エルフの渡辺3
第二章 渡辺風花は世の中の真実を知る ⑤
「それでどうしても買いに行かなきゃいけなくて、でもその頃はまだ私、大木くんのお父さんが亡くなってたなんて知らなかったから、買いに行くのお母さんじゃないんだ、とか大木くんがご飯作ってるのかな、とか色々想像して、で、仕方ないな、とは思ったけど、つまんないな、とも思って、それで…………」
もはや全く手を動かせない風花は、ぽつりと言った。
「その次の日は絶対、ここで会いたいな、って思って……」
「好きになった、と」
「まだそうは言ってないでしょおおお! その時点ではまだ好きまで行ってなかったの! 他の男子より会うのがちょっと楽しみな子ってだけ!」
「その境目はよく分からんわー。結局親密度が『トモダチ』から一個ハートマーク増えたみたいな状態でしょ」
「そう……! そう言われると間違いじゃないけど、でもそこにはとても複雑でファジーで多様な段階を踏んだグラデーションがあるの!」
「はいはい。それで?」
「もー。それで、でもその後は別にまたしばらく普通だったよ。撮影する日もあればしない日もあって、ただできるだけ私から断らないようにしようって心掛けて」
「もう好きじゃんそれ」
「だからあ! まだなの! これはまだなの!」
「だってそれって一学期の頭の話でしょ。コンテストのモデルになってくれってとこからセンパイの告白まで、ほとんど間ないじゃん」
「それは……まぁ、うん。そうだよ。だから私が言うことじゃないけど、大木くんがどんな風だったのかは全然分からないよ。ただ、私は自分で告白なんかやったことないからどんな熱量なのか分からないけど、告白が物凄く勇気のいることで、本当に気持ちを抑えられなくなったときにするものだっていうことは分かるから……へへ、大木くんは、私が大木くんを好きになるよりも前に、私を好きだったのかなって思うと……」
「はー。そー。風花ちゃんは本当、私が思ってる以上にロマンチストだねぇ」
泉美は、全ての『告白』がそこまでの重量と熱量を持っていないことを、身を以て知っていた。
これまで泉美にそのような意図を持って近づいてきた男子に、風花が行人を評して言うような熱量など、ありはしなかった。
「まったく風花ちゃんは……」
「え? 何?」
「なんでも。それで? 一体いつになったら風花ちゃんはゲロってくれるわけ」
「既に十分ゲロってると思いますけど! で、話を戻すけどその三日連続のお休みから告白の日まではそれまで通り、普通の日だよ。何ならその日だって私にとっては普通の日としか思えなかったから、大木くんが何きっかけで告白してくれたのか、実は私は分からない。聞いたのかもしれないけど、言われた私だってテンパってたから全部は思い出せない。ただ……その後は泉美ちゃんも知っての通り、私、OKしたんだ」
その瞬間のことだけは、風花もついさっきのことように鮮明に思い出せる。
思い出すと今も顔も心も熱くなってしまう。
「傲慢かもしれないけど、どこかで『やっぱりそうだったのか』って思ったところはあったし、でも、私だってずっと大木くんと部活するの楽しみにしてたし、それまでには大木くんがすごく誠実な人だっていうことは十分分かってたから。だからそれで、自分でももしかしたら緊張してたから物凄く良くない反応しちゃったかもしれないけど、でも本当に自分でも驚くくらい嬉しくて、それで……その時に……」
風花もまた、自分が行人と会いたい、一緒にいたいという気持ちが恋であると自覚した。
自覚してしまった。
「その時に……大木くんの目の前から渡辺風花が消えて、エルフの私が姿を現したの」
レグニ・フニーグ・フーカ。緑の指の風花。
本当に心が通じ合った相手に名を呼ばれたときだけ顕現する、異世界のエルフ。
「単純だと思う? でもさっきも言ったでしょ。それまでなんでかなー。何なのかなーって思ってた気持ちが、大木くんに告白してもらったことで、大木くんのことが好きなんだって気持ちだって分かったの」
「……ふーん。あっそ」
一人の少女の一大恋愛大河を、泉美は思いのほかあっさりと受け流した。
「あっそ、って。拷問してまで聞き出したかったことでしょ」
「うん。まぁね。そうなんだけどさ、個人的な感想を言わせてもらうと、思いの外、歴史が浅いなって思って」
「何それ。ここまで言わせておいて、ちょっとヒドいなそれは!」
「いや、なんかもうちょっと色々ドラマを経た末に気持ちに気づいて、みたいな話だと思ったら、私が見てない一年生の間のことなんか本当に端折りにはしょられてそのまま二年に上がって、その上、別にそこまで大きなドラマがあるわけでもなく、告白まで一ヶ月もしないまま一直線って」
「仕方ないじゃない。そんなドラマや漫画みたいに、すれ違いや探り合いの末にカップルになっておしまいなんてドラマチックな事、そうそうないでしょ。私達の環境じゃ」
「いやそうなんだけどさ、でも逆にそこまで単純なら」
泉美は少し眉を顰めて言った。
「何で風花ちゃんは、センパイに対して時々急に臆病になるの。好きならいいじゃん。向こうだってもう、風花ちゃんのエルフのあれこれ、気にしてるようには見えないよ?」
これは泉美の偽らざる感想だった。
仕切り直しの話は泉美も聞いているが、正直最近の行人と風花は、泉美の目からは仕切り直しの必要があるとはとても思えないのだ。
それでも、行人も風花も何故か泉美にはよく見えない煮え切らないモノを抱えていて、それが二人の間に得も言われぬ距離を作り出している。
そしてそれは風花を心から愛してやまない泉美にとって、行人の不誠実さとして映るのだ。
風花が思い悩むのも、無駄な時間を使ってしまうのも、全て行人がそばにいて、曖昧な態度を取り続けているせい。
真実を知ってここまで一緒にいてなお尻込みするのなら、風花のそばからいなくなってほしい。
「それはさっきも言ったじゃない。私がこんなんじゃどんなに仲がよくなったって結婚なんかできないし」
「だからそれは気が早いって」
「大木くんだって、私と結婚なんかできないと思うんだ。お母さんにどう説明したらいいんだって話だし」
「だから気が早いって言ってんでしょ」
「気が早いかもしれないけど、誰にでも簡単に背負えることじゃないのは分かるでしょ。私は自分のことだからいいかもしれないけど、大木くん側には尻込みしても仕方ない理由がいっぱいあるもの。それなのに、私がただ好きな気持ちだけで仕切り直しを急かすことなんてできないし……」
少しずつ声が小さくなってしまう風花に、泉美は思わぬことを言い出した。
「急かしていいと思うけどなぁ。仕切り直し」
「え?」
「それこそ結婚だなんだって話は、お互いがそうと決めたら事情を真剣にすり合わせて二人で考えてく話でしょ? 風花ちゃん一人で悩んでたってしかたないじゃん。二人で考えないとそういうことは」
「……ちょっと意外。応援してくれてるの?」
「応援するしない以前の問題。行動しない奴に、かけられる言葉なんて多くない」
「ぐ」
それは全くその通りなので、風花としてもぐぅの音も出ない。
「大体にして一度告白した分際でそっちから取り下げてること自体、結構ナシよりのナシ以下のナシ案件だかんね。仕切り直すならさっさとしろよ、ダメならダメでさっさと切れ、てのが周りで見てる部外者の本音」
「ダメなら……ダメ……」
風花は急にブッ込まれた暗い予測に、一気に血の気が引いている。
「でもそうだなぁ。センパイが仕切り直ししようとしない理由なら私、ちょっと分かるかも」
「えっ!?!?」
「す、すんごい大声出すじゃん。え、何、そんなに意外?」



