エルフの渡辺3
第三章 渡辺風花は断られる ④
男子バレー部の撮影と並行して撮っている『ユニフォーム』がテーマのコンテストについては、締め切りまではまだ間があった。
間があるからこそ撮影プランの追い込みはかけられていなかったし、それこそ金が無いので特別なプランを立てることもできないでいる。
「あのね大木くん。そのことなんだけど」
「え? そのことって?」
「その、夏休みの撮影のこと」
「あ。うん。そうだ。そのことも早めに計画立てなきゃとは思ってたんだ。小滝さんとも相談して、渡辺さんのスケジュールを確かめてから、できるだけ近場でコンテスト用の写真を撮らせてもらえればって……」
「あの、あのね! その撮影も含めたことでちょっと私から提案があるの! その……夏休みの過ごし方というか、そういうので」
急に早口になった風花が、トレーに載ったラーメン全部乗せのどんぶりを強めに揺らしながら、わずかに身を乗り出した。
「コンテスト用の写真ももちろんなんだけど、その、私の『魔王討伐』的にも実はちょっとお願いしたいことがあって」
「ああ。モデル側の意見は凄く貴重だから、渡辺さんに何か希望があるなら、早いうちに聞いておきたいかも」
この場合の魔王討伐はナチェ・リヴィラをかつて悲劇に陥れ、今は地球に潜服している魔王を、地球でエルフ達が社会的地位を得ることで牽制する、という意味のもの。
近隣エルフの監視役である長谷川結衣が、風花が行人の写真のモデルになることを、一応『プロのモデルを目指して、将来的にフォトモデルの分野から魔王にプレッシャーをかける』という非常に回りくどくエルフの任務を遂行しているということにしてくれているため、風花にとっては行人に写真を撮られることが、自分の任務の進捗に直結することになっているのだ。
「もしこの後も時間があるなら、夏休みの計画を立てる上でもう一か所付き合ってもらいたいところがあるんです」
「それは全然問題ないけど、この近く?」
「近いか遠いかで言えば遠いけど、大木くんも知ってるところ」
「そうなんだ。じゃあ食べ終わったら移動しようか」
「もしよければ。上板橋に戻って少し歩くことになるけど、お願いします。あとね」
「ん?」
「帰る前に寄りたいところがあるんだけどいい? モールの中」
「何か買い物? 大丈夫だよ」
「やった! じゃあぱぱっと食べちゃうね」
風花はぱっと顔を明るくすると、行人のざるそばの軽く倍はあるラーメンを行人より早く食べ終えてしまう。
そうして慌ただしく席を立って風花が行人を引っ張っていたのは、行人が全く予想だにしなかった場所だった。
「ゲーセン?」
光と音が氾濫するモール内のゲームセンターフロアは、清楚なワンピース姿のエルフには全く似つかわしくない騒々しさだ。
エルフの神秘性とゲームセンターの俗っぽさのとんでもないマリアージュに戸惑う行人の手をまた握った風花は、フロアの奥に行人を誘導する。
「折角二人でおでかけしたし、あんなお話もしたから、撮りたいな、と思いまして」
「お、おお……なるほどこれか」
そこには普段の行人なら近づきすらしない、プリントシール筐体が待ち構えていた。
「お、俺と二人で撮っていいの?」
「そのために来たんだよ? もしかして初めて?」
「いや、初めてではないけど、中学のとき、哲也とか友達と……」
「カメラマンなら可愛く撮れるコツが分かるのかなと思いまして。さ、入って入って」
戸惑う行人を風花はらしくもなく強引に筐体に押し込んだ。
押し込まれた行人は、記憶にあるよりずっと狭い筐体内で、またぞろ風花があり得ないほど密着する距離に身を寄せてきたことに、落ち着いていたはずの心拍数がマックスビートを取り戻してしまう。
風花が慣れた手つきでコインを筐体に入れると、
『来てくれてありがとー! 今日はどんな気分で撮影するっ!?』
調整ガバガバな大音量の案内が筐体内に響き、二人の正面のタッチモニターに『ふわふわラブフォト』『クールクリアー』『ウルトラギャル盛り』という、何が起こるのか全く分からない選択肢が制限時間とともに表示された。
「大木くん、どれがいいと思う?」
「ぜ、全然分かんないから、渡辺さんがいいと思うやつで」
「そう? そ、そーだなー。じゃあ、ふわふわ、かな」
ラブフォト、を言わずに風花がパネルをタッチすると、
『こんな感じで撮影するよ!』
と、モニターに、行人達に多めに光が当てられたような柔らかいサンプル画像が表示された。
「なるほど、ソフトフォーカスでふわふわ……」
『フレームを選んでね! 最大6つ、選べるよ!』
「大木くんもどれか選んで」
「え? あ、えっ? う、うん。えっ?」
いきなり振られたものの、表示されているフレームは思春期男子が選ぶにはなかなか勇気のいる暖色系のポップでラブリーなデザインばかり。
まるで逃げるように一つだけブルー系だった水色ベースの動物系フレームを選ぶと、残りは風花が星やハートマークや花といった可愛らしいベースのフレームばかりをチョイスする。
『最初は下のカメラで撮るよ! 準備はい〜ぃ?』
「えっ!? 下!?」
このとき初めて行人は、正面とあおりの二つの画角でカメラが設置されていることに気が付いた。
以前、行人はプリントシール筐体のカメラ位置が人の顔よりやや下という高説を泉美にぶったことがあったが、このカメラは正面のカメラよりさらに下、斜め下から仰角四十五度くらい煽って来る位置にあった。
『サンプルを参考に、はいポーズ! 目を閉じちゃ、ダメだぞっ!』
「えええと!?」
モニターには、選択したフレームで写るのに画面効果が高くなるポーズ例が数種類表示されたのだが、どういうわけがモデルがみんな女性で、抱き合ったり両手をつないだりと、やたらと密着度が高いポーズしか例示されていないのだ。
「大木くん、それだとちょっと隙間開いちゃうよ?」
「あ、う」
気が付いたときには両手を繫いで、体が正面から密着する寸前まで接近することになってしまう。
風花の体がかつてないほどに接近し、駅で手を繫いだときや映画館で隣に座ったときも感じなかったような、制汗剤だろうか、微かな花のような香りに行人の目の前が真っ白になる。
『次は正面! 元気全開でGOぉ〜!』
『縦長フレーム! ドキドキハグ、試してみない?』
次から次へと、人生で一度もやったことのないようなポーズを、人生で一度もしたことないような異性との距離感で取った行人は、撮影が終わる頃には立っていられなくなってしまい、冷房が強力に効いているはずのゲームセンター内で炎天下にいるかのような汗をかいてしまう。
「ふふ、どうだった大木くん?」
「ど、ど、どうって?」
ベンチでへばった行人に、風花がプリントされた写真を差し出す。
指定されたポーズの刺激があまりにも強すぎたため、写真のデコレーションはもはや自分が何を描いたかほとんど覚えていない。
覚えていないが、写真に描かれた色々なデコレーションを見ると、明らかに慣れた様子のものと、たどたどしいものが一目瞭然で、自分はこんなにデザインセンスが無かったのかと絶望的な気分になった。
そしてそれ以上に、写真の中の自分と風花の接近度合が過去どんなタイミングよりも近いため、直視するのも異様に気恥ずかしい。
「……」
黒髪にダークブラウンの日本人、渡辺風花の姿にも、今日のワンピースは良く似合っている。
二人が真っ直ぐ向かい合いながらお互いの両手を腰の下あたりで握り、正面のカメラに顔だけ向けている写真の下に書き込まれた文字を見て、行人は顔を上げた。



