エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑥


「行人お前来るなら来るって言えよ!」


 試合後、紅潮した顔で駆け寄ってきた哲也と行人は、体育館一階の廊下で力強くハイタッチした。


「痛って! いやぁ、緊張させたくなくてさ。初戦敗退されても困るし」

「お前が来たって緊張なんかしねぇよ。渡辺さんと小滝ちゃんに見られてた方が百倍緊張するわ!」

「小宮山君おめでとう! 凄かったね!」

「渡辺さ──ん! 見てた? 俺のスーパーセーブ!」

「見た見た! 本当に映画見てるみたいだった!」

「私も見てた。やるじゃん小宮山先輩。あれもうダメだと思ったよ」

「ありがとねー小滝ちゃん! 何、もしかして写真撮っててくれたん? カッコよく撮ってくれた?」

「まーね。ムカつくけど、確かにあのセーブはカッコよかったし、ムカつくけど多分結構カッコよく撮れてる。ムカつくけど」

「ダメ押しされてても嬉しー!」

「何それ変なの」


 元々の調子の良さに加えて、僅差の勝利を収めた哲也の精神はもう無敵に近く、辛辣だった泉美もつい笑ってしまう。


「このままどこまでも突き進むぜ! 既に全国二勝してんだから、シード上がりの馬淵山桜花倒してぜってぇ優勝する!」


 昨日の予選トーナメントで初戦の勝利。今日から始まる決勝トーナメントの勝利で、南板橋高校男子バレーボール部はまさに創部以来最も勢いに乗っていると言ってもいい。

 同じ東京代表の馬淵山桜花とは、二校の代表を出す地域を早い段階で同士討ちさせないためにトーナメント表上、かなり遠くに位置している。


「当たるとしたら、準決勝か」

「おう! 俺らは優勝すっから、魔王討伐は成功したも同然ってこった!」

「そーだといーね」


 泉美もさすがに勝利の余韻に浸る選手に冷静さを押しつけることはやめたようだ。

 哲也はまだ興奮冷めやらぬ様子だったが、その後ろから結衣のマネージャーらしい鋭い声が飛ぶ。


「ほーら! 試合終わったら更衣室は即撤収! 次の学校に迷惑だから! 小宮山君も話はその辺にして!」

「っと! やべやべ! 悪い! 小滝ちゃん達この後どうすんの? すぐ帰る感じ?」

「何で私? えっとね、私達は……」


 泉美は一瞬でその場にいる全員の様子を眺めてから、殊更に軽い声で行人に尋ねた。


「時間あるよね。折角だし記念写真撮ろうよ」

「だな。次の予定には余裕があるし……長谷川さん。三十秒だけもらえる? 折角来たし、哲也と一枚だけ」


 ここで泉美のトスを受けられなければ、ナチェ・リヴィラの関係者たる資格はない。

 行人は言いながら、夕夏から借りた全天球カメラを振ってみせる。


「あんまり通路で立ち止まるなって言われてるんだから、やるならぱっぱとやって!」


 結衣は渋い顔をしながら、その目はしっかり行人の持つ見慣れぬカメラガジェットを捉えていた。


「折角だから、四人で撮ろう」


 行人の提案は不自然極まりないものだった。

 普通なら近くにいるバレー部員全員と可能な限り集合自撮りをするか、親友同士の行人と哲也のツーショット。或いは同学年のクラスメイトである行人と哲也と風花を泉美が撮るのが筋だろう。

 だが行人は、敢えてクラスメイトに泉美を入れた四人の撮影に絞った。

 その方が、もし『失敗』しても、慣れない機械を使った未熟さのせいだと、行人が哲也に一言謝れば済むことだから。

 持ち方を工夫すれば接続された自撮り棒を映さずに撮影ができる、全天球カメラを、哲也は物珍し気に見上げる。


「あの丸いとこ見ればいいのか?」

「そうだよ。撮るぞ。三、二、一、はいっ」


 その瞬間、哲也は汗だくの顔で笑顔を浮かべつつ、撮影が終わった途端に不思議そうな顔をした。


「なんか、不思議なシャッター音だったな」

「借り物なんだ。海外製だから、何か設定が変だったのかもしれない」

「そっか。おっと、さすがにこれ以上ダラダラしてたらマジで怒られる」


 ほとんどの部員がもう更衣室に移動してしまったことに気づいた哲也は三人に向き直ると、


「本当ありがとうな。応援。マジで嬉しかった。俺達、絶対勝つから」


 哲也はそうして何の下心の無い手で風花と泉美と握手をする。そして、


「折角だから俺の写真、コンテストに使ってくれていいぜ。優勝してハクつけてやんよ」

「期待してるよ」


 最後にしっかり行人を抱きしめてから、小走りに更衣室へと駆けて行った。


「普段から今みたいな感じで余計なこと言わなきゃ、モテなくもないと思うんだけどなー」

「お調子者で明るいのが、小宮山君のいい所なんだよ」


 リノリウムの床を遠ざかる哲也の足音を聞きながら、泉美と風花は微笑み合う。


「それで、どう? 大木くん」

「聞くまでもないでしょ」


 風花の問いに、行人は肩をすくめて夕夏の全天球カメラを手に取る。

 小さなモニターをプレビュー表示にすると、一枚目にたった今、哲也を中心に撮った自撮り写真が表示された。

 それを見て泉美が殊更に、いっそわざとらしいくらいの大声を上げる。


「わ! やっぱり自撮り棒が写ってない! 何でこんなことできんの? 魔法じゃん!」

「全天球カメラって、機種によるけどレンズが二つある場合が多いんだ。その二つのレンズを適切に設定すると二つのレンズの間にある余計なものを取り除いた合成写真が撮れる、って感じかな。俺もまだよく仕組みは分かってないんだけど」


 行人はプレビューを一枚、過去に遡る。


「こうやって、ちゃんと自撮り棒が写ってる写真も記録されてたりする。無編集画像が自動で残るかどうかは、機種や設定によるみたいだけどね」

「へー。なんかよく分かんないけど、要するに二つのレンズの視差でこういう画像にしてるってことかー」


 泉美は指を伸ばし、自撮り棒が写っている写真と写っていない写真を往復し、ここだけ小声で鋭く言った。


「でもレンズがいくつあっても、普通なら風花ちゃんはこんな風には映らないはずだよね」


 二枚の画像には、哲也と肩を組む行人の、自撮り棒を持った側の手に控えめに手を添える、金髪のエルフの少女が写っていた。


「一応、やっとく?」


 泉美が自分のスマホのインカメラで、ポーズも無く雑に三人が写るように自撮りすると、そこには泉美と行人の生の目には映らない、日本人渡辺風花の姿が写っていた。


「……どーなってんの。これ。もしかしてこのカメラならずっと風花ちゃんが真の姿で映ったりするの?」

「多分、そうはならないんじゃないかな」


 行人がそう言うと、周囲にほとんど人がいないことを確認してから、適当に全天球カメラで自撮りを連写する。

 初めこそ哲也が眉を顰めたあのガラスが割れる魔法破りの音が聞こえたが、十枚も撮らないうちに音がしなくなった。


「一応」


 行人は左目だけを閉じ、右目だけでカメラのレンズを見つめながら撮ってみても、やはり何の音もしない。


「最後の一応って何」


 泉美の問いには一旦答えず、行人はまたプレビューを確認する。

 シャッターを切った回数は十二回。

 うち風花がエルフの姿で映っているのは四枚。日本人の姿で映っているのが六枚。間の二枚、モーフィングでもしているように風花の姿だけがぼやけていた。

 もちろん行人が右目だけでレンズを見て撮った一枚も、日本人の風花しか写っていない。


「多分だけど、このカメラは俺のフィルムカメラに比べて、魔力を保持できる量が多いか、一枚当たりの撮影に使う消費量が少ないんだ。でも、やっぱり何枚も撮ると電池切れみたいに魔力が切れて、普通のカメラと変わらなくなる」

「それはこの撮影結果見ればなんとなく分かるけど、最後の一応ってのはなんだったの」