エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ①
「恐竜だ……」
「恐竜がいる……」
「いることはニュースとかで知ってたけど、実際に見ると結構びっくりするね……」
行人と風花と泉美は、想像を遥か凌駕する巨体が自分達を出迎えたことに、衝撃を受けていた。
恐竜。かつてこの世界の覇者であった古の巨竜達がいるのは、異世界ナチェ・リヴィラではない。
日本の福井県福井市、福井駅西口のロータリーだ。
福井駅にはホームから駅構内の改札を経てロータリーに至るまで大小さまざまな恐竜のオブジェクトやコンテンツが設置されており、特に西口側の恐竜ロボットやトリックアートは、そこだけで一時間は平気で撮影できるくらい、多種多様な恐竜が来訪者を出迎えてくれる。
夏休みの七月三十一日。午前九時を少し回った時間帯。恐竜たちは一斉に動き出し、南板橋高校写真部一行を出迎えてくれた。
「もしかしてあれ動いてる?」
「動いて……るね!」
「風花ちゃん! ちょっと行ってみようよ!」
「あ、泉美ちゃん危ないから引っ張らないで!」
「バスまでは少し時間あるから焦らないで大丈夫だよ!」
「「はーぃ!」」
バスのロータリーを左回りに、まず誰でもその名を知るティラノサウルスのロボット目掛けて走ってゆく泉美と風花を見送りながら、行人は苦笑する。
「案外女子も恐竜って好きなんだな」
「特に興味がない人でも、この規模ならば楽しくなるものですよ」
行人の声に答えたのは、駅まで迎えにきてくれた湊川夕夏だった。
「大木部長は、恐竜は好きな子でした?」
「どうでしょう。人並みには好きだったと思いますけど、詳しく覚えているほどでは」
西口ロータリーにはティラノサウルス以外にも四体、動く恐竜が展示されているが、うち三体の二足歩行している恐竜の名前を、この距離からでは行人は言い当てられない。
「あの首の長いの、なんでしたっけ、ブラキオサウルス? いや、頭のこぶが無いからアパトサウルスとかディプロドクスでしたっけ」
「ここから見える右側の三体は全部、福井で見つかった恐竜なんですよ。あの首の長いのはフクイティタンだったと思います。今くらいの時間から動き出すはずですから、ちょうどよかったですね」
「湊川さんの方が詳しいじゃないですか」
「事前に調べただけですよ。バレー部の集合写真は会場の外と旅館で撮ることだけは決まってますけど、他にも撮ることにならないとも限らないですから」
そうこうしている内に、風花と泉美は次の恐竜に走って行き、楽し気な声を上げている。
その姿を見ながら行人は、改めて夕夏に向かって頭を下げた。
「本当にありがとうございます、湊川さん。まさかこんな風に、福井に来られるなんて思っても見ませんでした」
「本来は大木部長と小滝さんの仕事だったんです。五島先生も気にされていましたし、これくらいはさせてください」
夕夏は人好きのする笑顔で頷いた。
◇
「写真部の遠征……ですか?」
「ああ。まぁ気の回しすぎかなとも思ったんだけど、一応な」
風花と付き合い始めたことが結衣に露見したその日、男子バレーボール部の部室に行った行人を待っていたのは、男子バレーボール部顧問の五島教諭とカメラマンの湊川夕夏だった。
五島が差し出したのは、福井の植物園で開催される、熱帯気候でしか咲かない花の展覧会のパンフレットだった。
「会場がな、バレーボールの大会会場からそんなに離れてないんだ」
「みたいですね……って、え?」
行人は五島が言わんとすることを察して、目を見開いた。
「大木は小宮山と仲いいんだろ?」
「え、ええまぁ」
「湊川さんも、お前達からお株を奪うことになったの、ずっと気にしててな。天海からも小宮山からもなんとか写真部の連中に応援に来てもらえないかって頼まれてて、でまぁ教頭にネジこんだら、これなら今の写真部なら遠征ってことにすれば部費を出せるって言質取ったんだが、どうだ?」
「で、でも引率とかどうするんですか? うちの顧問って……」
「知ってる。卓球部との兼部だからこっちには来られないんだろ。だから湊川さんに相談したんだ。プロのカメラマンなら外部指導員って形で引率してもらえるだろ?」
「でもそれじゃあ、バレー部の撮影は……?」
「もちろんこっちが最優先。だからお前らに来てもらうのはこっちの大会の二日目になる。駅前に湊川さんに迎えに行ってもらって合流したらこっちの会場で試合を見て、その後お前らが勝手にこの植物園に行って言い訳できる程度の活動はしてもらって、常識的な時間で東京に戻ってもらうことになる」
「なるほど……」
ここで初めて行人は、呼び出しが職員室でも体育館でもなく、バレー部の部室である理由を察した。
「ま、はっきり言って書類上は結構無理筋な話だ。外部指導員ってのも何かトラブルが起きたときの外向けの言い訳で前例はないし、事故があったら俺と書類上の写真部顧問の責任にもなるからあんまり他の先生に聞かれたくなかったんだ。そんなワケだから一日だけでトンボ帰りだし、逐一湊川さんと俺に状況報告をしてもらうことにはなる。部費からも全額出るわけじゃないぞ。せいぜい交通費の補助と、あと植物園の入場料くらいで残りは自腹にしてもらう必要がある」
「ありがとうございます五島先生。湊川さん。本当は必要ないのに、わざわざこんな……」
「今時は教師も学校もな、通せる筋は通したいもんなんだよ。なかなかできないけど、できそうなときくらいはな」
「その代わりと言っては何ですけど。私も外部指導員の体である以上学校と職場に活動報告を上げなければいけませんから、女子と二人きりのウキウキ撮影旅行、みたいなことにはなりませんよ? そのあたりは節度を持って行動してくださいね」
「何ですかウキウキって。小滝さん相手にそんなことにはなりませんよ」
「あら、結構本気の音色ですね」
「ただそうか……二人、か」
「どうしたんですか?」
「いや……単純に気まずいな、と」
泉美の言う『彼女持ちの男子と二人きり』は行人の立場からすると『彼女がいるのに他の女子と二人きり』ということにもなる。
ただでさえ泉美と二人きりなど気まずいのに、さっきの今でこんな企画が立ち上がったら、風花に対しても泉美に対しても気まずいどころの騒ぎではない。
「あー。まぁお前の写真部の活動はその、長谷川や天海から聞いてはいるんだが……教師としてあんまりこういうこと言うのもどうかとは思うが」
すると今度は五島が若干気まずそうにしながら、行人が手にしているパンフレットをちらちらと見た。
「完全な偶然ではあるんだが、行き先が『植物園』ってとこで、察しろ」
行人は一瞬言っている意味が分からず、ふと夕夏の方を見ると、尋常でなく生暖かい笑顔を自分と五島に向けていて、そしてやがて気づいたのだ。
「あっ!」
◇
宿泊するような遠征ではないので、荷物はそこまで多くない。
だが三脚などの撮影機材がそこそこ大きいのと、今回は泉美も自分専用に部のデジタル一眼レフカメラを抱えているため、男子バレーボール夏の高校総体会場に向かうバスの中で、四人は夕夏と行人、風花と泉美というペアで若干窮屈に二人席に座った。
学校の部活動での遠征ということで、私服ではなく制服の夏服であるため、そのことも若干の窮屈さと暑苦しさを演出しているのかもしれない。
「にしても普通に考えて、私は写真部と園芸部の両方から部費が出て、タダで来られるべきだと思うんだけど」
「さすがにそんな都合のいい普通はないよ。園芸部も写真部も、そもそもただでさえ部費が少ないんだし」



