エルフの渡辺3
第三章 渡辺風花は断られる ⑤
そこには写真の中の少女と同じ服を着た、金髪のエルフがほんの少し顔を赤らめながら、行人に負けず劣らず気恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、半分こしたシールプリントで顔を隠していた。
「ちょっと……チョーシこいたこと、書きました」
そこには今日の日付とともに、
『初デート・・・かも?』
と大書されていた。
何度か風花の二つの姿を見比べた行人は、ぽつりと言った。
「……あのさ、渡辺さん。この後、行くところあるって言ってたじゃん」
「え、う、うん」
「上板橋に戻るなら、そこに行く前に俺、一旦家に帰って取って来たいものがあるんだけど、いい?」
◇
「渡辺さんち来るの、なんだか久しぶりだな」
「……あんまり驚かない感じ?」
東武練馬のモールを出て三十分ほどして、行人と風花は、渡辺家の目の前に立っていた。
風花は、行人が落ち着いている様子が逆に意外なようで、そんなことを尋ねて来る。
「驚かないというか、予想はしてた。だって俺と渡辺さんが共通して知ってる場所って、学校と住んでるエリアのどこかくらいしかないし、しかも休みの間の撮影云々って言う話だったから、もしかして、と思って」
行人も、最終目的地が風花の家だとは思っていない。
まず間違いなく、目的地は『その先』だ。
「今日、お母さんには?」
「特に大木くんが来るとは話してないけど、長谷川さんのおかげで大木くんに来てもらっても多分大丈夫だと思う。どうぞ入って。靴は持って上がってね」
風花に誘われ行人は玄関を上がり、指示された通りに靴を持ったまま二階の風花の私室に通される。
畳の香りのする和室に入ると、風花は行人に座布団を進めるのではなく、押し入れの襖を大きく開いた。
「どうぞ、大木くん」
「お邪魔します」
本来、家に上がるときに言うべきセリフを行人は、押し入れの向こうに見える草原に踏み込む瞬間に言った。
異世界ナチェ・リヴィラの浮遊監獄島は、今日も快晴のようだ。
日本のような湿気に満ち満ちたうだるような暑さではないが、行人には実感できない『浮遊』の要素なのか、日本の地表よりも若干直射日光が強い感じがする。
だがそれも、あくまで太陽との距離がわずかに近いというだけで、体感温度的には高原にでも来たような爽やかさだった。
「こっちも夏なんだね」
「そうなんだけど、実はもう夏の終わりに近いんだ。島が浮遊してるエリアの問題で、夏の時間って日本に比べて短いの」
風花は背後の光の襖を閉じると麦わら帽子の位置を少しだけ調整し、モールのときよりも大荷物の行人の手を自然に取り、草原を歩き始める。
「前に来たときは私のうっかりのせいで大木くんを全然案内できなかったでしょ? だからってわけじゃないんだけど、もし大木くんさえよければ、こっちでも撮影とかしてもらえればいいなって思うんだ」
「それって大丈夫なの?」
「ダメな場所ももちろんあるよ。でも写しちゃいけないところとか危ないから入っちゃいけないところは私がきちんと判断するし、長谷川さんのおかげで魔王討伐的にも、結構ゆるくしてもらったというか、そんな感じ」
「……そうなんだ」
「うん。大木くん、夏休みの部活、何すればいいか迷ってたって泉美ちゃんに聞いたんだ。イーレフ周辺だったら交通費使わなくても自然の被写体が沢山あるし、イーレフのお母さんの家とかなら、スタジオ借りなくてもレアな背景で撮影練習できるんじゃないかなって」
「正直、それはめちゃくちゃありがたいよ。俺自身、この前ちょっと滞在しただけでも撮ってみたいもの沢山あったし、小滝さんと二人でどっか出掛けるより、渡辺さんに連れてきてもらった方がその……間が持つし」
「泉美ちゃんも同じようなこと言ってた。『センパイは真面目だから絶対夏休みの部活とか言い出すだろうけど、万一にも二人きりとかだったら何話していいかわかんないから風花ちゃんも一緒に来て』だって」
「俺が夏休みに部活やろうって言ったら来るつもりがあるあたり、小滝さんもなんだかんだ言って真面目だよね」
「うん。凄く真面目な子だよ。私なんかよりよっぽどしっかりしてるしね」
イーレフの里がある森まで、全く遮ることのない草原を風花と手を繫いだまま歩くのは、プリントシール機の中で密着するよりもある意味でずっと非現実的な経験だった。
日本では北海道にでも行かない限り自然には存在しないだろう、地平線が見えるほど広大な草原。
こんな場所で撮影が、風花の撮影ができるなら、こんなに素晴らしいことはない。
「というわけで、大仰に案内してはみたけど、夏休み、折角だから泉美ちゃんも一緒にここで部活動してみませんか、というご案内でした」
「ありがとう。是非お言葉に甘えさせてもらいます」
「うん! そのときの案内は任せてね」
「お願いします。里のある森も物凄く広そうだったけど、この島? って、どれくらい広いの?」
今のところ『島』感を実感したことのない行人が何気なくそう尋ねると、風花は少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。
「ごめんね。実は正確には知らないんだ。北海道よりは広いって聞いたことはあるんだけど」
「北海道!? それは……マジか、凄いな」
道外の人間は北海道の広さをナメているし、ナメたつもりがなくても実際に北海道で移動してみると想像していた何倍も広く感じる、とはよく聞く言説である。
現実に日本の国土の二十パーセント以上を占め、南北は東北地方の南北を凌駕し、面積も九州のほぼ二倍。
世界の島嶼と比較しても、アイルランド一国に匹敵するのが北海道という島だ。
それだけの面積を持つ島なら、およそ短期間に全てを見切ることはできないだろう。
「単純な疑問なんだけど、乗り物みたいなの、あるの?」
「新幹線とかバスとかみたいな長距離移動する、ああいう大型の車両みたいなのは無いかな。地球から持ち込んだ車とかバイクとか自転車使ってる人はたまにいるけど」
「いいんだ。持ち込んで」
「もちろん飛行機もないよ。あと船は、一応池や湖があるからなくはないけど、長距離移動するものではないかな。ボートに毛が生えた程度のもの」
「……浮遊、してるんだよね? 浮遊監獄島って言うくらいだし」
「言いたいことは分かるよ? 水はどこから来てるんだって話でしょ? 実は分からないんだ。解明されてないの。年間降水量だけじゃ絶対に賄いきれないはずの水がこの島にはあって、普通に魚とかもいるよ」
「へぇ……でもそうか、乗り物はないのか」
「舗装されてる道があんまりないしね。もっと南の方に行くと一応、イーレフの里よりも発展した都市みたいなところはあるけど、多分、上板橋駅前の商店街の方が栄えてる」
上板橋駅前から学校までの間には地域住民の生活を支える歴史ある商店街が連なっているが、別に京都の新京極や大阪の通天閣、鹿児島の天文館のような、観光客が殺到するアーケード街というわけではない。
ごくごく一般的かつ身近すぎる比較対象に、行人は苦笑せざるを得なかった。
「生き物を使った移動手段はいくつかあるけど、基本的には専門的な職業についてる人しか扱えないし、それにほら、私達にはこれがあるから」
そう言うと風花は繫いでいない方の手で、引き戸を開けるような仕草をしてみせた。
「ああそっか! そりゃそうだよね!」
世界と世界を繫ぐ魔法が、一女子高生の私室に使われているのだ。
夢にまで見た未来の不思議道具による瞬間移動技術が確立されている世界では、新幹線のような長距離移動手段は発展しないという事実を行人は今、目撃していたのだ。
「……あのね、大木くん。乗り物の話が出たから、提案なんだけど」



