エルフの渡辺3
第二章 渡辺風花は世の中の真実を知る ④
◇
「で、実際のところ、風花ちゃんはいつからどんくらいセンパイのこと好きなわけ?」
時間は少し戻る。
行人が写真部の部室で湊川夕夏と男子バレー部のあれこれで打ち合わせをしていた時間帯。
一度は干からびたミミズになった風花は、泉美に引っ立てられて再び園芸部の花壇に戻り、ヨレヨレの体で寒冷紗の設置に死力を尽くしていた。
ヨレヨレの風花は泉美のその問いに、干からびた体にまだそれほどの水分が残っていたのかと驚くほどの勢いで長い耳から蒸気を噴き出し、より乾燥してゆく。
「……答えなきゃだめぇ?」
「あ?」
「……だって、泉美ちゃん、それ言ったら怒るでしょ」
「もうこれ以上怒らないから」
「つまり今もある程度は怒ってるってことじゃない……もう……もう……!」
「喉が渇いて言いづらいようならバケツに水張って首根っこ摑んで顔突っ込ませば喉の渇きも癒えるかな?」
「拷問の末に自白させられるレベルの話なの?」
どこまで真面目なのか分からない泉美におののきつつ、風花は思考を整理して、ぽつぽつと語る。
「私だって、正確にどこから、っていうのは分からないんだよ。本当。告白してもらう前は、単純に数値的に比べればちょっと他の男子よりも話す機会がまぁまぁ多いくらいで、もちろんお友達って認識はしてたけど、一年の頃は一日に一度も話さない日も珍しくなくて……で、やっぱりあれかな、最初のモデルの話が出たときに、ちょっと踏み込んできたな、って感じはあって」
東京学生ユージュアルライフフォトコンテスト。
行人と風花、そして泉美を一所に集めたあの写真コンテスト。
それに挑むことを決めたときの行人はまだ、風花の真実を微塵も知らなかった。
「男女関係無く、色んな友達の距離感ってあるじゃない? 私も別にクラスに友達が全くいないわけじゃないけど、多分一年の三学期くらいには男女含めて大木くんは普段話す友達トップ3にはなってて、だからって別に好きとかではなくて、何だろう、友情度が高めってだけで……」
「風花ちゃんゲームとかしないって言う割には友情度とかいう単語使うんだ。乙女ゲーとかならやるタイプ?」
「やらないよ。他にいい比喩が思い浮かばないからそういう言葉使っちゃうだけ」
風花は気温による汗なのか気恥ずかしさによる汗なのか泉美の気迫に当てられた冷や汗なのか分からない滝のような汗を流しながら、必死に言葉を紡ぐ。
「で、大木くんも、最初は小宮山君にお願いしようと思ってたんだって。実は私は二番目の候補だったんだって」
「え? そーだったの? 風花ちゃんに告白する助走としてモデルにしたいとか言い出したのかと思ってた」
泉美の言い方には悪意があったが、風花自身、写真のモデルという普通の高校生の人間関係ではなかなか難しい要請に、もしかしたら行人が自分に対して何がしかの特別な感情を抱いたのか、と、その時点で心のどこかで思ったことは事実だった。
「それって風花ちゃんに気持ちを悟られないための方便じゃなくて?」
「じゃないの。大木くんからじゃなく、小宮山君から聞いたことだし」
「え?」
「私がモデルをやり始めてすぐくらいの頃だったかなぁ」
哲也は風花が行人の写真のモデルなったことを行人から聞き、行人の見ていないところで風花に状況を尋ねにきたのだ。
その時点でまだ二度ほどしか撮影をしていなかった風花だが、写真部部長のコンテスト用写真撮影以上の出来事は一切なく、素直にそう告げると、哲也の方からそんなことを言い出したのだと言う。
「もともと、俺がバレー部のレギュラー取れたことがあいつの琴線に触れたみたいで、俺の練習中の写真を撮らせてくれないか、って言ってきたことがあったんだ」
だが哲也がレギュラーに昇格したのは男バレが快進撃爆走中のノリにのった時期であり、哲也としても男子バレー部としても、いつ終わるかも分からない撮影に対応しきれないと判断したのだ。
「何枚か試し撮りはしたんだけどさ、やっぱお互いスケジュール合わないし、あいつもこっちの邪魔になることはしたくないって言って。あとあの頃のあいつの腕だと、フィルムカメラじゃバレー部のスピードについていけないとか色々あって、結局ナシになったんだ」
お互いに仕方ないことだと心から納得こそしたが、哲也には行人の頼みを断ってしまった後悔があったようだ。
「とはいえ、まさかその後あいつが女子に声かけるとは思わなかったなー。まぁあいつは悪い奴じゃないけど、変に馴れ馴れしいとかあったら殴りにいくから声かけてな!」
哲也とのそんな過去のいきさつがあったからこそ、風花にとって行人が男子バレー部の素材撮影を請け負ったことは小さな喜びだった。
コンテスト用の写真ではないからリベンジ、というわけではないが、行人の写真部が認められたようで単純に嬉しかったし、それだけに全国大会には帯同させてもらえないという悲憤もある意味行人よりも大きかったのだ。
「馴れ馴れしいを通りこして告白まで至ったんだから、センパイも悪人だよねぇ。小宮山先輩、告白のこと知らないんだよね。バラしたらどうなるんだろ」
「泉美ちゃん!」
悪意が留まるところを知らない泉美を嗜めてから、風花は続ける。
「別に小宮山君だって本気で大木くんが悪いことすると思ってたわけじゃないだろうけど、実際に大木くんが変に距離が近い、逆に過剰に遠いとかそういうことは全然なくて、というか普段と全然変わらなくて、ただ何か強いてそれまでと違うところを挙げるなら、普段よりカメラや写真のことをいっぱい聞くことが多くなったっていうにはあったかな」
「ふーん。いわゆる良くない身勝手なカメラオタクみたいな気持ち悪さはなかったわけ?」
「あったらモデルなんか引き受けてないよ。コンテストの性質もあったけど、不自然なポーズや動きが何より嫌だったみたいで、逆にこっちが『自然な動きってなんだっけ』って、いつも通りのことができなくなったくらいだもん」
「あー、まぁあるよね。証明写真とか卒業アルバムの写真とか、自然な笑顔でとか言われても、自然な笑顔なんかねーよ! ってなるやつ」
「小学校の卒業アルバムのカメラマンの人、滅茶苦茶笑わせにきてなかった? あれって自然なのかな」
「肉体的にちゃんと笑ってればなんでもいいんじゃない?」
「肉体的にって……。まぁとにかくそれで、写真撮るのに必要なこともあったから、私も自分がやってる作業とか、花とか草のことを話すことが増えて、そうすると部活のとき以外でも、今日は何しようか、どうしようかって相談する機会が増えるじゃない? そのおかげで細かくて短いけど濃くてお互いの予定や気持ちをすり合わせるような会話が物凄く増えて、それで……それで」
何だかんだと観念して自白を続けていた風花の言葉が、初めて止まり、そしてほころぶような『自然な』笑顔が浮かんだ。
「あのとき、かな。私が……ちょっと、友情度をオーバーし始めたの」
「え?」
「予定を合わせる機会が増えると、当然だけど逆にお互い用事があって活動できない日も増えてくるでしょ。私もナチェ・リヴィラに行く用事があったり、大木くんも家庭の用事で部活できないとかいう日も出てきて。それである時ね」
行人が、三日連続で撮影できない日があったのだ。
初日は特に風花から理由を聞かなかった。
二日目は、行人から理由の説明があった。
そして三日目。風花から理由を聞いた。
「今日も大木くん来ないんだ。つまんないな、って思ったの」
初日と二日目は、親戚が突然家に来たとかそんな理由だったと思う。
その親戚が大木家に一泊してから帰る、という話のはずが、休みが三日続き、つい風花が理由を問いただすと、
「朝、冷蔵庫が急に壊れちゃったんだって」
「あぁ〜……それはセンパイの立場なら休むかもね」



