エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ④
前の試合はまだ続いているが、とりあえず観覧席の最後列に座ることのできた三人は、それぞれにまた会場の様子を眺める。
特に理由はないのだが、行人と風花と泉美という並びで座ることになった。
「わあ、見て大木くん。あっちの人のカメラ、凄く大きい」
風花が驚いた様子で指さす先には、大砲のようなレンズを装着したカメラを構える観客がいて、一心不乱に会場を撮影している。
「ああいう大砲みたいなレンズって、どれくらい遠くが写るものなの?」
「単純に長ければ遠くが見えるってものでもないけど、多分あれは遠くを映してるんじゃなくて、向こう側のコートを広角で写してるんだと思う。あと、撮ってるの多分動画」
「え? 動画?」
「うん。次当たる強豪校の試合を撮って参考資料にしてるとか、自分のところの試合を練習用に写してるか分からないけど、今はデジタル一眼で動画撮るの普通だからね。音声も入るし、高いレンズならタブレットとかで見るとき拡大しても綺麗に見えるから」
「そうなんだ。大木くん達はああいうの、持ってきてたりしないの?」
「大型の望遠レンズって、カメラとの相性にもよるけどズームしてるとオートフォーカスが遅くなって連続写真が撮りづらかったりするんだ。特にこういう室内競技だと、ちょっとしたことでオートフォーカスが微調整かけたりするから、あんまり使いたくないんだよ。それに、ちょっと見てみて」
行人は風花に、部のデジタル一眼を差し出す。
素人目には、先ほどのバズーカレンズとは比べ物にならないほど『普通』に見える一眼レフのレンズだが、一番後ろの席にいてもなお、手前のコートであれば選手一人ひとりの顔がはっきり見えるくらいにズームができた。
「こんなにズームできるんだ!」
「うん。もちろん写真的な意味での『良い写真』を撮るならこんなチンケなズームじゃ話にならないんだけど、今回俺達はここに応援に来てるんであって、芸術より記憶に残ることに特化した写真を撮れればそれでいいかなって思って、ああいうのは持って来なかった」
レンズのズーム機能というのは、写真の目的にもよるが原則としてまずカメラマンが被写体に限界まで近づいてから初めて使うものだとされる。
だが今回の観戦は応援が主であり、ホームページの時のように写真にドラマ性や視線誘導の効果を持たせる必要が薄いため、撮りたいものを感覚の赴くまま好き放題撮ればそれでいい。
「よかったら渡辺さん、それ使ってみる? 俺、自前でもデジタル一眼持ってきてるし」
「いいの? じゃあせっかくだし使ってみようかな。もうこのまま撮っていいの?」
「一応大丈夫だけど、それこそ折角だから一応いい感じに調整するよ。もし観戦の邪魔になりそうなら写真は俺達に任せて返してもらって大丈夫だから」
「うん。じゃあお願いします」
一旦返してもらったデジタル一眼の背面モニターを開くと、行人は明るさやシャッター速度を適宜調整していく。
「湊川さんが言うほど暗い感じしないんだよな。これならもっと早くても……ん?」
周囲の邪魔にならない程度にファインダーを覗きながらあちこち視線を飛ばしていた行人は、たまたま向けた方向に見えたものに、思わず動きが止まる。
「ん? あ」
「どうしたの?」
「いや、多分だけど、あっちにエルフの人がいた」
「え? どこに!?」
驚いた風花は行人が見ていた方向に目をやるが、エルフ同士、お互いを視認することはできないので、そこにはただただ大会を観戦する観客がいるばかり。
「あっちの新潟代表の、横断幕の『絶対優勝』の絶の字のすぐ上のジャージの前開けてる男子。ファインダーで覗いたら、そこだけ物凄くモヤがかかってて、実際シャッター切ると」
行人は右目でファインダーを覗いてシャッターを切ると、甲高い音はしなかったものの、モニターには該当の人物だけはデジタルノイズがかかったように見えている。
「私は知らない人だけど、でも新潟にエルフがいても別に不思議ではないよ」
「まぁ。そうか。うちの学校に二人いるんだもんね。他の学校にも、そりゃいるよね」
「うん。若い人もいれば大人の人もいるから、私達以外の人を見つけるとびっくりするかもだけど、向こうもバレると思ってないからそっとしておいてあげてもらえると……」
風花がそう言った途端、二人の耳に、ガラスが割れるような甲高い音が聞こえ、顔を向け合って会話していたにもかかわらず、二人して改めて顔を見合わせた。
「今の、大木くん?」
「俺何もしてないよ? 見てたでしょ?」
「じゃ、じゃあ……」
風花が振り向くと、カメラではなくスマホを見ていた泉美も驚いた顔で首を横に振った。
「聞こえたけど、私じゃないよ!?」
泉美も気づいたようだ。
あの音は、魔法が破られた音だ。
こんな場所であれほど甲高い音を立てて割れるようなガラス製品があるはずもない。
「今何か割れた?」
「分かんない。誰か変な音出る機械でも持ってきてるんじゃない?」
その音は他の観客にも聞こえたようで、周囲も微かにざわめいている。
聞き間違いという可能性は最初から考えなかった。特に行人は、風花の真の姿を写すために何度も何度も聞いた音だ。
今この広い会場のどこかで、自分達以外の誰かが何かの魔法を破った。
「誰か周りに、大木くんのと同じフィルムカメラ使ってるの、見えたりする?」
「今見てるけど、センパイのそのカメラってそんな特殊な見た目してるわけじゃないから分かんないよ。眼レフ持ってる人やたら多いけど、カメラって下火じゃなかったの?」
「昔みたいに気軽に携帯しなくなったってだけで、ここぞって時に使う人は増えてるんだよ。……ダメだな。あてずっぽうで俺のと同じカメラ探すなんて無理だ。音も……」
その瞬間、二つのコートで同時にサービスエースが発生し、会場が大いに盛り上がる。
「音の方向から絞るのも難しそうだ。小滝さん。無駄かもしれないけど、万が一俺達の方を向いてるレンズを見つけたら、二人で渡辺さんを隠そう」
「分かった。全く知らん奴に風花ちゃんの正体バレるのは、なんかよくない気がするもんね。折角ならセンパイがあっちの方で風花ちゃんのことずっと壁ドンしてれば?」
「わ、私は、大木くんがよければそれでも……」
「よくないよ。こんな所であたりかまわずイチャついてたら不審者丸出しでしょ。渡辺さんも残念そうな顔しない!」
突拍子もない提案とそれに乗りかけた風花を諫めると、行人はスマホを取り出す。
「一応だけど、長谷川さんにだけは知らせておいた方がいい気がする。試合中にあの音がしたら、変に疑われても困るし」
「天海先輩には?」
「試合前に集中力を削ぎたくない。伝えるかどうかは長谷川さんに任せる」
とはいえ結衣も、マネージャーとして正念場であることには変わりない。
こんなタイミングで上手い具合にスマホを見てくれるかどうかは賭けだ。
案の定、三通くらいに分けてこちらの状況を送ってみたものの、既読がつく様子はない。
「センパイ! また鳴った! ちょっと遠いけど」
「どこで!?」
「多分だけど、対岸の客席。真正面からの、聞こえなかった?」
「対岸って……!」
先ほどの音は、行人達の周囲の観客が気づくほどの近場で鳴ったのに、今度は試合中のコートを挟んで反対側の客席。
魔法破りが複数発生しているとなると、いよいよ結衣に気づいてもらえないと、試合中の璃緒が心配になる。
「多分今一番忙しいタイミングだもんなぁ。五島先生や湊川さんにこんなことで連絡するわけにもいかないし……」
そのとき丁度、四つのコートの内一つで試合が終了してしまう。



