エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ③
父の仕事道具の中には存在しなかったガジェットに心躍る行人。
そんな嬉しそうな行人を見ていると、風花も先ほどまでの疑念はどこかに飛んで行ってしまった。
行人と正式に付き合うことになって浮かれている反動で、余計な警戒心が強くなりすぎているのかもしれない。
「ねぇねぇセンパイ。こーゆーのって、部にあったりしないの?」
「無いよ。ここ何年かのものだもん。全天球カメラ使うなら実質リオーかイニスタって二つのメーカーの二択なんだけど、このためだけに買うのは結構ためらう値段なんだ。もともとアクティビティ中の自撮りとかに特化してるってイメージあって、あんま写真部っぽくないカメラだなと思ってて」
「湊川さんのどっち?」
「んー、いやぁ、どこだろ。メーカー名書いてないな。中国とかの安いやつなのかな」
「安いのあるなら買ってもよくない? 私普段使いしてみたい。部費で買おうよ」
「部費は魔法の財布じゃないぞ」
「……」
風花は、行人と泉美の会話の中に、また微かな違和感を覚えた。
さして靴の中に本当に小さな砂が入ったような、でも急いで取り出さなくても、次の赤信号で立ち止まったときでもいいや、と思える程度の違和感。
バスの中でも抱いたその違和感の正体を探ろうと思うよりも先に、
「……泉美ちゃん」
風花はやんわり行人との間に割って入ると、全天球カメラを持つ行人の手を軽く押さえて言った。
「ちょっと、近すぎる」
「……はぁ〜い。ごめぇ〜ん。まーとにかく入ろ入ろ」
泉美は一瞬不満そうに口を結ぶが、すぐにどこか達観したような笑顔を浮かべ、率先して体育館に向かう。
「ごめんね、大木くん」
「え」
「私……思ったよりヤキモチ妬きだったかもしれません……」
「あ、う、うん……」
泉美がかなりの早足で行ってしまうので、二人は慌ててその後を追う。
思えばこれまでも、泉美や結衣や茶道部にいるときなど、妙に風花が挙動不審になることがあった。
もしかしたらそれが風花のヤキモチによるものだとすると。
「まぁ、嫌な気は、しないです。はい」
行人としても本心からそう言えてしまう。
開けた空間で早足に歩く二人の会話は当然前を歩く泉美にも聞こえているため、
「写真部も園芸部も辞めてやろうかなほんとに」
放っておけない先輩二人の会話を聞いて、ゴーヤとパクチーを一緒に生食したような顔になったのだった。
◇
「凄い……これが全国大会の迫力……都大会と全然違う」
「私こんなの漫画でしか見たことないよ。本当にこんなガチなんだね」
都予選では何度か男バレの応援に行ったはずの風花と泉美は、体育館を包む異様な熱気と迫力に圧倒されていた。
応援の垂れ幕を掲示するのは当たり前。保護者と生徒応援団を編成する学校は全日本選手権や国際大会で見るようなスティックバルーンを用意しているところもある。
今回の会場のルールなのか元々のルールがそうなっているのかブラスバンドなどの鳴り物を擁している学校はなかったが、日本中の『代表』が集まる様は、それだけで壮観だ。
展開されているコートは四面あり、どこも第一試合の二セット目か三セット目というタイミングだった。
「うちの学校、あっち側のコートだよね。座れるところあるかな」
「真ん中は学校の応援団に譲らないとだから、端っこに寄ってこの試合が終わったらさっと席を確保しに行く感じかな。とりあえず後ろの通路で張ってよう。あれだったら二人はどこかベンチで待っててもいいよ」
「大丈夫だよ、三人でいた方が確実に三人分取れるでしょ」
「一応私も写真部なんだから、カメラの調整でいくらでも時間つぶせるって」
女子二人の頼もしい言葉を背負いながら行人は最後列の通路を予定されたコートに向かって歩き出す。
「こうして見るとほとんど私立校なんだね。応援団が百人以上来てそうな学校もあるじゃん」
反対側の客席に、揃いのジャージを纏った百人規模の集団があり、泉美が何気なく指を差すと、風花がぽつりと言った。
「多分あれ、ベンチ入りできなかった部員なんじゃないかな」
「え。ええ? マジで? あんなに部員いんの!? てか自分が出場できないのにわざわざこんなとこまで来るの!? しんどくない?」
「甲子園でも、応援席のユニフォームの人達ってベンチ入りできなかった部員でしょう」
「そうだったの!? 学校が用意したコスプレ応援団じゃなくて!?」
「そんなワケないだろ。小滝さん、知らなかったの?」
「特にこれまで興味なかったし……それに、ええ、自分が試合に出られないのに、甲子園とかあんな暑い中汗だくになって同学年のレギュラーとか応援すんの? しんどくない?」
「ちょ、ちょっと泉美ちゃん!」
『レギュラー入りできなかった部員』は別に対岸だけにいるわけではない。
今行人達が居る側にも当然そういった立場の学生がいる。
幸い誰もが応援に夢中でこちらの会話に気づく者はいなかったが、なかなかに無神経な泉美の言葉に行人も風花も肝を冷やした。
「そりゃね、大会に出られずに応援席で声出してるだけって、そこそこしんどいよ」
応援に紛れながら行人がぽつりと言い、
「あ」
泉美は、行人が中学時代にバレーボール部に所属していたものの、レギュラーになれなかったということを思い出した。
「ご、ごめん。私……」
「いいよ。しんどいのは本当だから。ただそうなることを織り込めずに運動部に入る奴はあんまいないから、小滝さんが想像するほど嫌なことってわけでもないんだ」
「そうなの?」
「もちろん自分が試合に出られるのが一番だよ。でも努力とか技術とか才能とか成長とか時の運とかそういうのが足りなくてレギュラー入りできない可能性は誰にでもある。それこそエースが大怪我でベンチ入りできずに応援、みたいなことだってあるんだ。ここは全国大会の場ではあるけど、同時にそれぞれの部で必死に競争してきた連中が報われる場でもある。表に出られなかった部員達は、次こそ自分が、って思いを抱えながら、真剣に本気で応援するんだ。俺達もあいつらと一緒に戦っているチームの一員だぞってね。あとはまぁ、自分のとこのレギュラー以外のプレイを見ることは単純に勉強にもなる。動画なんかじゃ絶対分からない、生で見るときならではの本当に小さな機微から得られる教訓って間違いなくあるからさ」
言葉がつい早口になるのは、行人自身中学時代に何度も何度もその忸怩たる思いを抱えて仲間を応援した経験があるからだ。
出場できなかったことが悔しくないかと言えば、当たり前のように悔しい。
だが一方で、自分がレギュラー陣に到底かなわないこともまた身を以て知っている。
競技の世界はありとあらゆるパフォーマンスを、ありとあらゆる場面で出会う全ての人間と競わせるものなのだ。
「それが出来るかできないかは、実は結構才能でさ。レギュラー入りできなくて拗ねて辞めちゃう奴ってのも普通にいる。三年になってレギュラーを下級生に取られるとか、滅茶苦茶心に来るしね。でも何にしたって客席を降りてコートに足を踏み入れたいなら、誰かに見てもらえるときにチャンスを逃さないよう努力し続けるしかない。どんなジャンルでも、人に見てもらうってのは大変なんだ」
「うー、風花ちゃん、何か私、凄い浅はかなこと言った?」
「かもね。でも知らなかったのは仕方ないんだから、今日から視点を変えればそれでいいんじゃないかな」
「私、せめて真剣に撮るわ」
泉美は此処に来るまで触ることのなかった一眼レフをケースから出すと、真剣な顔で意気込んで構える。
「まだ早いよ。とりあえずあっちの通路まで行こう。機材の調整は撮影地点についてから」



