エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑤
行人達の正面はまだ一セット残っているが、南板橋が出てくるまでもう間はない。
「大木くん! これ!」
そのときだった。
「センパイ、こっちも!」
「小宮山君が!」
「小宮山先輩が!」
風花と泉美のスマホに揃って、哲也から更衣室で気合いを入れている自撮り写真が送られてきたのだ。
哲也がいつの間にか泉美と個人的に連絡先を交換していた事実に驚きつつ、行人は苦笑して手を打つ。
「何で俺にだけ送ってこないんだアイツ! でも今回は許す! 二人とも、哲也に長谷川さんへ伝言……」
「「もう送った!」」
哲也からしてみれば、調子よく女子に意気込みを送ったら間髪容れずにマネージャーへの伝言を頼まれて、目を白黒させていることだろう。
だが風花と泉美、両方のメッセージにすぐ既読がつき、それから十秒と経たず、結衣から行人に返信があった。
『ありがとう部長にも伝えた』
句読点も無いところから見て、顧問や部員の目を盗んでの返信なのだろう。
「え」
結衣からの返信を見た行人は、何故か嫌な予感に心臓を鷲摑みにされたような気分になる。
『想定はしてた。試合が終わって落ち着いたら連絡する』
その瞬間、また会場のどこかであの音が響く。
『新しいスマホや慣れない機械は使わないで一応』
「何だよ一応って。はは」
行人は、自分の声が想像していた以上に乾いていることに、自分で笑ってしまった。
結衣の返信を受け取っているスマホは買い換えたばかりの新しいスマホで、ほんの少し前に、行人はこれで風花の真の姿を撮影した。
そして手元には、メーカー不明の全天球カメラ。
「流石にそれは……このスマホだって、池袋の家電量販店で買い替えたんだし、こっちのカメラは湊川さんのだし」
行人は思わずスマホの電源を切ると、まるで忌まわしいもののようにカメラ用の鞄の底に放り込み、フィルムカメラもケースにしまってしまう。
「大木くん。長谷川さんはなんて?」
不安そうに尋ねてくる風花を安心させられない、ただの人間の自分が歯がゆかった。
たまたま偶然で異世界と魔法に触れただけの、中学の運動部ですら満足に頭角を現せなかった無力な自分が。
「今はできることがない。俺達の勘違い、とはとても思えないけど、長谷川さんはあんまり驚いてないみたいだった」
「そうなの?」
「ンなこと言ったって、下手したらどっかに風花ちゃんのあられもない姿が流出しちゃうかもしんないんでしょ」
「変な事言わないでよ泉美ちゃん。それにあられもないってこの場合正しいの?」
「やっぱセンパイ、ここで風花ちゃん押し倒して全身隠した方が……」
「小滝さん、俺を不審者として逮捕させて渡辺さんから遠ざけようとしてない?」
「っ!」
「その手があったかみたいな顔するな」
そんなことを言っている間に、ひと際大きな歓声と落胆の声ととともに、目の前のコートの試合が決着した。
「ただいまの試合の出場校関係者の方は、速やかに席を空けてくださーい」
会場案内のボランティアが、試合をしていた学校の部員や応援団に声をかけ、次のチームとの入れ替えを図る。
「どうする。あれから音はしなくなったけど」
「センパイを不審者にするかはさておき、一番前に座るってヤバい気がするよね」
真剣な顔をする二人の背を、中央にいる風花は強く叩いた。
「前行こ! 二人とも!」
「え?」
「でも渡辺さん」
「折角福井まで来たんだよ! 私だって勘違いだとは思わないけど、あの音全部がこっちを狙ってるとも限らないし、私の他にもエルフはいたでしょ。それに多分、あの音立てるのは『関係者』だと思うし!」
「「!」」
「何もできないなら逆に不安になってたって始まらないよ。前で天海先輩と小宮山君のこと応援しにきたんだから、行こう!」
風花は強い意志で二人を引っ立てて客席の最前列を確保した。
もちろん南板橋高校から来るメインの応援団やバレー部の部員達のためのメインの席は開けておくが、南板橋の試合を見るならば文句なしのS席だ。
「あれ? 大木?」
「小滝ちゃんだ。え、来てくれたの?」
「渡辺さん応援きてくれたんだ」
恐らくどこかにスタンバイしていたのだろう。応援の部員と、学校からの応援団が前の試合のチームと入れ替わるように客席に入ってきた。
レギュラーを外れた男バレの一年生はもちろん、学校の先生やプライベートでやってきた応援団の中の顔見知りと、軽く手を振り合って挨拶していると、
「あっ! 大木くん泉美ちゃん、出て来たよ!」
コート清掃のスタッフに続くように、入り口からベンチに南板橋の選手達が入って来る。
その中にはもちろん哲也もいて、行人は先程の不安な気持ちが、一気に血が沸き立って搔き消えるのを感じた。
「あれ!? 行人!? お前何で!」
「大木くん、小宮山君に来るって言ってなかったの?」
「会えたら驚かせたかったから」
「お前どーいうことだ! 両手に花の旅行とか許さんぞ!」
「うるせー! 文句あんなら勝ってから言いに来てくれ!」
「よーし待ってろ! 本当お前どういうことか聞かせてもらうからな!」
「小宮山君! 頑張って!」
「がんば〜」
「く〜! 女子二人の名指し応援はマジ力入るけど行人の存在がチラつくと邪魔だ!」
「私は特に名指ししなかったよね」
泉美の無慈悲な苦笑交じりの突っ込みは幸い哲也の耳には届かなかった。
「ほら! 小宮山君! さっさと準備して!」
客席とじゃれついている哲也を結衣が引っ張ってベンチの中央に戻す。
その際結衣は三人に目をやり、哲也を引っ張っているのと逆の手で、こちらを落ち着かせるような仕草を一瞬した。
「長谷川さん、思ったより動揺してないな」
「想定してたって、どこまでのこと言ってるんだろう」
「天海先輩も、いつも通りみたいな感じするね」
行人は気持ちを落ち着けるように、客席から哲也に向けてデジタル一眼を構え、二、三枚試し撮りをする。
「ん。よさそうだけど、ここだとあんま引っ張った画にはならなそうだな」
前の試合が終わってからは今のところあの音は聞こえてはこない。
ファインダーを璃緒に向けてみると、右目で覗くとやはり璃緒と結衣は、デジタルノイズが走ったりピントがずれたりする現象が発生した。
周りで魔法破りの音がしている以上、逆に自分があの音を立てたら何が起こるか分からない。
「センパイ、結局どんくらい撮るの?」
「俺は今日、応援が主で撮影は練習だから、第一セットで少し頑張ったら後はしっかり応援するつもり。でも小滝さんは小滝さんの好きに撮影してくれていいよ」
「ん。分かった」
泉美は頷くと、コートではなく客席で応援の準備をするバレー部員達にピントを合わせ、最初のシャッターを切った。
「シャッタースピード、60でよくない?」
「そこらへんは任せるよ。色々挑戦してみて」
そうこうしている内に、コートでは両チーム交代で五分ずつのコート練習が始まった。
先ほどまで、隙あらば風花や泉美にへらへらと笑顔を送っていた哲也も一転、選手の顔になって普段の彼からは考えられないほど集中した雰囲気を見せる。
「……へー、悪くないじゃん」
セッターが上げたトスを鋭い動きで捉えスパイクした哲也を写真に収めた泉美は、全く自覚なく感心したような笑顔を浮かべたのだった。
東京代表、南板橋高等学校の二日目の対戦相手は、福岡代表、筑肥経済大付属伊都嶋高等学校。
その瞬間だけは誰もが息を吞んで場が静まり返り、そして、
「っしゃっ!」
部長の天海璃緒のファーストサーブでエースが決まり、試合の口火が大歓声とともに切られたのだった。



