エルフの渡辺3
第二章 渡辺風花は世の中の真実を知る ⑦
「だ、だって後でバレたら怖いし」
「私は風花ちゃんの何……あー、まぁそれは私が悪かったか」
泉美は額から流れる汗をぬぐいながら苦笑する。
「でも考えてみなよ。センパイだって風花ちゃんと私が昔から仲良しなのはよく分かってるでしょ。それを、私の目の届かないところで仲良くしようとすれば、古い親友より優先されてるって思って嬉しくなるんじゃない?」
「…………それは、何かヤダ。泉美ちゃんを仲間外れにしてるみたいで。大木くんもあんまり喜ばないと思う」
「ああもう可愛いなあ風花ちゃんは!」
泉美としては色々思うところはあれど、アドバイスの内容としては一般常識に通底することを言ったつもりだったので、風花と、一応行人の人柄を再認識し、汗まみれの体とジャージでつい風花に抱き着いてしまう。
「泉美ちゃん、暑い……」
「もー、センパイには渡したくない!」
泉美は風花の汗の匂いをしっかり堪能してから身を離して言う。
「だったらさ、あとはセンパイの気持ちを先回りしてあげるってのはどう?」
「気持ちを先回り? どういうこと?」
風花の問いに、泉美は小さく微笑む。
「相手が望んでることを積極的に手伝ってあげるってことかな。望みを叶えてあげる、みたなことだよ。欲しがってるものをリサーチしてプレゼントするとかさ」
「ああ。そういう……でも、大木くんが欲しいものって、基本カメラ周りのものだから、私のお小遣いじゃ、とてもじゃないけど買えないものばかりだよ」
「別にモノを買ってあげることだけが答えじゃないよ。例えば今、センパイが欲しくても手に入れられないものが何なのか想像すれば、風花ちゃんの力なら出来ることが多いんじゃないかな」
「私の力なら……?」
「例えば、まずはどんな理由でもいいから、私を仲間外れにしたって気持ちにならないような理由で、センパイをデートに誘うのはいいよね。そうしたら……」
泉美の笑みが深くなる。
「お金をかけずに福井に行く計画を立ててみる、とか?」
◇
雲一つない快晴。
容赦なく直射日光が東京を照りつけ、密集した住宅街の道にもほとんど影が落ちない。
ただでさえ汗をかく日なのに、行人は更に緊張で心臓が飛び出そうなほどに気温に拠らない汗をかいていた。
あまりに汗をかきすぎて、途中で薬局に寄って新しい汗拭きシートを購入したくらいには汗をかいていた。
今日の予定は、誰がどう見ても紛うことなきデートだ。
異世界から窮迫不正の何かが迫っているわけでもない。
自分たちの周りに何か大きなトラブルが発生しているわけでもない。
大きな目的を目指して、綿密な打ち合わせや計画をしなければならない出来事もない。
特段の事情や目的の無い、二人きりのおでかけ。
これをデートと呼ばずして何と呼べばよいのか。
風花との待ち合わせ場所は、上板橋駅の改札だ。
再開発で手狭になっている南口のコンコースを抜け階段を上がり、改札機が見える回廊に辿り着いた行人は、
「あ、お、大木くん。おはよう……ございます」
心臓が止まるかと思った。
鍔広の麦わら帽子に、オリエンタルな刺繡の入った、袖のふんわりとした、だが長いシルエットのオフホワイトのワンピースに、整えられたネイルが眩しい素足に履かれたやはり白のサンダル。
そこにいたのは天使と見紛うばかりのエルフだった。
「お、大木くん?」
「…………お、おはよう……うぐっ」
自らの拳で胸を強く打たなければ感動が引き起こす不整脈でショック死していたかもしれない。
デートの緊張感と相まって、過剰に過剰を重ねてもまだ足りないほど風花が輝いて見える。
「だ、大丈夫?」
「う、うん大丈夫。大丈夫。ちょっと暑くて息ついただけだから」
とても誤魔化し切れている気がしないが、いずれにしろ自分のワードロープを底までさらって選んだ服は、どうにも中坊感が拭いきれず、今日の風花の装いに見合っていないことだけは認めざるを得なかった。
日頃のファッションに対する意識の低さを強く恥じながら、行人は尋ねる。
「そ、それで……今日はどうする感じ?」
「えっと、あのですね」
風花も熱いのか、帽子を脱いで顔を少し扇ぐような仕草を見せ、その仕草すら心臓に悪い。
「大木くんが嫌じゃなければなんですが……東武練馬のモールで……」
上板橋駅の一つ隣の駅、東武練馬駅の最寄りには、映画館まで入っている大型のショッピングモールがあり、行人もたまに利用している。
「二人で……映画、見ない?」
二つ返事で頷いた行人だったが、やはり心臓が保たないのではないか、という幸福な不安に見舞われたのだった。



