エルフの渡辺3
第三章 渡辺風花は断られる ⑦
風花は行人が手に握っている、ドライバーにビン飲料の王冠がくっついたような機械を見て尋ねる。
「アナログフィルムカメラ用の外付けセルフタイマー。カメラに装着してゼンマイ仕掛けでシャッターを押す単純な仕掛け」
行人は、外付けセルフタイマーをフィルムカメラに装着すると、カメラを風花に渡す。
「渡辺さん、これ、魔力お願いできる?」
風花が目を閉じて、カメラのファインダーに額を近づけると、いつものガラスが割れるような音がする。
「ありがとう。体調、大丈夫?」
「うん、平気」
「じゃあそこ、ちょっと立ってもらって」
行人は風花の立ち位置を指定すると、ファインダーを覗きながら三脚の高さを慎重に吟味する。
そして高さを決めて、周囲の明るさに合わせて露光やピントを調整しながら、
「少しの間、待っててくれる?」
「動かない方がいい?」
「立ち位置が大きく変わらなかったら、楽にしてもらってて大丈夫」
そう言って、中腰になってファインダーを覗いたまま、行人は微動だにしなくなる。
一分経ち、二分が経ち、三分経った頃、さすがにこれまでこんなことはなかったため、風花が尋ねた。
「あの、大木くん? 一体何してるの?」
「ちょっとね、実験。ごめん、特に根拠があるわけじゃないんだけど、もう二、三分待ってくれる?」
「分かった……」
怪訝な表情をしつつも、風花は指示された場所で立ったまま時を待つ。
「写真、撮るんだよね? 帽子、このままでいいの? 顔、陰になっちゃわないかな」
「そうだね。一枚目だけは帽子無しでお願いして良い? 今は暑いだろうから、まだ被ってて大丈夫だから」
そう言うと行人は、本当にまた数分黙ったままファインダーを覗き続ける。
そして、
「痛っ」
小さくそう言ってから突然カメラから目を離し、外付けセルフタイマーを慌ただしく操作すると、右目を擦りながら走って風花に近づきその手を取った。
「大木くん? どうしたの?」
今日、行人の方から風花の手を取るのは初めてのことだった。
唐突な行動に風花が戸惑っていると、行人はカメラの方を見たまま言う。
「渡辺さん、カメラの方見て」
「う、うん、分かった」
行人の手から伝わる緊張に、風花もつい緊張しながら、少し硬い表情でレンズを見る。
きりきりと外付けタイマーのゼンマイが動く音が、聞こえ、恐らくシャッタータイミングを伝えるためであろう機構が降りようとしていたそのとき、
「あ、帽子」
「あっ」
風花は帽子を取るよう指示されていたことを忘れていて、慌てて帽子を取る。
行人も自分の指示を忘れていたのか、あっという表情になり、ついお互いの目を見合ってしまう。
正にその瞬間、ゼンマイがパチンとはじけたような音を立て、同時にカメラからガラスの割れたような高い音が響いた。
「……」
「……えっと」
二人してシャッタータイミングを外してしまったのは明白だ。
しばらく見合った状態で、次いでゆっくりとカメラの方を見ると、レンズと外付けセルフタイマーが、まるで呆れたように陽光を照り返して光った。
「……ぷ」
「ふっ……あはははは!」
どちらからともなく笑い出してしまい、なかなか収まらず、二人の笑い声がしばし風にさらわれ続けた。
ひとしきり笑ってから、風花がふともう一度行人の顔を見ると、
「大木くん大丈夫? 右目が少し赤くなってるよ」
行人の右目が、徹夜でもしたかのように充血しているのに気づいた。
「ああ、大丈夫。ちょっとぴりぴりするけど、痛いとかないから」
「それって本当に大丈夫なの?」
「何度か試してみたから大丈夫。むしろいつもよりも症状としては楽」
「いつもよりって、どういうこと? 今、一体何をしようとしていたの?」
「うん。最初は小滝さんも一緒にやろうとしてたことなんだけどね」
行人はそう言うと、今度は特に異常のない左目を閉じて、スマホのカメラを起動させ、右目だけで画面を見ながら風花を正面から撮った。
「痛って!」
シャッター音と同時に行人は小さく悲鳴を上げて右目を抑える。
「大木くん!?」
「いや、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。あーびっくりした」
行人は右目を擦りながら、今撮影した画面を風花に向ける。
行人の目を心配しながら風花は何げなく画面を見て、思わず息を吞んだ。
「噓……これって……」
そこに映っていたのは、わずかに不安げな表情で行人を見上げている、金髪のエルフだった。
黒髪にダークブラウンの瞳の日本人渡辺風花ではなく、エルフの渡辺風花。
行人があのフィルムカメラで母と共に並んだ姿を写真に撮るまで、自分ですら見ることのかなわなかった、真の姿の写真。
「よかった。上手く行った」
「これ……って、どうして」
「なんか、右目を使って写真を撮れば、上手く行くんじゃないかなって」
「なんかって、そんな適当な……」
「原因は分からないけどやろうと思った根拠はあるんだ。男バレの名簿写真の練習したとき、俺が天海先輩を撮ったときだけ、写真が歪んだの覚えてる?」
男子バレー部に初めて撮影で正式にお邪魔したとき、泉美が撮ったときんはなんともなかったのに、行人が撮ったとき、正体を姿隠しの魔法で隠しているメンバーにピントが合わず、ブレブレの写真が出来上がってしまったことがあった。
「その後に、渡辺さんがうちに泊まって、その……俺の部屋で、寝たでしょ?」
「う……うん」
改めて親の居ぬ間に男女がお泊まり、という事実を口に出すことに、異様な気恥ずかしさを覚える二人。
「そのとき、その、本当に悪いと思ってるんだけど、俺、その、緊張して寝付けなくて、で、デジカメいじってるとき、ついその……決して変なことはしてないんだけど、寝てる渡辺さんに、レンズを向けちゃって」
「…………色々言いたいことはあるけど、一旦不問にします。それで?」
「そのとき、デジタル処理されて表示されてるはずのファインダーに映った渡辺さんが、日本人じゃなくてエルフの姿だったんだ」
「え?」
「右目で見たときだけ。左目で見たら、いつも通り、日本人の顔で映ってた」
「……どっちの寝顔も見た、と?」
「そういう話じゃなくて! いや結果的にそうなったんだけど! 今は何でこのフィルムカメラじゃなくてもエルフの姿を撮影できたかって話でね!」
顔を赤らめつつジト目で見つめてくる風花に、行人は言い訳を重ねながら続ける。
「その後に天海先輩が空き巣に来たとき、やっぱり右目で見たときだけ天海先輩の本当の姿がぼんやり見えて、だからあの人が逃げようとしたとき真正面から右目でファインダーを覗いて写真を撮ったんだ」
「そう言えば、あのときは驚いて気が付かなかったけど……」
空き巣が璃緒だと思っていなかったタイミングだったので、空き巣の目の前にカメラを構えて行人が飛び出し、あまつさえ空き巣と正面衝突したとき、風花は肝が冷える思いがした。
その後の行人が顔、そして右目の痛みを訴えていたので、慌てて治癒の術を施したのだ。
「多分なんだけど、今の俺、どんなカメラを使っても、右目で撮れば、渡辺さんの本当の姿で写真が撮れるんじゃないかな」
「そ、そんな単純なことなの?」
「ただ魔力があればいいってわけじゃないと思う。やっぱりこの写真が撮れるようになる大元は、このカメラだと思うんだ」
そう言うと行人は、三脚で立てたフィルムカメラを指さす。



