エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑦

「口で説明するより見てもらった方が早いんだけど、小滝さん、ちょっとスマホ貸してもらえる?」


 行人はそう言うと泉美からスマホを受け取り、インカメラを起動すると自分と風花をフレームに収め、左目だけを閉じて右目で画面を見てシャッターを切る。


「え……えっ!? ちょ、ちょっとこれどういうこと!!」


 泉美が驚くのも無理はない。

 行人のフィルムカメラでもなければ、風花が魔力を込めたものでもないスマホで、行人が風花の真の姿を撮影したのだ。


「はぁ!? 何これどういうこと! 何でこんな写真撮れるのによりによって私のスマホで超絶ダサいウィンクしてるセンパイと風花ちゃんのツーショットとか撮ってるの!? 風花ちゃんだけ撮ってよ!」

「……泉美ちゃん。あの、あんまり私の彼氏に超絶ダサいとか言わないでもらえると」


 風花が少しむすっとしながら突っ込むが、泉美の耳には入っておらず、


「え? 何? こうすればいいの? 風花ちゃんこっち来て!」


 行人を見よう見まねで両方の目で何度もウィンクしながら風花とのツーショットを試みるが、写るのは日本人の風花だけ。

 行人が撮ったような結果にならない泉美は不満たらたらに行人を睨む。


「なんで!」

「何でかって聞かれると、まだ確かなことは言えないんだ」

「いいから! なんで!」

「いや、あんま良くないんだって。フィルムカメラ無しにこれやるにはきちんと準備しなくちゃいけなくて、準備してもやりすぎると結構体にダメージがあってさ」

「体にダメージって、どんくらい」

「目が重要なのは分かってもらえると思うけど、酷いと眼球潰れたかって思うくらい痛い」

「う、マジか」

「そこまでの痛みだなんて聞いてないよ!?」


 泉美もさすがに勢いが落ち、風花は新たな事実に顔面蒼白になっている。


「とにかく、これからも渡辺さんのエルフ姿を撮りたいなら、基本は渡辺さんに魔力を込めてもらって、俺のフィルムカメラを使う方が色々安全だと思うんだ。それに、俺の目だけを使う方法とフィルムカメラじゃ、決定的に違うことが一つあってさ」


 被写体が画面の中で光らない。

 これは、行人が認識している最も大きな違いだった。

 フィルムカメラを使っているときは『良い』被写体が自己主張しているかのように不思議な光をファインダー越しに見ることができた。

 フィルムカメラで風花の本当の姿を撮るときも、常にその光は見えていたのだが、右目を使って撮ろうとしたとき、あの不思議な光を見ることはなかった。

 行人の右目に姿隠しの魔法を限られた条件で破る力が宿っても、やはりその仕組みはフィルムカメラを通して撮影するのとは、根本的に異なっているのだろう。

 この違いがどこから来るのか、どんな影響が残るのかがはっきりしない限り、下手をすれば泉美にフィルムカメラを使わせることすらできなくなる。

 泉美にどんな影響があるか分からないのが心配なのはもちろんだが、それ以上にもし泉美が行人と同じように目に何らかの力を宿した場合、失明するまで風花との自撮りツーショットを撮ってしまうのではという懸念があるからだ。


「何。決定的に違うことって」

「ファインダーを覗く時の光が、このやり方だと見えないんだ。小滝さんも見たことあるだろ?」

「まあうすぼんやりとはね? でも、こうなるとあれが本当に風花ちゃんの魔法を破るのに重要なことだったのか疑問じゃない? だって今のスマホにしろいつものフィルムカメラにしろ、撮影者が被写体をきちんと見てることだけは共通してたわけでしょ。でも、この全天球カメラはそもそも誰もレンズを通して被写体を見てないじゃん。前提、崩れてない?」


 流石に泉美は察しが良い。

 全天球カメラによる自撮りと、フィルムカメラやスマホによる自撮りと最も大きな違いはそれだ。

 魔法を破ろうとする人間の目が無ければ、風花の真の姿は映せない。

 これはあの告白の日、フィルムカメラでセルフタイマー撮影した写真が日本人の風花を映していたことからも間違いない。

 だが今、ファインダーがそもそもなく、誰もプレビューモニターを見ていなかった全天球カメラの自撮りで、エルフの姿が写し出された。


「そこのからくりは、持ち主に教えてもらおう」


 行人は全天球カメラのプレビュー画面を見ながら、哲也達が去っていった廊下の奥を振り返る。


「……」


 遠く、突き当たりにパンツスーツ姿の湊川夕夏が立っていた。

 とっくにバレー部員達は更衣室から撤収している時間だろうに、撮影担当があんな場所で何をしているのだろうか。

 しばし見合った行人と夕夏。

 やがて夕夏が人好きのする笑顔を浮かべ、小さく手を振って廊下の角に姿を消した。


「さて、いつから俺達のことを見ていたのかな」

「湊川さんも……ナチェ・リヴィラの人なのかな」


 不安そうな声の風花に、行人は言った。


「違うと思う」


 だがその言葉は、風花を安心させはしなかった。


「これ見て」


 それは最初の、哲也と四人で撮った一枚。


「ここ。長谷川さんの後ろ姿が写ってる。彼女の、ナチェ・リヴィラの人間としての本当の髪の毛の色だ」


 風花のエルフ姿のインパクトが強くてその瞬間まで風花も泉美も気づかなかった。

 廊下の奥へと向かう結衣は黒髪ではなく赤毛になっており、選手の集団の中には璃緒であろう、ショートヘアの銀髪が微かに写っていた。

 そしてその中で、退場中のカットを撮っているであろう湊川夕夏の仕事風景もまた、本当に小さなピクセルではあるが、写り込んでいた。

 そこにはつい先ほど別れたときとまったく変わらぬ、パンツスーツ姿の若手カメラマン、湊川夕夏の姿がそのままに写り込んでいた。

 福井県の道沿いや街中は、とにかく恐竜が多い。

 近年、恐竜の県としての名声を確かにし、その効果を更に拡大させんとしているのだろう。

 市境やトンネルの出入り口、橋梁や大型商業施設の看板、そして鉄道駅などには頻繁に、恐竜が描かれたり、彫られたり、はたまた鎮座したりしている。


「おお……」

「わあ」

「なるほど」


 そして恐竜と、日本人の目には珍しい熱帯の植物は、実によく似合った。

 福井駅からハピラインふくい線で県北方面に向かうと、芦原温泉という温泉街がある。

 北陸新幹線の停車駅もあるその温泉街に新しい観光名所として設立された植物園『あわらPFぱーく』は、豊富な温泉資源を武器に農業法人などと提携し、熱帯のフルーツや野菜を生産できる、あわら市最新の目玉観光地だ。

 そのあわらPFパークの入り口では、いかにも熱帯の木、といった風情の植物とトリケラトプスのオブジェが行人達を出迎えてくれた。

 行人と泉美は首から下げた部のデジタル一眼を、風花はスマホのカメラを起動し、おもむろにトリケラトプスを一枚撮る。


「昔と今じゃ生えてる植物なんか全然違うんだろうけど、何でこう、恐竜と熱帯の植物って合うんだろうね」

「確かにね。人間じゃ絶対無理だけど、草食恐竜とか、このヤシの木みたいな木食べそうな感じある。……これ、ヤシの木なのかな」


 行人は、トリケラトプスが身を寄せているその植物を指さして言うと、風花は嬉しそうに微笑んだ。


「これはナンヨウソテツだね。日本でも観葉植物としてソテツは有名だけど、人間には毒だから絶対口に入れたりしないでね」

「え? そうなの!? なんかその辺に普通に売ってない?」

「うん。でもこれ、普通の人は食べたりしないでしょ? 美味しくはなさそうだし」

「いや、まぁそうだけど……」

「でも、きちんと毒抜き処理すれば実は幹や種が食べられます」

「えっ!?」