エルフの渡辺3

第三章 渡辺風花は断られる ⑨

「でも、泉美ちゃんには感謝してるの。泉美ちゃんと話さなかったら私、きっと素直な気持ちを言うことなんかできなかったと思う」

「小滝さんに言われた結果、渡辺さんがあの行動をとったんなら、俺からも感謝しなきゃいけないと思う。おかげで仕切り直しの決意ができたし、エルフも日本人も、どっちの渡辺さんも好きなんだって、改めて再確認できたから」

「物凄く複雑な味わいの嫌味にしか聞こえない! あと、改めて再確認って意味かぶってるから! 国語的におかしいから! もおおお! 何でこうなるのおおお!」


 泉美にしてみれば、何かと行人の言動を良い風に解釈する風花に、少しくらい現実を見せて幻滅させてやるくらいの気持ちがあったのだ。

 ところがその現実で行人が見事な男を見せてしまい、結果がご覧の有様なのだ。


「ううう〜〜…………風花ちゃん……私の風花ちゃんが……こんな、こんな……」


 別に泉美のだったことは未だかつて一度もないのだが、今更そんなツッコミをするほど行人も風花も野暮ではない。

 今にも号泣せんばかりの本気の涙目になった泉美は、殺意のこもった目で一度行人を睨んでから、風花を見た。


「風花ちゃん。今、幸せ?」

「うん」

「……………………………………………………っ〜〜んん! じゃあいい! それならもう、いい! 私の負け! もう私の負けでいい。うわあああん!」


 いよいよ涙腺が決壊した泉美は、もう風花が嫁に行ってしまうくらいの感情で風花に抱き着き泣きに泣いた。


「もう知らないんだから! もう私は風花ちゃんのことなんか、守ってあげないんだから!」

「うん。本当に、ありがとう。泉美ちゃん。でもずっと、泉美ちゃんのことも大好きだよ」

「センパイの前でそれ言われたらもう完全に負けじゃんんんんんうううう!」


 子どものように泣きじゃくる泉美が落ち着くまで、五分以上の時間がかかった。

 目も鼻の真っ赤に泣きはらした泉美がようやく落ち着くと、小さく洟をすすりながら、行人に体を向ける。


「…………ゴメン。センパイ。今までずっと嫌味言ったり、嫌がらせしたり、蹴ったりして」

「ああ、まあ、うん。はい」

「付き合うのはもう、いい。でも、気持ちの大きさなら。絶対量なら、絶対絶対私の方が上だから! それだけは言っておくから! それと、ちょっとでも風花ちゃん悲しませたりしたら本当、どこにいても絶対殺すから! 私のつま先はいつもセンパイの膝裏を狙ってるからね!」

「ありがとう。肝に銘じておく」


 泉美の、友情を遥かに凌駕した風花への真剣な愛に、行人もここは真剣に頷いた。


「……で、どうすんの。私、写真部辞めたほうがいい?」

「「えっ!? 何で!?」」


 唐突な泉美の申し出に、行人と風花は共に慌てた顔になる。


「何でって、だって彼女持ちの先輩男子と二人きりで部活とかマジでフツーにイヤなんだけど。風花ちゃんだって彼氏が他の女と二人きりでいるのイヤじゃない?」

「そんな、そりゃあ泉美ちゃん以外だったら困るけど、泉美ちゃんは他の女なんかじゃないし、ほら、私達のこと誰よりもよく知ってるし、関係者だし……」

「言わんとすることは分かるけど、俺渡辺さんのこと悲しませるようなこと絶対しないし、そのことには渡辺さんの友達である小滝さんを大事にすることは絶対含まれてるし、関係者だし……」

「関係者って何だ関係者って。何の関係者だ!」


 二人の真剣な狼狽えぶりに、ようやく泉美の顔に微かな笑顔が戻る。


「もーはいはい。分かりました。ちょっと言ってみただけ。二人が気にしないならこのままでいいよ。ただあんまり私無視してイチャつかれるようなら、私が居ヅラくなって距離を取るなんてことも普通にあるからね。そこら辺のガバナンスはちゃんとしてよ」

「わ、分かった」

「我慢するね」

「我慢って何風花ちゃん。今まで奥手過ぎだった分、何か変なハッチャけ方してない? まさか告白の勢いで、未成年には推奨されてない行為にまで至ったりしてないでしょうね!?」

「「してないしてない!」」

「二人して言うのが怪しいし、息ピッタリなのがメチャクチャむかつく!」


 一旦落ち着きかけた泉美の感情が再び疑念の方向に爆発しようとしたそのときだった。


「あのー、お邪魔するわよ」


 遠慮がちな声とともに、部室のドアが開かれ、結衣が顔だけ覗かせた。


「は、長谷川さんっ!」

「こ、こんにちは!」


 行人と風花は思いきり後ろめたそうにびくりと身を震わせ、


「長谷川先輩、どしたの」


 泣きはらした顔がまだ冷えない泉美は、何でもないように振り向く。


「いや、あの、五島先生から大木君に伝言を頼まれたんだけどね」

「五島先生から俺に?」


 今になって男子バレーボール部の顧問の五島が、一体どんな用があるのだろうか。


「その、急ぎじゃないから今日の放課後にでも男バレの部室に行ってもらえる? もし都合が悪いなら私に言ってくれればリスケするから。詳細は五島先生から聞いてほしいんだけど、でも、あの、えっと……」


 日頃毅然としている結衣は、どこか決まり悪そうに視線を泳がせて、顔を引っ込めながら言った。


「……二人とも、おめでとう。お幸せに。天海先輩と小宮山君には、ちゃんと内緒にしておくから」

「「「……」」」


 結衣がドアを閉めてから、しばし三人は沈黙に包まれた。

 そして、


「……そ、外に、聞こえ、てた?」

「ど、どどど、ど、どこから? どこまで?」


 行人も風花も、一気に全身が真っ赤になり、恥ずかしさで全身を震わせ始める。


「まー誰それが付き合い始めたなんてのは本人達がいくら隠そうとしたって遅かれ早かれ誰かは気づくもんじゃん。ナチェ・リヴィラ関係者の長谷川先輩がいいって思ってるなら、異世界ギャップの問題もないってことだから、素直に喜んだら?」


 泉美は恥ずかしさで干上がりそうになっている二人を、早くも達観した目で見始めている自分が、少しだけ大人になったことを自覚した。


「びっっっっくりしたあ! 薄々そうじゃないかなとは思ってたけど、まさかあの二人、本当に付き合いはじめるなんて……」


 伝言を済ませた結衣は、廊下を歩きながら自分のことでもないのに顔を赤くして呼吸も速くなっていた。


「……………………いいなぁ」


 結衣は廊下の途中で立ち止まると、溜め息を吐いた。

 ふと横を見ると、そこには三年生の教室のあるフロアへ上がる階段があり、そこを上がればすぐ、天海璃緒のクラスがある。


「……いいなぁ。私も先輩と……」


 誰にも聞かれることのない独り言をごちた瞬間、


「わっ、な、何?」


 ブラウスの胸ポケットに入れたスマホに電話の着信が入り、結衣は慌ててそれを取る。


「はい。はいお疲れ様です。ええ、今は休み時間で……大丈夫です。はい、ええ、学校にいるのでまだ………………は?」


 通話の相手が告げた事実に、結衣の顔が強張った。

 そして、今後にしてきた写真部の部室のある廊下、そして璃緒の教室のある上階を思わず交互に見てしまう。


「そんな、だって急に……いえ、はい。分かりました。今のところ、渡辺風花と天海璃緒の周りには何の異常もありません。ええ。はい。他も早急に確認します。はい。失礼します」


 電話を切った結衣は、先程とは打って変わって青い顔をし、すぐにスマホでいくつかのSNSをチェックし始める。


「……なんで、こんなこと。一体何が……」


 青い顔のまま表情を険しくした結衣のスマホには、スポーツ紙の電子版が掲載されていた。

 それは、海外大手スポーツ紙のデータセンターがハッキングされた疑惑を報じていた。

 報道曰く、一部スポーツ選手や政治家の写真が、本人と似ても似つかぬ架空の存在『エルフ』として描写されてしまう、というもの。

 記事はハッカーの仕業か生成AIのバグを疑っていたが、結衣はもちろん知っている。

 エルフとして写真に写った全員が、本物のエルフ。魔王討伐のために地球に潜伏している、ナチェ・リヴィラのサン・アルフである、ということを。