エルフの渡辺3

第三章 渡辺風花は断られる ②

 そうなると当たり前だが、頻繁に風花と手が当たるのだ。

 しかも手が当たると二回に一回は、思わずお互いを見てしまって目が合う。

 館内では麦わら帽子を取っているため、手が触れる度にスクリーンの青白い光に照らされた風花の少しだけ照れくさそうな笑顔と目が合うのだ。

 ポップコーンは美味しいが、バターと塩のポップコーンは手にいろいろついたりする。

 自分一人で食べている分には適当に指を舐めるなりズボンでこすってしまえばいいようなものだが、風花とシェアするポップコーンで、風花と手が触れ合うのにそんなことができるはずもない。

 一応トレーの上に売店でもらった紙おしぼりがあるにはある。だが高校生の目にも明らかに安物のペラペラスカスカなミニサイズであり、ちょっとしたバケツほどもあるポップコーンを食べる上で手についた色々を都度拭うにはまるで足りない。


「全然減らないね」


 行人が手についたバターの油をどう処理すべきか真剣に悩み始めたとき、時刻表上の上映開始時刻ではあるものの、まだまだCMの時間なので、風花が小声で尋ねて来る。


「う、うん。凄い量だね」

「付き合ってくれてありがとね、大木くん」

「ん……えっ? んふっ、な、何が?」


 急に脇腹に肘鉄を入れられたくらいの衝撃を受けて、行人はポップコーンの欠片が気管に入りそうになり、軽く咽せた。


「このポップコーンのこと。私、前からいつか食べてみたいなって思ってたんだ。でもいくら私が大食いでも、これだけを一人でずっと食べ続けるのはさすがにキツそうだなって思ってて。だから、巻き込まれてくれてありがと」

「あ、ああ。うん。その、分かるよ。俺も一人じゃ絶対食べようとは思わないけど、二人ならいけそうだもんね」

「私が大食いだし?」

「そこまで考えてたわけじゃないけど、そうだな、もしこれが……」

「うん」

「…………これが哲也だったら、むしろその、手伝うって言っておいて一人で食べさせてたかもしれない」

「ええ、それは小宮山君が可哀そうじゃない?」

「男子がノリと勢いでやろうとしたことは、後悔させないと」


 一瞬の言い淀みを風花がどう受け取ったかは分からない。

 が、言い淀んでもここで哲也の名前を出すことは、間違いないく正解だったはずだ。


「でも運動部の男子だったら、これ全部一人で食べてしかもそのあとマッグとか牛丼屋さんとかで大盛り食べられそうなイメージはあるかも」

「哲也ならそれくらいやれるだろうなぁ。あいつマジで牛丼屋の特盛二杯行けるから」

「私もそれくらい行ける日は行けちゃうんですけど」

「そう言えば確かにそうだったけど張り合うとこじゃなくない?」

「大木くんと小宮山君の相互後方理解者ぶりにちょっとヤキモチをやいています」

「相互後方理解者」


 言わんとすることは分かるが、別にお互い後方にいるつもりはなかった。

 ポップコーンを適当に口に放り込んだとき、風花が少しだけテンションを変えて言う。


「……小宮山君と言えば、大木くん、福井はまだどうするか決めてない感じ?」

「あー。まぁ昨日の今日だし、母さんともまだきちんと話せてないからまだかなぁ。未練がましく新幹線の空席とか調べてみたりしてるんだけどね」

「そうなんだ」


 風花は頷き、ポップコーンを食べる手を止める。

 おしぼりで指先を吹いて膝の上に改めて手を置くと、ほんの少しだけ間を空けて、意を決したように言った。


「あのね大木くん。もしよかったらなんだけど、夏休みのプラン、一緒に……」


 そのとき、CMを流していたスクリーンのアスペクト比が本編用に切り替わり、微かに明るかった館内の照明が完全に落とされる。

 これ以上は、日本の映画鑑賞マナーとして、会話はご法度である。

 行人は風花の言わんとすることが気になったが、映画が始まってしまうため、風花は手だけで、また後で、とジェスチャーし、顔を正面に向けてしまった。

 そう言えば、今日のお誘いの文句として、風花は夏休みがどうこうと言っていた気がする。

 もしかしたら、福井に行かない場合の何か夏休みのプランを立てているのかもしれない。


「……」


 何だそれは。

 夏休みのプランとはなんだ。

 風花は一体自分と、どんなプランを考えているというのだ。

 始まった映画が面白くてよかった。

 もしこれが駄作であったなら、鑑賞後の感想戦が気まずくなるだけでなく、二時間弱ずっとこのことについて考えていなくてはならなかっただろうから。


「食べきっちゃったね。大木くんお腹大丈夫? お昼食べられる?」


 映画が終わり、巨大ポップコーンは無事、二人のお腹に収まった。

 だが常人並みの胃しか持たない行人はそれなりに胃がもたれていて、昼食に行くにもあまり重量のあるものは食べられそうにない。


「食べられるけど、あっさりめのものにしたいかも」


 普段の風花なら、それこそここにラーメン大盛りやスタミナ肉丼でも行けるところなのだろうが、今の行人は少量のざるそばが精いっぱいだ。


「じゃあフードコートの方がいいよね。お互い好きなものと量食べられるし」

「うん。それだとありがたいかな。だから渡辺さん、俺に構わず量食べてもらっても」

「それはイヤです! 学校の子とかいるかもしれないし、大食いしてるとこ、見られたくないもん」

「ああ、うん。それはそうか」


 大食いは見られたくなくとも、行人と一緒にいるところはいいのか。

 今日は何かと思春期脳が風花の言動を都合の良いように解釈してしまうが、とにかく二人は映画館を出てフードコートに向かうと、映画のおかげで昼食時を外しているせいか、席は選び放題で店にも特段の行列はなく、それぞれが好きなものを注文してから席を選んでも、余裕で広々とした四人用ソファ席を使うことができた。


「それにしても、時代感ってあるんだね」

「あ。映画の話?」


 席につくなり風花が唐突に話題を開いて、行人も感想戦の頭に切り替える。


「うん。脚本も大筋は旧作を踏襲してるけど、こんなキャラいたっけ? っていうのもあったし、同じセリフなのに全然意味が違って聞こえたりして、不思議だった」

「だね。新しいの見ちゃうと、旧い方のコマ割りってきっと凄く動きが少なく見えると思うんだ。ただその分ワンカットが長いから、撮影の画角とかどうしてたんだろうって逆にもう一度旧作を見て分析したくなった」

「大木くん注目の、ガジェット類はどうだった? 私、そこは旧作の方で注目してたわけじゃなかったから、意識して見てはいたけどあんまりピンとこなくて」

「あー、それちょっと個人的に発見があって、そもそもカメラワークからガジェットに全然注目させようって意図が全然感じられなかったのが面白かった」

「どういうこと?」


 風花が首を傾げたとき、二人の番号札アラームが同時に鳴り、一旦それぞれに注文の品を取りに行ってからまた戻って話が再開される。


「例えばなんだけどさ、序盤でチームの全員がそれぞれのデバイスでリモート通信するシーンあったでしょ。あのシーンて旧作だと、ええと」


 行人は食事に手をつけずに、スマホを操作して映画の旧作の通信ガジェットの画像を風花に見せた。


「こんな感じの結構ゴツめでカラフルなメカメカしいデザインをキャラに装着させて、バシっと目立つように映してるんだ。こうすることで実在しないガジェット感を強く表現して、SFの没入感を高めてるんだよ。でも」


 行人は続けて、映画館で購入したパンフレットの写真集ページを開く。