エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑧

 比較的よく見る植物ながら、全くその詳細を知らなかった行人は、風花の言葉に衝撃を隠せない。


「今はメジャーじゃないけど、デンプンが採れるからおかゆとかお団子とか味噌とかにできたらしいよ。大木くん、救荒植物って言葉、聞いたことある?」

「きゅうこう……? いや、聞いたことない」

「荒い、を救う、で救荒。飢饉とか戦争とかで一般的な食料が不足してるときに間に合わせに使われる植物って意味なんだけど、昔の沖縄、琉球王国では、栽培が奨励されてたんだって。さっき言ったみたいに毒があるから正しく処理しないと最悪死んじゃうみたいなんだけど、奄美大島とかだとソテツのうどんとか、今でも食べられるらしいよ」

「へぇ……ここから、うどん……へぇ」


 トリケラトプスとの見た目のマリアージュが美しい植物からどうやってうどんが作られるのか、行人は全く想像ができない。

 正しく処理しなければ中毒を起こす食材、という意味で行人はフグを連想したが、フグにしろソテツにしろ、最初に食用としようとした人間と、きっと大きな犠牲を払っただろうにそれでも食用を諦めなかった先人の根性と食い意地には、改めて敬意を表さざるを得ない。


「……いや、違うか」

「え?」

「多分だけど、必要だからそうなったし、そうせざるを得なかったんだよな」

「何が?」

「毒のある生き物や植物を食べようとする話。今だとソテツ食べるのなんか珍しいことだし、フグとかも贅沢品じゃん。でも、救荒植物なんて概念を知ると、ソテツもフグも、もしかしたら最初に食おうとした人は、それがなきゃ自分や大切な人が死ぬくらい追い詰められてたのかもって、ふと思って」


 命が現代よりずっと軽く、食べ物の価値が現代よりずっと重かったその時代はきっと、行人の感覚ではおよそ計り知れない異世界だ。

 もしかしたらソテツやフグを食用として開発していた時代の日本より、ナチェ・リヴィラの方が今の自分の世界に近いのではとすら思う。


「だとしても、やっぱりフグは無理に食べる必要なかったと思うよ。海ならどんなに追い詰められても他に食べられそうなものいっぱいある気がしない?」

「かな」

「だと思う」

「何がどうなったら恐竜とソテツの前でフグ食べる話になるの」


 三人分のパンフレットを持ってきてくれたらしい泉美が、二人の後ろから怪訝な顔で子をかけてくる。


「いや、異世界って実は案外身近なところにあったんじゃないかって話」

「そりゃそうでしょ。江戸時代は川一つ挟めば別の国だったんだよ。東京と福井なんて、それこそ地球の裏側みたいなもんじゃない?」

「流石にそこまでじゃなかったんじゃないかな」

「そう言えば日本の裏側って、ほとんどブラジルじゃなくてウルグアイなんだってね」

「それこそ何の話だよ」

「フグの話するよりは、熱帯の国の話なんだからまだ場所に合ってると思うけど」

「ウルグアイは緯度的に熱帯じゃないし」

「え? だって南米の国でしょ」

「南が全部暖かいって発想はどうかと思うよ。南米でもかなり南寄りだし、大体日本の真裏だっていうなら、そりゃ緯度的には南半球の温帯でしょ」

「センパイ、女子の可愛い勘違いを理屈で追い詰めて楽しい? 風花ちゃん、やっぱセンパイはやめといたほうがいいって」

「まあまあ大木くんも泉美ちゃんもその辺で。ほら、次行こう次」


 益体の無い、だが今しかできないであろう雑談をしながら三人はトリケラトプスに見送られながら植物園の奥に歩を進める。


「流石に中には恐竜はいないんだね。ちょっと残念」

「だってメインは熱帯の植物だもん、一つ二つならまだしも、ここに恐竜のオブジェがあったらそっちに気ぃ取られちゃうよ。でも熱帯の植物が展示されてるのに中、結構涼しくない?」


 エアコンがギンギンに効いている、というほどではないが、通路にはミストが散布され、外よりもずっと涼しく、少しずつ汗が引いてゆく感覚があった。


「今は下手すると熱帯の国より日本の夏の方が気温が高いこともあるし、単純に熱帯って言っても標高の高い地域は普通に涼しいからね。熱帯雨林も、湿度は平均的な樹高より低い地表は結構涼しかったりするらしいよ」

「あー、そっか。熱帯って言うとついマンゴーとかバナナが生育する暑い場所って想像しちゃってたわ。それにしても風花ちゃん、植物のことになると本当色々詳しいね。地理とか歴史の成績は散々なのに」

「最後の一言は余計ですー」

「ねーセンパイ。どうすんの? 写真撮るの?」

「折角珍しい植物を見るチャンスなんだから、改めて草花の撮影の練習しようか。背景に緑色が多いから、街中で花を撮るより案外難しいかも」

「そーなの?」

「やってみれば分かるよ。例えばそこの花びらが五枚ある大きな花、撮ってみて」


 行人が指さした花は、白とイエローの大きな花弁が五枚ある、特徴の強い花だった。


「プルメリアだね。ハワイとかで首にかけるレイに使われる花だよ。色んな国で栽培されてるから、土壌の性質によって色んな色になるんだ」

「ふーん。これがあの。え? でもこんなはっきりした色に分厚い花びらで、めっちゃ存在感あんじゃん。主役で立てるの簡単そうだけどな」


 泉美は言いながら、デジタル一眼のシャッターを何枚か切る。


「……ん? んー……あ? んー?」

「真ん中には来るけど、主役になってるかって言われると微妙でしょ?」

「……でも、きちんと撮れてはいるよ」


 泉美の言う通り、過不足なくフレームにプルメリアの花全体が収まっている。

 収まっているのだが、本当にプルメリアの花を撮りました、ということしか伝わってこない写真、とも言える。

 画面には美しい花と深い緑色の葉以外、何も写っていない。


「これが悪い、ってわけじゃないんだ。ただ小滝さんはこれまで俺が持ってくるコンテストのお題に付き合って、メッセージ性の強い、見る人の感情を動かす系の写真を撮ることばっかりしてきたからね。その考え方で撮ると、違和感あると思う。写真撮影の5W1Hで言うと……」

「ああ……どこで、も、いつ、も全然分かんないね。背景が完全葉っぱだけだし」

「逆に言えば何を、だけははっきり分かる。こういう写真をうちの部では『図鑑写真』って呼んでるんだ」

「図鑑写真。えーと、図鑑に載ってる写真みたいな、ってこと?」

「まんまだけどそういうことだね。被写体の姿を過不足なく見ている人に伝えるための写真。メッセージ性とか物語性よりも、被写体の情報を具体的に伝達するための写真だね。この写真が図鑑とか、あとはネットでウィキとかに載ってれば『なるほどこの花はこんな形と色なんだ』って見る人の知識になる、そんな感じのことを目的にしてる」

「なるほどねー」

「とはいえ、こういう写真を意識して撮るのはそれはそれで難しい。必要な情報以外は極力画面から排除しないといけないからね。この……渡辺さん、なんだっけこの花」

「プルメリア。こっちのも同じ花だよ」

「全然色違うけどこれもそうなんだ。じゃあそっち撮ってみると、より分かりやすいんじゃないかな」

「えぇ? 逆に何が変わるのって感じだけど……ん? あ、そうか。この葉っぱ……あ、後ろ。あ、ん?」

「……分かった?」

「…………これ『だけ』撮るって、難しくない?」

「そうなんだよ」


 薄いピンク色と黄色のマリアージュが美しい新たなプルメリアだが、葉の密度が白いプルメリアより薄く、背後の別の植物の葉や、植物園の柱などが写り込んでしまう。