の写真も?」
「ああ、長谷川さんか小滝さんから聞いたんですか」
「ええ、まぁ。さっき写真の質感を見て驚きました。学生さんには、お金かかるでしょう?」
「あの写真はたまたまです。最近は部活では部のデジタル一眼使ってますけど、あの写真を撮ったときはフィルムカメラに凝ってたんで」
全くの噓ではない。
実際にあのフィルムカメラは風花の真実を知る前から愛用していたものだ。
「分かります。そういうことありますよね。私もたまに使いますよ。今だとデジタル一眼でもフィルタをかけてフィルムカメラっぽい写真を撮ることはできますけど、なんか違う気がするんですよね」
「本当に違う気、くらいの差ですけどね。小滝さんは、あんまり違いにピンと来てませんでした」
「そんなものですよね。実際プロのカメラマンでも、人によって感想は様々です」
来客用の下駄箱から、スーツ姿にはあまり合わなそうなスニーカーを取り出した夕夏は、指先を靴のかかとに突っ込みながら、身をかがめた姿で尋ねた。
「今は使わないんですか。フィルムカメラ」
「あんまり使わなくなりましたね……特に理由はないんですけど、また自分の中でブームが巡ってきたらですかね」
あのフィルムカメラは、行人と風花の平和な学校生活に余計なトラブルを招く。
男子バレーボール部が絡んだ出来事は何とか学校の中、もっと言えば行人の人間関係の中だけでトラブルが収まったが、結衣のスタンス次第では、普通にナチェ・リヴィラから新たな介入者がやってきても不思議ではなかったのだ。
風花の本当の姿の写真をもっと沢山撮影したい、という思いは今もある。
だが、現状焦ってやるべきことではないし、泉美にデジタル一眼の使い方を教える機会が増えたこともあって、意識せずとも持ち歩くことはほとんどなくなっていた。
「お金かかりますもんね」
カメラを扱う者同士の、ごく普通の雑談。



