エルフの渡辺3
第二章 渡辺風花は世の中の真実を知る ②
その裏に異世界だの魔法だのエルフだのが実在するとは微塵も思っていないであろう大人の自然な問いは、
「どんなメーカーの、使ってるんですか? そのフィルムカメラ」
「それが、分からないんです。とても古い機種で、親父からもらったものなので」
行人から正直すぎる回答を引き出した。
「そうでしたか。確かに何十年も経った古いものだと、検索でもよく分からないことありますよね」
夕夏はその答えに特別に反応を示さず微かに微笑んだだけだった。
「それじゃあ、今日は遅くまでありがとうございました。またバレー部の撮影で伺いたいことができたら、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそプロの方から色々お話を聞けて、勉強になりました。ありがとうございます」
お互い小さく会釈をすると、夕夏は颯爽と学校を去った。
行人はその背を見送ってから、夕夏が帰ったことを結衣に一報入れる。
夕夏はああ言っていたものの、全国大会までそう間があるわけではなく、行人も夏休みに入ってしまう。
今後、男子バレーボール部の全国大会に関して行人が何か関わることはないだろう。
そのことを付け加えて話そうかどうか一瞬悩んで、余計なことだと判断してスマホをポケットにしまった。
「さーて」
行人は、大人との緊張する話し合いから解放され、大きく伸びをする。
「とはいえ、どうすっかなー」
行人がうっすら考えているのは、夏休みの予定だ。
元々活動の制約が緩い南板橋高校写真部である。
泉美と知り合ったときには長期休みの間の合宿のことなど話したが、現実問題、行人と泉美だけで休みの間に撮影活動の企画などできるだろうか。
「………………うーん」
初めてこの問題を真面目に考えて、意外にも無理ではない、という結論に達する。
「渡辺さんに手伝ってもらえれば、だけど」
泉美が写真部に入った最も大きな理由が、風花の真の姿を撮影したい、ということだ。
風花を被写体に屋外での人物撮影会という体裁を取れば、泉美は多分だがきちんと参加してくれるだろう。
とはいえいつも風花をダシに泉美を誘い出すのも芸がないし、風花にも負担があるし、何より泉美のためにもならない。
「俺が卒業した後に俺みたいな思いはさせたくないしなー……どこまで小滝さんが写真部に愛着があるのかは怪しいところだけど」
言いながら、行人はようやく自分も歩き始めた。
何となく夕夏を見送り立ち止まっていたのは、単純に帰り道が被ったらこれ以上は話題がないから気まずい、と考えていたからだ。
現実に大人とあまり長い間話す話題の種が無いのと、あまり長い間話すとなると、向こうも話題がなくなって、最終的にお株を奪ったことを謝罪されてしまうかもしれないと思ったからだ。
「いや、今日はいいや。ちょっと疲れたし、さっさと帰って晩飯の準備しよ」
色々複雑な出来事が起こった日ということもあって、行人はこれ以上複雑なことを考えたくなくなった行人は、とりあえず学校を出て帰路につこうとした、そのときだった。
「あ」
行人はほんの数歩歩いただけで、思わず足を止める。
校門に、風花が立っていたのだ。
風花も行人に気づき体を向けるから、きっと何か用があって待っていてくれたのだろう。
だが。
「……あれ?」
行人を真っ直ぐ見据えたまま、風花は固まって動こうとしない。何なら表情も感情が読み取れないほど固まっている。
「渡辺、さん?」
「お、お疲れ様、大木くん……」
デジタル処理されたかのような声が返ってきて、そして、
「何で離れてくの」
行人が一歩近づくと風花はそのまま一歩下がり、三歩近づけばそのまま三歩下がっていく。
「……」
あと十歩も歩けば校門から外に出てしまうため、行人は数瞬考えてから、今度は自分が二歩下がってみた。
すると風花は予想通り、二歩近づいて来た。
彼我の距離、およそ五メートル。時間にして一分ほど、社交ダンスの基礎を学ぶかのように二歩進んで二歩下がることを繰り返し続けてから、行人は言った。
「ステイ!」
すると風花はびくりと一瞬身を震わせてから、行人に向かって左足を出した状態(もしくは行人から距離を取るために右足を一歩後ろに出した状態)で固まった。
「動かないでね。俺、一歩そっちに近づくから」
立てこもり犯か飛び降り志願者にでも近づくかのように言ってから、行人は害意が無いことを示すように両手を上げる。
一歩、二歩と近づくたびに気づくのは、一歩近づくたびに、風花の顔の赤みが増してゆくということ。
「……息、止めてる? 俺、何か臭う?」
「ソ、ソユコトジャナイヨ! 何モ臭ワナイヨ!」
「……もう一歩近づいて大丈夫?」
あと一歩で普段の距離感なのだが、あと一歩近づいたら自爆しそうな顔色なので、決心がつかない。
「ド、ドウゾ!」
すると今まで花いちもんめを続けていたとは思えないくらいの勢いで、風花が音を立てて両手を広げたので、今度は行人が思わず半歩後ろに下がる。
どうぞ、と言われて腕を広げられたということは、一般的な感覚で言えば、この後待っているのは抱擁である。
動画や映画で見る外国人の再会シーンのように抱擁しなければ、今の風花の勢いは取り消せない。
「渡辺さん」
「は、ハイ!」
「一旦、深呼吸しようか」
「シンコキュウ?」
「はい、その腕をそのまま上げて、鼻から息を吸って、口から吐いて、吐くと同時に腕を下ろして」
「スー……ハー……」
「もう一回」
「スー……ハー……」
「落ち着いた? じゃ、ちょっとそこで待ってて。小滝さんに連絡するから」
「エッ!? ナ、ナンデ!?」
「いや、明らかに様子がおかしいから、小滝さんに状況聞いてから然るべき対応をしようかと……」
行人が真剣な顔でスマホを取り出すと、
「だ、大丈夫だから!」
呼吸を取り戻した風花が一気に距離を詰めてきて、行人がスマホを持つ手を制する。
「い、泉美ちゃんは今、か、関係ないから!」
「え、あ、そ、そう?」
合気道の達人同士がお互いの袖を摑み合って動けなくなったかのような時間が一瞬流れ、
「あ、あっ!」
自分から摑んできたくせに、今初めて行人の手を摑んでいたことに気づいたかのように、また風花は手を離すと二歩後ろに下がった。
「あの…………ね」
「う、うん」
「ちょ、ちょっと聞きたいことがあって……待って、ました」
ここ数分のやり取りが無意味の極みだっただけで、当然何らかの用があって待っていてくれたことは行人も分かっている。
「あの……ね、大木くん、あの……夏休み、のことなんだけど」
「夏休み?」
「大木くんはその、夏休み、どう過ごすのかな、って」
「えー、あー、ええっと」
急で大雑把な質問の内容に、行人は風花の真意を測りかねる。
「まだ男バレの応援行くこと自体は諦めてないけど、行くにしろ行かないにしろ、まだ八月は何の予定も決められてないかな。どこかで親戚の家に行くとかはあるかもだけど、特にいつとか具体的な話はまだ」
「じゃ、じゃあ結構空いてたり、する?」
「まぁ、そこそこは空いてるよ」
「あの、あのね、大木くん、あのね」
今日の風花は一体何にそんなに焦っているのだろう。
顔を真っ赤にして取り乱す風花を可愛らしいと思うよりも前に不安な気持ちで見ている行人に、信じがたい威力の一撃が飛んできた。
「お、大木くんの夏休みの時間……少しだけ、私にくれませんか」
「…………えっ」
「夏休み、毎日は、もちろん無理だけどその……大木くんと、過ごす日が……欲しいなって、学校の部活だけでも、いいから」



